第162話:想いをのせて 2
「――うっ……」
瑠璃は、目を覚ました。
先程の、闇の中で生まれ出ずるように、ではない。
まさにそれは、『息を吹き返した』が正しいだろう。
視線は低く、虚ろな瞳に映すは、微かな景色。
ぶすぶすと燻る茶色い地面とほぼ水平な景色に、自分が倒れていることに気づきつつも動けない状況に、「負けた」と悟った。
あれだけの力を使って、切り札を使ってまでも『焔の主』には勝てない。
正真正銘の化け物とはまさに彼のことを言うのだろう。
だから、最強。
だからこそ、裏世界と呼ばれるこの世を、一つの個の武で畏怖させたのだろうと思うと、善戦できたほうなのではないかとも思う。
「……なわけ、ないでしょ」
そんな善戦したことに満足しようとした自分を鼻で笑った。
足を止めた。
だけどそれだけじゃダメだ。
僕は、この先に――友達の為に、ここでこの男を止め続けるか、倒さなければいけないのに。
実際に戦ってみて分かった『主』の強さ。
最強であるからこその武の強さではあるのかもしれないが、それでもこの『焔の主』と同等の力を持つ存在が『主』というのであれば、確実にこの場で最低でも止め続けるべきだった。
『主』は四人。
『流の主』は『焔の主』と夫婦の関係であったとしても敵対関係にあるであろうことを先の戦いの中で仄めかされた。であればこの戦いには無関係であるとも思える。
警戒すべきは残りの二人。
『縛の主』は、母なる『鈴』を手に入れた今、世界樹から動くことはない。
『疾の主』は許可証協会に鎮座していると思われるが、この先にいる可能性もある。
先に進んだ『戦乙女』であればまだなんとか、傘下の数と連携して主に対抗できるかもしれないが、二人の主を相手取ることは難しいだろう。
そこに『
そこに、今自分が相手にしていた『焔の主』が万全の状態で向かってきたら。
それこそ、冬君の道を閉ざしてしまうし、仲間達にも未来はない。
『焔の主』は焔そのものだ。
闇が晴れた今。周りには闇の中で途絶えさせた酸素がある。
また勢いよく燃え盛るだろう。
自爆をして闇を吹き飛ばすなんて考えは瑠璃にはなかった。
あの状態で闇を散らすほどの爆発を引き起こせたことも『主』足りえるのだろうが、自身が死ぬからこそそんな暴挙に出ることは普通はない。
「……違う。死なないんだ」
至った答えに驚愕した。
『焔の主』は、体が『焔』である。
爆発しようが何しようが。
焔が消えなければ、生き続けられるのである。
『焔の主』は――
まだ、生きている。
「だったら……僕は……まだ……」
瑠璃は体を起こそうとするが、体は言うことを聞いてくれなかった。
ならばと、顔を空へ向けようと、顎を上げた。
「……てっめぇ……やりやがったなぁ……」
そこに。
すぐ傍に。
赤い炎があった。
今にも消えそうなほどに細い、まるで紐のような炎だ。
だがその炎が、先ほど自分が考えた想像通りであれば、酸素を取り込み、急激に大きくなってまた元の姿へと戻るのだろう。
その炎を見た時に、すぐに立ち上がろうと、体に力を込めた。
だが、そこで瑠璃は気づいた。
「僕は……体が、ない……?」
おかしいと思った。
首から下の感覚が何もない。
それはまだ意識を取り戻してすぐだからだと最初は思った。
だから、意志の力でででも体に力を込めて、それこそ無理やり型式の力でも使ってでも動かそうとしたのだが、自分の体の感覚ではなく、首から下がないことを型式で把握してしまった。
「慣れねぇ力を行使するから、自爆するんだって言っただろうが……」
小さな『焔』から。目の前の紐のような炎から、『主』の声が絞り出される。
その焔は、そこから大きくなることもなく、刻一刻と小さくなっていくようにも見え、目を凝らしてみると、周りに縁取りのように黒い闇があった。
瑠璃が行使した『影法師』が纏わりつき、彼が復活を阻止しているようであった。
「それは、貴方もでしょう……自爆なんてやったことないからそんなことになってるって考えてもいいのかな」
