第143話:布


 シグマの右目に映るは、指先――真っ黒な、機械の塊。

 それは、機械兵器ギアの指先だ。


 その指先がシグマの眼球に触れ。




 ぱきゅ――っと。




 シグマのその瞳は、物を映すことはなくなり、音と流れた白と赤に、右目が破裂したことを理解した。


「ぐっ、くぁぁっ!?」


 指が触れて眼球が破裂した痛みがシグマを襲う。


 シグマを襲うは、割れそうなまでの痛み。

 だが、その痛みはすぐに噴き出した血を塞ぐように現れ、巻き付き、窪みのみとなった空洞を包帯のように覆う『布』が内部で暴れるはずだった衝撃を緩和し、痛みを癒やしていった。


 本来与えられるはずの痛み。

 その痛みが訪れないことに驚きもあれば、死にそうな程の激痛のはずが、ずきずきと偏頭痛程度なことにも驚き、その痛みを癒やす布にも驚き。


「……え? え?」


 四度目、五度目の同音。

 合わせて、ぎりぎりと、シグマの右目を潰した黒い指をこれ以上その空洞に侵入されないよう目の前の指を抑えつける『布』に驚いてしまう。


「……なに……が?」


 その布は、シグマの腰部から。

 エレベータ内で枢機卿によって装着された長方形の黒い箱から飛び出していた。


 機械兵器が、巻き付いたその布を煩わしそうに赤い瞳で見つめると、引き千切ろうと手前へ引っ張った。


 だが、布は千切れない。


 忌々しそうにギアが腕を持ち上げて更に引き寄せる。

 ギアの圧倒的な力で引き寄せられた布は、その布の所有者であるシグマさえも引き寄せてしまう。

 宙に浮き、一気にギアと距離をつめるシグマ。


 シグマは急激に痛みを伴ったなくなった右目を押えていたため、攻勢に転じることができず、為すがままにギアの前へと躍り出た。


 布とともに近づいてくる邪魔者を排除するため、ギアが動く。

 握り締められた黒い拳がシグマの顔面に向けられた。


 轟音と風切り音をたてて突き刺さる拳。


 だが、その拳とシグマの間に、薄い布が立ちはだかる。


 拳は布と接触すると、するりとシグマの横を通り過ぎた。

 布が接触した瞬間にいなすように動いて、拳が起こす破壊の衝撃を全てシグマから外したのだ。


 左右から現れる、四本の布。

 右の箱から現れた布の一個は潰された右目を癒やすように顔面に巻きつき。

 左の箱から現れた布の一個はギアの腕に絡みついて離れず、もう一個は先に振りかぶられた拳を目の前でいなし、残った右の一個はふよふよと、シグマの傍で浮き続ける。


 ギアはその布を不思議そうに赤い瞳で見つめると、腕に巻き付いた布を更に引き寄せた。

 引き寄せるというより、その先にいる人間を布から振り解こうとしたといったほうが正しく、投げ飛ばして地面に叩きつけようとするかのような引き寄せに、布は宙に弧を描くように空に舞い、必然的に、布の最終地点であるシグマも空に浮いた。


 布は引っ張りの速度を緩和するかのように箱からしゅるしゅると伸び続ける。伸び続けたからこそ、シグマも更に高く空へと舞い上がり、箱から、びっと、わざと切れたかのような音を立てて、布がシグマの腰の箱から外れた。


 振り回されるような勢いで投げ飛ばされたシグマが、その勢いのままに地面へと落下していく。

 その落下は、布が速度を緩和したため、体勢を整えられない程の速度ではない。が、流石に右目を失って直ぐの叩きつけに、方向感覚がいつもと違っていた。両足だけでなく片手さえも地面につけ滑り、勢いを殺しながら着地した。


 そんな体勢で勢いをいなせば、勿論次の行動――隙がありすぎる。


 その着地をしたシグマに、瞬時に近づくギア。


 シグマが地面から正面を見ようと顔を上げたときには、すでにギアは目の前に。

 拳をフルスイングで振り下ろすその光景に、シグマは、その拳が接触すれば自分は弾け飛んでしまうだろうと思えるほどに恐怖を感じた。


 だが、その拳は、またもやシグマに触れることはなく。


 布が、またもや拳をいなして衝撃を流していく。シグマに届くのは、その腕が引き起こし、いなされたときに半減した風圧――優しくそよぐ風だけだ。


 そのギアの背後に、枢機卿が姫とピュアに近づき介抱しようと動いている様が見える。


「でしたら、もう少しだけっ!」


 この布で、耐えることができるなら。

 シグマがギアを相手取ることで、不利な状況が幾分か好転したことに気づく。


 シグマはギアから守ってくれているこの布を少しずつ理解し始めていた。

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