第140話:『春』 3

 今の美菜は、本体である自分とその人数の瞳が見つめる先――春の周りを囲む十人の視界が自分の脳内に映し出されていた。

 二十二の瞳によって見たままの映像が分割された画面として整理され、脳内で常時再生されている。


 そのような処理は人間の脳で行えば情報量にパンクしてしまいできるはずがないのだが、これは『人形遊びドールメイク』を扱うようになってから、視点を共有できることに気づいた美菜が、偏えに、自身が愛する永遠名冬を様々な角度から見つめ、焼き付けるため、型式で自分が扱う情報量を、別領域で処理する脳内拡張マルチタスクすることに成功したことによって編み出した技巧であった。


 本体が瞬きをしようが、余所見をしていようが。

 捉えた相手を別角度から別視点から脳に直接届く情報のため、死角がなかったのである。


 だからこそ。

 例え、春がどんな動きをしようと、見逃すはずがなかったのだ。


 なのに、彼女は、春を見失った。

 そして、その二十二の瞳は――


「なにって言われてもなぁ……」


 白い煙は、腕時計で時間を見る春の口からもわっと溢れては天井へと向かっては消え。

 ――ごとりと。

 二十二の瞳のうちの半分――十二の瞳が、美菜の脳内の接続から切れた。

 いや、正しくは切られた。が正しい。


 その死体が、まさに死体となり、食堂の地面に転がっていることを目の当たりにすれば。


 この状況から、この春という男が、『人形遊び』の接続状態についてと、その切断方法をすでに理解し対策を取られていることに驚きを隠せない。


 死体とリンクするには、相手の一部に自身の一部を植えつける必要があった。

 その植えつけたものを介してアンテナのように受送信を繰り返すことで相手を意のままに操ることができるこの能力は、相手に意志があれば雑音ノイズが走るため、死後の体を操ることが最も適していた。

 一部であればなんでもいい。それこそ、毛髪一本でも問題ない。死体の頭髪の中に、自身の髪を植え付けるだけで自分の言うことを聞くお人形が簡単に完成するのだ。

 そんな簡単な仕組みのものではあるが、数多の毛髪の中から別の人間の毛髪を見つけるなどは至難の業である。

 だからこそ、操られている対象をバラバラにでもしない限り、この能力が途切れさせられることはなかったのだ。


 今、この男によって接続を切られた死体は、無傷である。

 それこそ、その辺りに落ちている数本の髪の毛が抜け落ちた程度である。


 その結果から、明らかに、アンテナだけを狙ったということが瞬時に理解ができた。だが、その理解は、どうやって行ったのかが理解ができない。


 美菜は、万全の体制を持って、目の前の男と相対していたはずなのだから。


「……まあ、一応、見知った相手でもあるし? 義弟に報告するときに無残な状態だったら余計に悲しむだろ? 死んでいるって時点で立ち直れなさそうだからな」


 美菜の視線に気づいた春が、面倒そうに死体を無傷で倒した理由を説明する。

 驚愕する美菜とは別に、春としては、義弟の心証や印象、好感度を下げまいと色々考えた末の行動ではあった。


「ど……どうやって……?」


 できるはずがない。

 だが、もし。

 人間に出来るはずのないことを、この男が行ったのであれば。


 信じたくはないが、何をされたのか、美菜の脳裏を、掠めていく言葉があった。

 そして隠すこともなく、春がその答えを美菜に伝える。



「かる~く。時間を止めた程度なんだが」

「時間を……止め――」

「それ聞いたら誰もが言うんだよ。ありえないってな」

「ありえな――」

「――お前さ。目の前の俺を、なんだとおもってんだ?」


 そんなことを言われても、ファミレス時代から少しは面識はあるが、深く付き合ってきたわけでもないので知るわけがない。

 美菜が知っていることと言えば、目の前の男は、A級殺人許可証所持者『シグマ』であった男であり、そして先ほど、『元殺し屋』だと聞かされた。


「元殺し屋?……知らないの。美菜は、おじさんを、殺し屋として、見たことも聞いたこともない」


 殺し屋の中でも、美菜は『別天津』の弐つ名を名乗ることを許された特別な殺し屋の一人である。

 その彼女を驚愕させる――そのような存在であれば、彼女自身も知っているはずであり、その力に準じる程の力をもつ殺し屋であれば在野にいるはずがない。裏世界の誰もがその姿を知っているはずである。


