第229話:『焔』を纏いて 12
ぷすぷすとまだ少し熱のあるその体は今は炎を纏うことなく、元の姿へと。
先ほどまでの熱気が嘘のように、さわさわと辺りの大樹を風が弄ぶ。
静かな静かなその一時の中。
雫は、松を膝枕しながら愛おしそうに撫でていた。
この場にいるのは、今はもう二人だけ。
いくつか黒い焦げのようなものが地面に残ってはいるが、それも間もなく風とともに飛んでいってしまうだろう。
「この体、私の『流』の型で水ぶっかけたら治るのかしら」
「なんやそれ。わいの体、スポンジみたいやんな」
炎を纏いすぎた反動か、松の体はかさかさと水分をなくしたかのように
松が「やってみたらええで。今なら凄い吸い込めそうやで」と笑うが、雫はその膝の上にいる、しわしわの松へと笑顔を向けるだけで型式をかけようとはしなかった。
泣きそうな表情を一瞬見せてしまい、その笑顔が少しだけ陰りを見せると、意を決したように真剣な表情を浮かべる。
「ねえ、旦那様」
「……ん?」
松は自分の名を呼んだ彼女に答えるように目を開けると、二人はじっと見つめあった。
答えを待つ松がにかっとかさかさの笑顔を向けると、雫はため息をつくように思いの丈を述べた。
「……記憶を弄られて、好きだったことはあったのよ。……でも、それだけ。今は」
「はっ。なんや、今更」
「だって……気にしてたでしょ? あの時」
「気にならんいうたら嘘やで。でも――」
ふるふると、筋肉質とは言えないがスレンダーに肉質のあったその腕は、今は枯れた小枝のようで。
震える手を持ち上げて雫の頬に触れると、雫はその手を包むように上から手をかぶせた。
まだ温かい。その温かさに雫の心もまた彼が生きていると感じてほぐれていく。
この温もりが消えてしまわないよう繋ぎとめるように。その手を優しく握り締めては、離れないように。
それが難しいことは医師としても理解できていた。
握りしめて、その温かさを覚えることしか、今はできなくて。
「あんさんが可愛いから、奪われたくなくてな」
松も、記憶を弄ってまで雫を欲しいと思ったラードに思うところは勿論あった。
それこそ、記憶を弄って手に入れた愛など、本当にラードは欲しかったのか、それともそうでなかったからこそやり直すために記憶を戻して雫に求めさせるように復讐心を植えつけたのか。
本人を倒してしまった今となっては、もう分からない。
だけども。
同じ女性を好きになった男としては、歪んでいるとはいえ、想いだけは本物なんだろうとも、短い戦いの中で感じていたのは確かだった。
だから許せない。
倒すしかない。
そうしないと、雫が哀しい想いをし続けることになるから。
戦いが始まる前の時点で倒れてしまった自分が哀しませてしまっていることは、こうやって今も会話できていることで許してほしいとか思いながら。
松は少しだけ心に怒りが灯ったことで、体がまた熱くなったことを感じた。
だけどもそれは一時的。すぐに熱は消えていく。
先程のように燃え上がるようなことはもうないのだろうと思うと、時間が切れる前に何とかできてよかったと、今のこの勝者のご褒美を嬉しく思う。
「わいの雫への愛情が、家族への愛じゃなくて、異性への愛だって気づかせてくれたんは、あいつやし。今こうやって、雫が傍にいてくれるやん」
「なあに? じゃあラードに感謝しろってこと?」
「わいからしてみたら、もう倒した相手やし、すっきりやで。つ~か、元から姉やて知らんかったから、これからは家族愛も含めてって考えてもええかもな」
「なにそれ。私と一緒で天井しらずでしょ」
「そやで。天井なんかないからな。わいの想いは」
これでこの先、雫がラードに狙われることはない。
ラードのことを想う必要がない。
復讐は終わったのだから。
だから。
想いを、告げる。
「愛しとるで。雫」
「私も。愛してるよ。旦那様」
かさかさの松の唇に、雫の唇が触れる。
「それが、聞きたかったんやで。なんちゅう素晴らしいご褒美ってな」
松はにこやかに笑顔を見せ。
雫は、その笑顔に涙を零しながら、松の頭を、ただただ愛おしく、撫で続ける。
さらさらと辺りにそよぐ風が。
辺りの静けさが。
世界でたった二人だけの。
姉弟の二人だけの。
今は。
今だけは。
この辺りの世界も、
想いも。
今は、二人だけのもの。
End Route01:
『松』と『雫』
ならびに、
その名は『
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