Route End:『冬』と『姉達』と

第141話:エレベータの先に

 冬の義兄となった常立春とこたちはるが、一人で食堂に残り、自身と同じ『別天津ことあまつ』である刃月美菜はづきみなと相対し、撃破した頃。


「……あの、枢機卿カーディナル?」


 冬は、困っていた。


 それもそのはず。

 避難先であった華名財閥当主、華名貴美子の屋敷の食堂から、枢機卿にお姫様抱っこされて裏世界へと移動しようとしたのはすでに数時間前。


 いつも自分が使っていた裏世界への入り口――駄菓子屋の奥にある屋内エレベータに乗り込んだのはつい先程の話で。


 駄菓子屋の、入店してきた冬を『ラムダ』と知っている店員が、ぎょっとした顔をして敵対行動に移ろうとした矢先に、


『貴方の上位者である、A級殺人許可証所持者『シグマ』に敵対行動を向けるのであれば、死を覚悟しなさい。私から渡される、死という褒美が欲しいのでしょう?』


 と、枢機卿の怒りと、シグマという有名なコードネームをもった冬に、恐怖を覚えてこくこくと頷き続けて道を開けるしかなかった店員の横を通り過ぎ、エレベータに乗り込んだのもつい先程だ。


 今は、そのエレベータがゆっくりと地下――裏世界へと下りていくその軽い浮遊感を味わっているところだが……。


『……』

「あのですね、枢機卿」

『……』


 先程から何か考え事をしたまま話しかけても反応しない枢機卿に、冬は困っていた。


 なぜなら。

 食堂から今に至るまで。

 その間、ずっと。


「そろそろ、下ろしてもらえませんかね?」


 お姫様抱っこされたままなのだから。

 枢機卿も、人に見つからないようにこの場へと駆け抜けてきていたが、流石に人に――駄菓子屋の店員や、ここに至るまでに偶然にも見てしまった人の視線が痛い。


 女性メイドに、中国風の服を来た、鍔の長い帽子で顔の見えない男が、お姫様抱っこされて走り去っていくのだ。


「流石に恥ずかしいのですが……枢機卿?」


 冬は静かに、邪魔にならないよう、枢機卿のお姫様抱っこに付き合っていた。

 勿論、枢機卿が言っていたことは合理的ではあったこともある。


 人は、疲れる。

 だからこそ、その一瞬にかけるために、力を温存する必要がある。

 必要なときに本来の力が出せなければ何も意味がないからということも理解できる。


 だが、それは。

 お姫様抱っこでなくてもよかったのではないか。


 そんなことを言いながらも、枢機卿に当初言われた通り、枢機卿の首に腕を回して落ちないようにしっかり固定している冬も冬ではあるのだが……。


『すーねえちゃん、ですね』

「……は?」


 冬は、耳を、疑った。


『いえ。弟となった貴方に、いつまでも枢機卿などと呼ばせるのもどうかと思いまして』

「……枢機卿で、いいのですが?」

『駄目ですね。可愛らしくない。……ピュアは姉さんなら、それに打ち勝つほどの呼び方を考えないと』


 これから戦いに向かうと言うときに。

 枢機卿は、何を考えていたのかと。

 てっきり、これからのことを考えているのかと。

 さては、何か重要なことでもまだあるのだろうと。


 あれだけ色んな話を知った。

 でも、まだ片鱗だ。

 まだまだ知らないことは多いのだろう。

 今まで以上の戦いもあるのだろう。


 そう思ったからこその、お姫様抱っこも、この羞恥も耐えていたわけなのだが。


「いや……かなりどうでもいい話で……」


 呆れを通り越してしまう。


 枢機卿はなぜ自分の姉になりたがるのか、冬には理解ができない。


 奇しくもその疑問は、義兄の春が思ったことと一緒だったことは冬は知らないが、なんだかんだで、互いの知らないところで意見が一致する二人である。


『どこがどうでもいいと。最優先事項ですよ。まあ、抱っこくらいはエレベータから下りるまでは許してあげましょう』

「あ、ありがとうございま……す?」


 何を譲歩されたのか分からないが、介抱された冬は枢機卿にお礼を言ってしまっていた。


『冬。真面目な話をしますが』


 そんな前置きもまたおかしい。

 だが、呼び方についてはやはり場を和ませるための冗談だったのかとほっとする。


「これから先の話ですね」


 話す必要はある。そう思った冬は、枢機卿の真面目な話を聞こうとしたのだが――


『すーねえちゃんと、すうねえ。どちらですか』


 真面目な話では、なかった。


「真面目な……」

『真面目な話ですよ。今から家族からなんて呼んでもらうかは必要なことでしょう?』


 枢機卿にとってはとても重要なことである。

 つい先程、やっと初めての家族が――春や雪からすれば当初から娘であるのだが――できたからこそ、浮かれてしまって正常な判断ができていないということもあるが、何より、これから先の戦いで自身を失うとも限らないのである。そう考えると、今二人だからこそ、その辺りをしっかりと話し合って、何度でも呼んで貰おうと画策しているのだった。


『ああ、そうです。こちらを預かっているのでした』


 冬がそんな二択しかないのかと姉呼びしなければならないことに困っているときに、枢機卿はドレスポケットから小さな部品を取り出した。


「これは……?」


 それは、複数の穴が空いた、長方形の四角い二つの箱だ。


『水原ナオ様より、新兵器の実験台になれとのことでしたよ』


 枢機卿は『よかったですね。使えそうな新しい武器ですよ』と、まるで冬の『糸』と『針』は弱々しいとでも言っているかのようだった。

 そんな新たな兵器――二つの箱は、頑丈そうなベルトで繋がっていた。枢機卿が冬の腰に備えてベルトを引き締めると、冬の黒い中国服風の黒と同じ色の箱は、両腰に小さなポシェットをつけているかのようなファッション感覚で目立たなく装着される。


「どんなものなのでしょうか……」


 ポシェットのようだからこそ武器というより小物を入れて活用するようにも見え。だが、目の前で動く枢機卿を作り出すほどの少女が『兵器』と言うのであれば、こんな小さな箱にも秘密があるのだと思える。


 中腰状態で密着するように箱を装着していた枢機卿が元の姿勢に戻ると、ぽんぽんっと肩を叩く。









『布がでるそうです』









 ……それ、糸や針より弱々しくないですか? なんて、冬には言葉にできず。


 更には。

 手にした時に、一つの事実が冬の脳裏に浮かぶ。


「……ま、まるで……」


 裁縫――


『今度、お姉さんに何か作ってくださいね』



 そんないっときの和み――冬からしたら和みよりも問題を抱えたようないっときではある――を交えつつ。


 ほんの少しの揺れとともに、エレベータは地下へと到着。

 いつも静音で開く扉は、ぎぎっと歪な音を立てて左右に開かれて。


「……え?」


 開いてすぐの液体の洗礼と、その先の戦いに、冬は巻き込まれる。


 ここからが。


 彼等の、世界を護る戦いの始まりである。

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