型式

第70話:選択肢


「ただいまです……」


 冬が姫との戦いにかなり消耗していたと気づいたのは、広大な緑地公園からでてすぐだった。


 びきびきと音をたてる痛む体に鞭打って。

 やっと自宅が見えたときには、ほんの少し涙が零れ、歓喜に溢れるくらいに。

 姫との戦いよりも頑張っているのではないかと、自分の体のどこにこんな力がまだ残っていたのかと、火事場の馬鹿力とも言える力で自宅の玄関ドアに手をかけ、中に入った。


 入ったその先で。

 冬は、選択肢を迫られることになる。



















「おかえりなさーい冬ちゃん。ねぇねぇ。お仕事お疲れの私のだ・ん・な・さ・ま~。今日は私にする? 私に、する? それとも~……私にする?」


 選択肢は、一択だった。


 忘れていました。

 杯波さんがいるんでした……。


 エプロン姿がよく似合うファミレスの看板娘は、自室に入ってきた冬の腕に絡まって嬉しそうにはしゃいでいる。


「和美さぁ~ん……」


 頭痛でもするのか、こめかみを抑えながらキッチンからスズが少し遅れて現れた。


「ただいまです」

「おかえり。冬。……とりあえず、和美さんは離れてくださいっ!」


 スズの頭痛の種は、目下、冬の腕に恋人のように腕を絡ませる和美である。


「えー。冬ちゃんと新婚ごっこしたーい」

「しん……そ、それで選択肢ひとつしかないっておかしいですよっ」

「え……? あれだけじゃ、ないの?」

「……だけじゃないと思います……」


 和美を振り払えるわけもなく、冬は苦笑いを浮かべつつ、そのままリビングへと歩いてソファーに座って一息。


「わ。冬ちゃんがこんなに疲れてる所初めてみたかも」


 ぐったりした冬を見て、流石に和美も遠慮したのか、離れて反対側に座ると心配そうに見つめてきた。


「大変だったのかな?」

「大変なんてものでは……」

「ねぇ、スズちゃん。冬ちゃんっていつもこんな感じでお疲れなの?」

「今日みたいな日は珍しいけど……冬、大丈夫?」


 飲み物を用意して和美の隣に座るスズにも声をかけられるも、流石に気を張り直す気力もない。


 ただただ、ぐでっとソファーを一人占拠して、疲れたアピールしかできず。


「水原さんに、裏世界の厳しさを教えられまして……」

「あれ? 遺跡にいってたんじゃ?」

「行きましたよ。……行った先で、洗礼を受けました」

「うわぁ……」


 姫が冬と同じ許可証所持者であり、上位の資格を有していることは知っていたため、上司の扱きを受けて帰ってきたのだと理解した。


「大変だったんだねー……」


 だが。裏世界のなんたるかを知らない二人からすると、想像も出来ないので感想はそんなものである。


 簡単に言えば。

 遊びと称され戦い、新技さえもあっさり破られ、ガトリングをぶっ放されて簡単に殺されかけて未熟さを知ったという話ではあるのだが、説明したら余計に心配されそうなので話すことは止めておいた。


