第三章:B級への道
あの日あの時、隠した涙の理由
第61話:『私』の秘密
私は……冬に隠し事をしている。
今日も私は、冬にそれを話すべきなのか迷いながら。
冬の帰りを、冬の自宅で待っている。
『あなたは、厳密に言うと、人と形容することが難しい存在です』
いきなり現れた半透明の液晶画面から伝えられた一言に。
「……え?」
そう返すしか、出来なかった。
それこそ、先ほど伝えられた、冬が巷で噂の殺人許可証所持者だってこととか、人を殺した経験がすでにあるとか。
そんなことを言われたことよりも、驚いた。
『疑似人工生命体、個体名称『鈴』。あなたは、裏世界に拉致された身寄りのなかった子供を、人体実験施設『
「……なんなんですか、いきなり。……私が拉致された? そんなわけないじゃないですか」
いきなり告げてくるよく分からない液晶画面――
その液晶画面の先に人がいるのか、それともこの液晶画面そのものが声を出しているのかはわからないけど、そこに誰かがいることだけはわかる。
だから私は、その先にいる女性と思われる声の主に、いきなり突き付けられた嫌疑を晴らすために意志を伝えた。
「私は、冬と小さい頃から一緒ですよ? それこそ周りが私達のこと恋人同士だって勘違いするくらいにずっと一緒に。だったら冬だって、拉致されてそこにいたって言うんですか?」
私には冬という、小さい頃からの幼馴染みがいる。
恋人同士だってよく勘違いされていたけど、今は……というか、昨日の夜から?
『信じられませんか? では、家族のことを教えてください』
何を言うのかと。
そんなのすぐに思い出せる。
私は冬と小さい頃から一緒にいて、家族と冬の家の近くに住んでいて――
……あれ?
私……家族っていたっけ?
あれ? あれ?
私、どこに住んでいるの?
私の親は? 家族は? 誰?
『わかりましたか?』
「分かるって……何を……」
私は言われたことを何度も頭の中で反芻した。
なぜ思い出せないのか。思い出せるはず。
そんなわけがない。
思い出せないわけがないことを、思い出せるように、必死に。
『あなたには、人として生きてきた記憶は、永遠名冬と出会ったということくらいしかないはずです』
「……そ、そんなこと……」
だけど、その中には何もない。
私の傍にいるのは、冬という愛しい人だけだった。
『しかも――』
目の前の声は、的確に私の考えを読み取るかのように伝えてくる。
『あなたは、永遠名冬とどうやって出会ったかも思い出せませんね?』
「――っ!」
そう言われて、胸が締め付けられるように痛んだ。
……思い出せない。
なんで? どこで私は冬と会ったの? いつ、どこで? 小さい頃から? 幼馴染?
そんな、当たり前だと思っていた記憶が、どこにも。
考えてみたら、どこにもない。
『もっとも、それは永遠名冬も、あなたとどうやって出会ったか、聞かれた時に思い出せないでしょうけど』
私は……
なんで……何で何も思い出せないの?
なんで……今まで気にならなかったの?
「なんで……」
『ですから先ほども申し上げました』
私は、なんなの? そう目の前の声に心の中で聞いてしまった。
『あなたは、裏世界に拉致された身寄りのなかった子供が、人体実験施設『月読』で弄られた実験体。人が物を品種改良することと同義に扱われた人の形をした玩具です。人を品種として考えて遺伝子を弄った結果何が生まれるかを調べる為に連れてこられた実験体。疑似人工生命体、個体名称『鈴』。それがあなたの正体です』
私が……品種改良された……人?
そんなこと、許されるのかと、思った。
『許されますよ。それが裏世界ですから。ちなみに。劣性遺伝子の残りが、その髪質になりますね』
確かに、こんな髪の色、染めない限りこんな色にならない。私の紫色の前髪さえもそこに繋がるのかと思って言葉を失った。
「でも、それと思い出せないって話は、関係――」
『あなたがどうして思い出せないのか。それは記憶がそもそもないからですよ』
「記憶が……ない?」
『元々そんな記憶はないのですよ。なぜなら、私が、あなたが普通に暮らせるように基本設定を決めたのですから』
「……なに、それ……」
『とある人から依頼を受けて、あなたの基本設定を私が考え植え付けた結果、今のあなたになるのですよ』
この声に、自分の今まで生きてきたと思っていたすべてを否定されたような気がした。
じゃあ、私が私だと今まで思って生きてきたすべては、この声の人が決めたことで、私はそもそもそんな人生を生きてきていなかったってこと……?
『そうですよ。だってあなたは、ずっと。遺伝子を弄られ続けるだけの、感情さえ持たない、培養液の中に浮いているだけの素材であり素体でしたからね』
もう、何も言えなくなった。
もし本当にこの声の人が言っていることが本当だとしたら。
――ううん。多分本当なんだと思う。
だって、いくら考えても、この声の人が言うように。
考えれば考える程に。
私の中には、何もない。
空っぽなだけだったから。
……でも、そんな中に。
一つだけ。一人だけ。いてくれる人がいる。
「冬……私……」
ずっと居続けてくれる、大事な人。
どこで出会ったかもわからない冬――
私がたとえ、どこで出会ったのかさえ分からなかったとしても。
この、冬への想いは、きっと、本当の想いだと――
だって、この記憶だけは、気持ちだけは。
ずっと、思い出せない記憶じゃなくて、ずっとあり続けるから。
『そんなあなたと、永遠名冬が一緒になるということもまた、必然なのかもしれませんね』
「え……?」
込み上げてきた涙が、冬の名前を聞いて止まった。
冬が、なんなの?
冬も、同じなの……?
『知っておきなさい。だから今、アレがいない時を選んだのです。あなたが、これから永遠名冬と添い遂げるというのなら……あなたは知る権利がある――』
「ただいま。スズ」
間もなく外も暗くなる時間。
私と冬の自宅となったこの家に、所有者の彼が帰ってきた。
私はいつもみたいにリビングで彼を待つ。
ゆっくりと玄関から短い廊下を歩いて、キッチンの横を通りすぎて、リビングへと向かってくる、私の大切な人。
「スズ?」
私の記憶の中にずっと。
唯一いてくれた、私が唯一縋れる大切な人――
――冬に私の想いを伝えて初めて結ばれて。
冬が勇気を出して私に、自分が殺人許可証だって伝えてくれたあの日から。
「おかえりなさい」
大好きな笑顔を向ける、私のことを好きでいてくれる、大切な人。
そんな彼に。私は隠し事をしている。
枢機卿は私に言ってくれた。
『きっと。永遠名冬にあなたが知ったことを伝えたとしても』
『あの子はちゃんと、あなたのことを想ってくれていますよ』
『だから安心しなさい』
『あなたとあの子が想う、お互いの気持ちは、本物ですよ』
例え、言ったとしても。
言って冬がずっと傍にいてくれると思っていても。
そう信じていても。
……やっぱり、伝えることが、怖い。
一年経った今でも。
枢機卿が教えてくれた、私の秘密と、冬の秘密を――
「はい。ただいまです。スズ」
――私は冬に、伝えられていない。
隠し事する私を許して。
冬……
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