第15話 破壊的書物/ルイ=フェルディナン・セリーヌ『夜の果てへの旅』

 生きていて何かしら、きっかけになる本。そんな中でもこれは、明確に覚えている方の1冊になる。

 読むきっかけまでは思い出せる。19世紀後半から20世紀半ば、フランス文学を扱った評伝集『奇妙な廃墟』。本筋ではなかったものの、しばしの言及が強く印象に残った。それこそ、本編の作家たちよりも。

 興味を覚えたからには、触れてみるしかない。『夜の果てへの旅』、通称『旅』。中公文庫の新装版は当時出たばかり。


 破壊的な名作というものが存在する。一読、そう思い知った。

 ではその破壊力は何か。無論、あの異形の文体だ。

 比較的、穏やかな箇所を引いてみよう。


 君は百年戦争のあいだに殺された兵隊のうちの一人でもその名前を思い出せるかい? そういう名前のひとつでも知ろうとした気を起こしたことが今まであるかい?……ないだろう、どうだね?……君は一度だってそんな気になったことはなかっただろう? その連中は君にとっては、この文鎮の一番小さい奴や、君の毎朝のうんちと同じくらい、名もない、興味もない、それよりもっと無縁な存在だ……だから分かるだろう、奴らは犬死にしたんだ、ローラ!   『旅』上巻、p106


 特徴は確かであり、ゆえに余計むずかしい。分かり易い「……」の連打にしても、そこだけ真似ても意味は無い。もっとも、訳も分からず「……」を連ねてみた事はあると、公平を期すために記さねばならない。

 いま読み直すとどうだろう。世に倦み人に倦み、それでも垣間見える、垣間見えてしまう語り手の優しさ。決して破壊一辺倒ではない。あるいは真っ暗闇だからこそ、一筋の光を眩く思えるのかも知れないが。


 1冊と出会うにもタイミングがある。海外文学を読み出す契機として『旅』に出会えたこと。今まで生きてきた中でもこのことは、かなり幸運だったように思う。

 同時に。小説家にまつわる諸々に答えてくれたのは、決して文学でなかったとも言っておく。陰謀論や差別感情に陥るか否かは、当人の頭の善し悪しとはほとんど無関係。そう辿り着くのは10年近く後、いわゆる行動経済学や進化心理学との出会いが必要だった。


付記:

中公文庫版の扉文「その墓石には《否(ノン)》の一語だけが刻まれた」は面白いが明確に誤り。記述の変遷を追うに、生田耕作はそれを認識していた節がある。

『セリーヌ神話とその起源 ~生田耕作と否(NON)の墓石を巡って~』 https://note.mu/maturiya_itto/n/n01071f32fba5

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