第142話:全滅

 ビシャっと。


 赤い鮮血を浴びせられたと瞬時に気づいたときに冬が思ったことは、この血は誰のものなのか、だった。


 目の前で倒れていくのは自身の姉。

 切り上げられたのか、宙に舞ってエレベータの左右に開いた扉の端に勢いよくぶつかり切り口から内部に血を噴き出したであろう腕も、誰のものだったのか。



 冬がエレベータから降りた先、許可証協会のエントランスにたどり着いてすぐに起きた目の前の出来事――その瞬間は、冬が辿り着く数秒前に起きた出来事だからこそ、まだその血も生々しく、新鮮で。


「……え?」


 二度目に発した同音は、周りで起きていた出来事に対する疑問の音。


 その出来事に至るまでには、冬が乗るエレベータが到着する数秒前のことに遡る。









「ピュアっ! ぼーっとしてないで避けなさいっ!」


 そんな叫びにも似た声と共に猛スピードで自分に近づいてくる姫が視界に見えた。


 だがその視界はすぐに【黒】に塗り潰される。

 その、黒い異形の機械兵器は、背後に迫るメイドには興味がないかのように自身の腕を振り上げた。


「……あ~……こりゃ姫ちゃんが言ってた通りだわ……」


 異形に、メイド服姿の――『鎖姫』こと水原姫が、負傷したピュアを守るために一人と一機の間に入ろうと駆け抜けきる前に。

 まるでピュアの痛みに歪むその呆れたような発言を掻き斬るかのように、振りあげられた腕は振り下ろされた。


 側面へと辿り着いた姫が、すぐさま叫ぶ。


ひざまづけっ! 『牛刀』!」


 黒いメイド服を塗りつぶすかのように腕に光るは、姫の愛刀、牛刀だ。


 それは、ただの武器ではない。

 目の前にいる異形――機械兵器ギアを滅ぼすために創られた、対機械兵器ギア決戦兵器である。


 牛刀は、主人の呼びかけに応え、姫の腕に光の粒子を伴い顕現し、伸びきる前に異形へと。


 唯一目に見えて有効的なダメージを与えられる牛刀で、せめて打ち合う事さえできればピュアへの被害は止められ、それを機転として相手を抑え込むことも可能だろう。

 そんな打算も含め、下から上へと、振り下ろされる腕に対抗するかのように牛刀は切り上げられた。


 じゅっと。

 燃える火が水に付けられその灯火を消すときのような音とともに互いが接触。


 だが、姫の渾身の切り上げは、接触と同時に振り下ろされる腕に簡単に弾かれる。

 姫が珍しく驚愕の表情を浮かべ、弾かれる勢いに姫自身も巻き込まれてたたらを踏むようにバランスを崩す。


 その間に、振り下ろされた腕はその動きを完遂させた。


 少し遅れての血飛沫。

 肩口から腹部への真っ直ぐな切り口から噴き出したのは、ピュアの血だ。


「かっ……あ……」


 遅れて突き出された、型式で強化された防御のための腕は、空しく防壁ともならず。

 それ以上の速さで切りつけられたことに、痛みと流血で、「斬られた」と認識することも遅い。


 振り下ろされたギアの腕と手刀は、まるで元の動きをトレースするかのように一時の停止状態から――切り上げの動作となって、再度ピュアを襲う。


 先ほどとは違って、そのギアの腕が通り過ぎる道には突き出されたピュアの腕がある。


 その腕の防御なんてものは、強化されていようが何の意味もなく。


 通り過ぎたギアの手刀によって、ピュアの腕が軽くなった。









 ――ちんっと。

 その瞬間に、開いたピュアの背後のエレベータにその軽くなった一部が、その中にいた彼――冬ことシグマに降りかかる。


「……え?」


 叩きつけられるようにシグマにぶつけられて赤い鮮血を撒き散らすのは、ピュアの腕だ。


「ねえ――さん……?」


 崩れていく姉の体に動きが阻害される。

 その先にいる異形の機械が動いたことさえ気づけなかった。


「永遠名冬っ! 避けなさいっ!」


 姉の先にいる異形の傍にいた姫が、牛刀で機械兵器の首筋に鋭い突きを放つ。

 機械兵器はその刀身を握り掴み、興味がないかのように動きを続ける。


 一歩、前へと。

 その足が動く先には、ピュアが倒れ込んでいる。


 その動きに、ピュアの身を案じた姫が、成果のない牛刀の刀身を消すとピュアに飛びついた。

 被さる姫の体にギアの足が触れると、ピュアの体もろとも姫の体が簡単に浮き上がった。まるでサッカーボールをリフティングするかのようにふわりとした浮遊感を一瞬味わった二人は、ギアの邪魔そうに横薙ぎに払った一撃によって吹き飛ばされる。

 軽く払われたとは思えない程に吹き飛ばされた二人は、シグマの視界から一瞬にして、消えて、遠くでがしゃんと音を立てた。


 そしてギアの次の動きは。

 ピュアや姫という障害物のなくなったシグマへと向かう――


「……え?」


 三度目の同音。


 ここまで――姫が警告を発してから、この間、数秒にも満たない攻防である。

 ギアからしてみると虫を払うかのような、ただそれだけの行動だが、目の前で目撃していたシグマからすると、それは脳が目の前で起きたことを処理する限界を超えていた。


 その結果の、同音。


 シグマの右目に映るは、指先――真っ黒な、機械の塊。

 それは、機械兵器ギアの指先だ。


 その指先がシグマの眼球に触れ。




 ぱきゅ――っと。




 シグマのその瞳は、物を映すことはなくなった。

 弾けるような音が脳内に響くより先に、指が潰したその白玉への衝撃が、眼窩を弾け飛ばそうと骨に軋みを与える。


 軋みはすぐに頭蓋を破砕し、そして外へと弾け飛ぼうと暴れ回り、音を奏でる。



 ――ぱんっ



 それはあたかも、ポップコーンが弾けたような音だ。


 弾け飛んだのは、










 シグマの、頭だ。













 ギアは、たったの数体で世界を滅ぼすことができる。

 ギアは、人を遥かに凌駕した力を持つ。


 目の前にいるその異形の姿の黒いギアは、ギアの中でも特殊な存在である。


 ギアの中のギア。

 ギアの頂点に立つ四機のギア。

 人に絶望を与える機械兵器。

 通称――



         『絶機』



 その一機が。その一機だけで。

 今、彼等を。数手で翻弄し、裏世界でも有数に致命傷を与え、数秒で蹴散らした存在である。














「こうなることは


 そう。

 こうなるべき世界を何度も見てきた。


「……だから、こうなるべきではないと、こうならないように動いた」


 何度も見てきた。

 何度も繰り返してきた。


「間違いない」


 誰がこの世界を変えることができるのか。

 誰がこの仲間達を救えるのか。


「お前だ。冬。お前に関われば関わるほどに」


 何度も繰り返した。

 確証が持てた。

 だから動いた。

 だから


「世界は、変わる。変えられる」



 だから。

 今、今まで俺が見ていた最悪の、そうなる未来は、回避される。


 彼が、そうなるべき未来を、変えたから。


 黒い鎌デスサイズをもった青年は、その戦闘地帯から遥か遠く。


「だから……俺と一緒に、戦ってくれ……冬」


 そう呟くと、ゆっくりと戦場へと向かう。





 彼が向かうその先――シグマ達が戦う戦闘地帯では。

 ギアの指が、シグマの眼球に触れた瞬間であった。


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