第26話 殉教者の表情/冴木忍『卵王子カイルロッドの苦難』
再読には腕試しめいた側面がある。同じ本・同じ版なら同じ記述となる一方で、読む側の方はそうでないからだ。鏡ほどではないかも知れないが、その行為は否応なく読み手の変化を映し出す。
冴木忍の名前について、今となっては説明が必要かも知れない。90年代初頭から半ばにかけて、富士見ファンタジア文庫と角川スニーカー文庫でエース格を務めていた作家だ。
売上が一番でなかった作家は追いづらい、と20年以上経つ今では知った。特に、映像化されていない場合は。90年代半ば、映像化の機会は一線級の作者にしかなかった時代の話だ。そして冴木忍にはその機会があった。
何度かアニメ化の機会はあるも、ことごとく立ち消えになった。『道士リジィオ』のOVAに至っては、誌上特集まで組まれた後に発売中止。いま映像を見るには、作者の手元にあるというVHSしかなさそうだ。まあ、それは置こう。
1巻、『旅立ちは突然に』を読み返すと、その面白さは明確だった。冒頭での盆栽を愛好する温厚な王子、大きな事件、謎めいた同行者たちの出現。読み進めて停滞という事がない。多くの読者を獲得していたのも頷ける。
そして6巻、『悲しみは黄昏とともに』。キャラクターの死について、改めて考えさせられた。
・キャラクターの死を印象づけるには、魅力的でなくてはならない。
・その手法を複数回用いるには、演出に長けていなくてはならない。
ありふれた手法に見えて、実は前提があると言うことだ。実在の他人が亡くなればある程度は悲しい。けれども、フィクションではそうはいかない。読者からその冷静を剥ぎ取るには、かなりの技術を要する。
キャラクターの描き込みと、それに決して未練を見せない展開。デビュー前の冴木忍は『銀河英雄伝説』の同人誌サークルをやっていた、と言われると納得する向きもあるだろう。他にも田中芳樹譲りな面はありそうだが、これはまたの機会に。
付記:
初期の後書きにある、他人と被ったPNとは「不破純」のこと。デビュー前の同人誌でもこの名義が使われており、全くの偶然だったことが分かる。
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