第2話 今度は「独逸百合」/橘こっとん『その仇花で撃ちぬいて』

 立ち直りつつあったと、まずは書いておこう。

 ソ連百合から2日、事件はとうに僕の手を離れていた。謎の短編は数千人に読まれ、万単位に読まれるのも時間の問題と見えた。数万は20万になりやがて短編集に収まる事になるが、いや、これはもう少し後の話。


 収穫はふたつあった、と前回書いた。問題はここからだ。謎の短編を書いた謎の作者。プロとも目されたその正体を、ただひとり知っていた。かつてアンソロジー同人誌に載っていた短編だと、その人物は語る。

 人物の字面に覚えがあった。あああの人かと。この「あの」は無論「ヤバイ人」、「初めての同人誌を奈良に飛ばされた、あのヤバイ人」との意だ。

 印刷所の手違いによるその経緯は、自分でまとめられてもいた。ヤバイの二乗。だが、こいつが面白かった。怒り悲しみに芸がある。読まれる前提の文だ、心中唸ったな。でも当時の興味は、そこで終わっていた。


 同人誌までの熱心な読者で、勘もよさそうだ。ふたつが結びつき、気まぐれが動く。ひょっとして、だ。もしかしたら此奴は、ひょっとするかも知れない。

 僕の勘は当たる。外れを忘れると言うより、当たりのデカさにたまげるせいだ。読むと襟首を掴まれ、締め上げられたのだから。


 その冒頭はこう始まる。


 「貴様らは幸運だと誰かは言った」

 「近々大攻勢が予定されているという噂。数日ごとに交代で塹壕にこもり、いつ来るとも知れない砲弾に怯える日々はすぐ終わる」


 そしてここからの戦場描写、これは実際に読んでみてくれ。

 こいつより凄い冒頭、必死に探したんだ。そんはなずはない、いくら何でもあるはずだ。半年が経つ今も、まだ考え続けてるな。


 惜しむ所があるとすれば、ソ連百合事件から僅か2日後だったことだ。事件の影に隠れ、大っぴらに広めることにはどうやら成功しなかった。仕方がない、などとは間違っても言いたくない。

 だが、ま、その内に運の方もつかむ事だろう。抜きん出た人間を見るのは気が楽でいいと、ここは臆面もなく言いふらしておこう。

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