第20話 「7の月」から20年(2)/清水マリコ『終末の過ごし方』
前回は『終末の過ごし方』ノベライズの背景、「R18のPCゲーム(エロゲー)が流行の最先端だった時期」について触れた。「エロゲー」を縦の糸とするなら、横の糸は「世紀末」になる。今回はそれについての話だ。
1999年7の月。真偽はさておき、90年代半ばから後半にかけては誰もが予言者・ノストラダムスと「恐怖の大王」を知っていた。世紀末に相応しい謎めいた予言を。個人的に地方在住の身でもあり、大元たる五島勉のデタラメに辿り着くのはなかなか難しかった。曖昧さ故にどうとでも解釈できこじつけが利き、五島勉もホラ吹き商売でしかない。そんな真相に辿り着くのは。
明確に期限を指定した破滅の予言。無論あり得ないことだ。けれども、もしかしたら。振り返れば荒唐無稽でも、流行はそれなりに信憑性を生む。渦中で正気を保つには、並外れた何かを必要とする。
世紀末の狂騒のなか、フィクションでも終末論が流行っていた。『MMR』然り、『超頭脳シルバーウルフ』リバイバル然り。かの『コロコロコミック』でも似たような話を読んだ覚えがある。アメリカ映画ではあるが、雰囲気という点では98年の『アルマゲドン』もその中に入れていいだろう。
それらが僕の目から見て新しく、つまりそれなりに怖く思えたのは、時間が経ち読者層が入れ替わり、周囲に初見の者が多かったせいもあるだろう。筋道だってそのカラクリや興亡を指摘できる人がいたかどうか。また果たして、それに納得できたかどうか。流行との付き合い方はかくも難しい。
数年来に及ぶ終末論の流行。そんな1999年の春先、PCゲーム『終末の過ごし方』は発売される。そしてゲーム版の好評を受けてか、ブームさなかの7月末に新声社版『オフィシャルアートワークス』が、終息しつつある8月にノベライズ版が出た。
世紀末に咲いたささやかな1冊。それがノベライズ版『終末の過ごし方』だった。 (続く)
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