「収穫はあったのでよかったにはよかったのですが」


 それでも、収穫はあった。

 『型式かたしき』という力を知ることができ、上位所持者の圧倒的な強さも知れた。そして、これから先、同等の力を持つ存在とも戦うことになるだろうということも。


 ファミレスで瑠璃が、「よく調べておいた方がいい」と言ったのは、こういう情報なのだろうと、改めて思う。


『ラムダ。あなたは何をしたのですか……』


 枢機卿にも情報提供してもらおうと思ったところで、タイミングよく。

 呆れたような機械音声が、突如聞こえた。


「あ、すーちゃんだ」

『声だけ失礼しますよ、和美様』

「もー、呼び捨てでいいですよー」

『性分なもので』


 冬は、「僕がいない間に何が……」と、仲良く当たり前に話し出した女性陣(一体機械)に驚くばかりだった。


「えっと? 枢機卿カーディナル。僕は何かやらかしましたか?」

『あなたは、『紅蓮』と知り合いでしたか?』


 『紅蓮ぐれん』。


 そんな名前は堅気には居なさそうな名前だ。ただ、裏世界ではいそうだとも思う。


 冬は、それを『コードネーム』または姫のような『弍つ名ふたつな』ではないかと考察した。


 だとしても――


「いえ。そのような方は聞いたことがありませんが……」

『何もしていない? なら、なぜ。A級殺人許可証所持者である紅蓮から、あなたの住所を聞かれたのですか』

「え……?」


 なぜ、と聞かれても。

 勿論、分かるわけがない。


 こう言ってはなんだが。

 冬は、ラムダとしても、冬としても。

 仲間や友人は多い方ではない。

 特に、裏世界での知り合いともなると、数えられるほどだ。


 A級殺人許可証所持者といえば、冬の知り合いでは、『ガンマ』こと遥瑠璃と『シグマ』くらいである。

 他には、上位であれば、会ったことのないB級殺人許可証所持者『戦乙女ヴァルキリー』と、顔は見たことはないが、S級殺人許可証所持者『ピュア』とも面識はあるが、その名は知らなかった。


 他にいないかと考えてみるが、同期のC級殺人許可証所持者の『フレックルズ』こと立花松と、千古樹こと『大樹』の二人くらいしか思い付かない。


「僕、そこまで交友関係広いわけでは」

「え? 冬ちゃん、ぼっち?」

「ぼっちというほどでもないのですが……」


 そろそろ本格的に手詰まりを感じていた冬も、交友関係を拡げるべきかとも思っていたのだが、愛しいスズに魔の手が色んな意味で迫ると考えると、乗り気にはなれず。

 ついつい後回しにしていたのである。


「あ。でも。冬って学生時代のときも、周りに人は多かったけど、深く関わろうとしてなかったね」

「許可証を取ることを目標としていたからですよ」

「そうじゃなくても、私から見ても友達って呼べるような人、少ないよ?」


 二人が、冬の心を抉っては、抉る。

 心と体を姫に痛め付けられ――痛めたのはただ自分が新技ちゅうにびょうを放ったからだが――心の癒しを求めた自宅でもなぜか精神を抉られ。


 誰も、味方がいない……


 なんて、思った時だった。



 ――ピンポーン



 誰かが、来た。


『……出ないのですか?』

「嫌な予感しかしないのですが……」

『でしょうね』


 冬は諦めのため息をついて玄関まで行くと、かちゃっとドアを開けた。


「君がラムダ君かな? 初めまして」


 ドアの先には、中性的な雰囲気を持つ、恐らくは男性であろう人が、そこにいた。


 『ラムダ』とコードネームで呼ぶことからして、明らかに裏世界の関係者であるその男性は、笑顔を絶やさず冬を見つめ。


「はい。どちら様でしょうか」


 その辺りにいそうな、黒いカジュアルのスーツ姿をした男性。

 澄み渡った青い海を思わせる長いその髪は、後ろで黄色のリボンで束ねてポニーテール状に。細目なのか、笑顔を浮かべているためか、目は閉じているようにも見える。


「『鎖姫』に言われてね。会いに来たんだ」

「え? 水原さんに、ですか?」

「あれ? 聞いてなかったかな」


 冬は、あの場で別れたメイドが何を言っていたか考える。


 <シグマから何も聞かされていなさそうでしたので。……型式とは何か。教えてくれる方でも紹介しましょうか>


 ……あれ?

 これって、まさか……。


「さて。僕の時間もないから、とっとと済ませちゃおうか」

「え……型式を教えて……?」

「うん。そうだよ。ここだと教えられないから、場所変えようか」


 型式を教えてくれると言う弓に、すぐに来たチャンスに嬉しさはあるものの。

 わざわざ自宅に上位所持者が来訪しているのに、「今日はちょっと……」なんて言える勇気も持ち合わせておらず。



 やっぱり。

 また拉致られるようです。


 和美をストーカーから保護するという役目も、勿論、果たせてはいない。


「ああ、そうだ。僕の名前は青柳弓あおやなぎゆみ。よろしくね、永遠名冬君」



 冬が自宅でゆっくりする時間は、なく。


 今度は。

 選択肢が、なかった。

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