第10話 極限の非・推薦本/ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』
薦めるべきでない本がある。理屈の上ではそう知りつつ、どうにも抗いがたい本が。
ただ1冊を挙げるは容易い。そんな事を第8話で書いた。いくつかの分野では確かに、そんな本を挙げられる。
短編集なら本書。2年前の夏、まさかの文庫化で手にとった。まさかとは作者の出身地に依る。中東パレスチナのそれも現代文学。文庫化自体、初めてかも知れない。
夏にぴったりの1冊、と言って間違いではない。無論、正確でもないが。
渇きが間近にある暑さ。中東の焦熱がそこにあった。フアン・ルルフォのメキシコともディーノ・ブッツァーティの辺境とも違う、砂と岩と太陽を背景にした焦熱。
作者はパレスチナ人であり爆殺されたテロリスト、と言えば先入観を与えるだろう。読んでみると全く違う内容であり、それがまた危険に一役買っている。
正確には、作者は組織の広報役だ。そして本書を読む限り、恐ろしく切れた頭の持ち主だった。なぜか。大義も勇猛も(無論「実行」も)、直接的にはこの本に描かれていない。では、何が描かれているのだろう。
描かれるは深い悲しみ、というのが一応の答えになる。抽象的な悲劇ではない。故郷を追われた難民の大災厄(ナクバ)は、一人一人に具体的な影響を及ぼす。たとえばわずか10p弱の短編『盗まれたシャツ』では、物資の横流しを見た夫が殺人へと駆り立てられる。あくまでも共感可能な形で。
この共感可能は「動機」でもある。起こり得てはいけない諸々が彼を駆り立てたと「理解」できる、いや、できてしまう。
「ぼくがパレスチナで知っていた神も、やはりパレスチナから逃げ出していったのだということを、ぼくはもはや疑わなかった」 『悲しいオレンジの実る土地』
読み終えてからは、彼の暗殺死にも深く納得できるはずだ。強烈そのものの一冊。ゆえに、本来は薦めるべきでないのだろう。
付記:
本書以外では『短篇コレクションI 』(河出書房)に短編『ラムレの証言』が収録されている。雑誌『季刊 前夜』『新日本文学』には未収録短編がある。ネット上では短編『遠い部屋の梟』が翻訳されている。
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