自分に言い聞かせるような『焔の主』の言葉に、同意しながら返す。
「は……そりゃそうだ。だけどもおめぇみたいな生首に言われたかねぇし、こうなるつもりもなかったがな」
「……だと思ったけど、実際に言われてみると、ちょっと辛いね」
生首。
自身の体がそうだと分かっていたものの、言われて認識するのとはまた意味合いが違っていた。
自分がまだ生きているのが不思議どころか、奇跡に近い状態なのではないかと思えるが、そんなことはないとすぐに思い至った。
「お互い、長くなさそうだな」
「そう、だね……」
なぜなら、瑠璃は。
少しずつ、その生首さえも、溶け込むように消えているのだから。
その溶け込む先はもちろん。
「その影に食われてんのか」
「食べられているというか……」
先程まで味方であり、共に遊んでいた、『影』――つまりは、自身の『呪』の型『影法師』だ。
「効果そのものは知らなかったけどね。次があったらこんな長時間の使用はしないと誓えるね」
「はっ……そりゃそうだろ。次はねぇだろうけどな」
『影法師』は、莫大な力を使用者に与える。
それこそ、最強の武を持つ『焔の主』さえ圧倒するほどに。だ。
だが、その力の代償は、瑠璃の場合は『影法師』と遊ぶことであった。
その遊びは、自身の死と直結する。
影と遊び、長く遊び続ければそのまま自身も影の中へと取り込まれる。
戦いの最中に、瑠璃の体が闇と溶け込んでいた理由の一つであり、
「おめぇ、『呪』の型を使ったらどうなるかくらい、知ってたんだろ」
「そりゃあね……」
『呪』の型が、なぜ使い手が少ないのか。
その理由の一端が、これである。
圧倒的な力を得る代わりに、自身にかかる代償もまた高い。
『呪い』のような力。
それが『呪』の型である。
兄である弓が、この型式を使わせようとしなかった理由は、ここにあるのだと思うと、やはり兄というのは偉大なものだと、こんな時に関わらず弓のことを誇らしく思ってしまう。
「自爆は何度かやってるから自信があったんだがなぁ」
「それは……あまり聞きたい話ではなかったかな? いいや、先に教えておいてほしかったかな」
「教えたらな~んも面白いことねぇだろうが」
「ははっ。そりゃそうだよね。ましてや貴方と僕は初対面だ」
「……あ~……そうだな。似たやつに数日前に会ったが、まんまとどでけぇダメージ与えられて逃げられたな」
「え……」
『焔の主』は数日前に出会い、見たことのない熱量で自身を消し去りかけたポニーテールのにこにこ顔の男を思い出す。
確実に殺したのに、まさか、遠距離から反撃までされるとは思ってもいなかった。
今度会ったらあの男は確実に葬ると思っていただけに、その男によく似た目の前の殺人許可証所持者にいら立ちが隠せない。
その苛立ちは、他の要素も含んでいそうで――
「――てめぇのおかげで、復讐果たせそうにもないわ」
それは、まだまだ強くなれると感じたあの瞬間から、すぐにこのまま消えてしまおうとしていることに対するいら立ちか、それとも、そうされるほどに強く、命を賭けて自分を超えていった目の前の若い男への、自分を殺した怒りなのか。
「……はっ。考えるまでもねぇや」
「……?」
その葛藤を瑠璃は理解できるはずもなく、ただただ闇へと沈み行くその身で、『焔の主』を見続ける。
「てめぇが、最強だ。誇れ。俺を殺したんだからな」
紐のような炎だから分からないが、だがそれでも彼が、にやりと不敵に笑いながらそう言ったのは理解できた。
「……最強の座をもらっても……すぐにどこかへ返上されるけどね」
「はっ。ちげぇねぇ!」
高らかな笑い声とともに。
『焔の主』は、しゅぼんっと小さく音を経てて、鎮火した。
「……冬君。頑張ってね」
闇に溶け込むことに痛みを感じないのはこれ幸いと思いながら。
瑠璃もまた。目を閉じた。
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