 そんな、『時間を止める』なんて、凶悪で理不尽であり得ない力を持つ存在がいるのであれば。


「おじさん、なにもの?」

「ああ、だろうな。まあ名乗ったほうがいいんかね? 久しぶりの殺し屋稼業だからな。ちょっと楽しくなってきた」


 そう言って、春は煙草をぽいっと捨てると、名乗る。




「特定の殺し屋組織に所属はしてないが。元A級殺人許可証所持者『シグマ』にして、元殺し屋組合所属、常立春とこたちはるだ。弐つ名は――」











「――『天之常立あめのとこたち』だ」







 自身を、『別天津』の一人だと、名乗る。

 その名は、許可証協会を作り出した、一族に与えられた家名だ。


「一応、お前より別天津歴は長いんだ。だから、それに選ばれるほどに力のあるお前があんだけで終わらねぇ敵だってことはよぉく分かってるって話だ。んでもって、見てみたいんだっけか? 何をされているのか、知りたいんだっけか?」

「あ……あ……」


 まさか、この場で、自身の兄以外の『別天津』に会うと――敵として相対すると思っていなかった美菜は、言葉を失った。


「ま。とりあえず、だ。色々ふざけたことやってくれた、お強いおチビちゃんには? 同じ『別天津』の俺が、しっかりと。報いを受けさせてやろうかなってな。そんなわけでこの場に残ったわけだ」



 流石に、冬達に任せるのも荷が重いだろうし、な。


 と、春は先に裏世界へと向かわせた二人を思いながらため息をつき、黒装束のフードを深く被りなおす。


「ま、そんなわけで、とりあえずは、もう一回、食らっとけよ」


 攻撃が来る。

 そう瞬時に判断した美菜は、回避行動に移ろうと宙を舞った。


 その動きを見ながら、ゆっくりとした動作で、春は肉を捌くような分厚い包丁――肉切り包丁のようなナイフを取り出して宣言する。



「『呪』の型――」









        『刻渡りターンエンド







 そう言葉が春の言葉から紡がれると、






 しんっと、辺りから音が消えた。







「……この食堂から一瞬で逃げねぇと、巻き込まれるに決まってるだろ」


 その静かな食堂の中で、春がこつこつと、靴音を鳴らして歩く音だけがやけに響く。

 春が起こした、その技は、まさに奇跡であった。


 焦った表情を浮かべて宙返りをしようと空に浮かんだ姿のままの美菜。

 止めようと初動の動きでその場で固まる従業員達。


「正直、面倒だから、な。周りを相手にするより、能力の発生源を倒したほうがそれで終わるだろ?」


 そこにあるのは、「だるまさんが転んだ」を本格的に実行し、一歩たりとも、瞬きも呼吸もせずに、その場に、自分達が彫刻であるといわんばかりに動きを止める彼女達だけである。



 その場所――この食堂だけ。



 春以外の時間が、止まっているのだ。




「ま、こんなこと出来たら、普通やりたい放題だわな。こんなことやっても、時間動くまで気づかれないんだし。だ~から、使いたくないんだよな、これは」


 肉切り包丁をくるくるくると手元で器用に回しながら宙に浮いたままの美菜の傍に行くと、包丁を回すことをやめてグリップを握りなおした。

 その包丁を、次は美菜の胸元へと当たり前かのように置いた。

 それはまるで、そこが納刀場所だといわんばかりの行動で。

 すっと何の抵抗もなく包丁は美菜の胸元へと入り込み、すっぽり刀身が納まった。


 続けて、何本かの包丁をどこかから取り出すと――


 ――片腕ずつに、足の脛と腿に、腹部に、首元に、と。


 他の箇所にも美菜の体の至るところに納めていく。そうされても、美菜は表情を変えることなく、その宙に浮いたままの姿でどんどんと体に包丁を埋め込んでいく。


 やがてそこには。

 無造作に包丁を納め続けられてハリネズミのように持ち手をあらゆるところに生やした、モニュメントが出来上がった。



「そういえば……」


 刻が動いたときに、どうなるのか。

 それは、刻が動いたときに本人含めて全てが分かるのだが……。

 今、分かっていることといえば。


「姫がこの力見てから名前変えろって言ってたな……何だったか……確か――」


 どうやら、ここにも。


「『刻渡りチートやろう』、だったか?」


 冬以外にも。

 鎖姫による、名付けの犠牲者が、いた、と言うことだけだった。


「まー、気持ちは分からんでもないが。制限あるし、その中で動けるアイツのほうがチートなんだがなぁ」



 止まった『刻』は、春の指先を擦り付けて鳴らしたぱちんっと音とともに、動き出す。


「――きゅぺ」


 刻が動いた瞬間。

 そんな奇妙な声にもならない音と共に。

 跳ね上がろうとした体はすぐに失墜し、真っ赤な花が、そこに咲いた。


 何もわからずに。

 二度と動くことのない新鮮な死体が一つ。

 赤い花びらの中心に横たわる。

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