第60話:そして、始まる


 最愛の人が自分の胸に顔を埋めている。


 そんな感傷は後にして。

 とにかく今は逃げないと。


 さらっと気持ちを切り替え、冬はすぐにリビングへと向かい荷造りをしだした。


「え。え? 冬?」


 まだ余韻に浸っていたかったスズとしては、あまりの変わり様に、きょとんと、名残惜しそうに自分の最愛の人を呼ぶ。


「ここから逃げますよ、スズ」

「なんで?」

「スズが枢機卿を見たからです」


 裏世界の許可証協会のもっとも重要である枢機卿を見た一般人がそのまま野放しにすることは、あの枢機卿が行うはずがない。


 あれから一時間は経っている。

 スズは標的とされ、すでに裏帳簿に載せられていてもおかしくない。


 こう言うときに、動きの早い枢機卿を恨めしく思う。


 事情を話すと、スズは真っ青になって焦りだす。


 逃避行までの時間はそれ程多くはない。


「どこか時間が作れる場所を見つけたら、すぐに枢機卿に話します。それまで逃げますよ」


 救いは、スズが一般人ということだ。


 最初のうちは、上位殺人許可証所持者が襲ってくることはないはず、と、冬は考えていた。


 それこそ、シグマや鎖姫がくるなんてことはないはず。

 フラグをたてちゃダメだと、一瞬頭に浮かんだ二人を消し去って支度を整える。






 そんな時間は、勿論ない。

 それが、枢機卿だから。

 枢機卿から、逃げられるわけがないのだ。









「おらぁ! でてこいやぁ!」


 がんがんと玄関を叩く音が聞こえてきた。


「え……なに?」

「……まさか、もうすでに……?」


 スズがその怒鳴り声に近い大きな声に、びくっと体を震わして抱きついてきた。


 冬の脳裏に浮かぶは、枢機卿を見てしまったスズの追っ手だ。

 すでに手配され、黒帳簿ブラックリストに載せられたスズを殺しに来た殺人許可証所持者。


 枢機卿の手の早さや、その手配をすぐに実行しようとする殺人許可証所持者が――


「いやいや、その言い方だと、確実に殺し合いになるからね?」

「なんやねん! わいはただ冬の彼女がどんな子かみたいだけやねん!」


 ――知り合い。


 なんで二人が追っ手。

 そうまでして枢機卿はスズを殺したいのかと、枢機卿に怒りが沸いた。

 二人が依頼を受けたのだとしたら、冬に勝てる自信がない。


 そんながんがんと叩かれる扉はすぐに音を止め。


「冬君? 大丈夫だよ。枢機卿からは何も出てないから安心して」

「なにびびっとんねん。とっととあけぇや」


 開けて欲しい。

 そう言う、扉の前にいるはずの仲間の二人に、


「そろそろ破るぞー」

「いや、かなり警戒されるからね?」


 ……警戒心しか、出てこない。


『いいから、開けなさい』


 すぅっと、リビングにいつの間にか。

 また冬が付けっぱなしにしていた許可証所持者専用サイトから声が聞こえだす。


「枢機卿……」


 この状況を起こした元凶の声がするのも、警戒心しか植えつけなかった。


『安心しなさい。水無月スズ様には何もペナルティはありません』


 警戒心を植え付けてきた元凶に言われても、説得力はなく。


『ラムダ。何か勘違いしているようですが、私は――』


 かつんっと。

 玄関ドアのドアノブが綺麗に切り落とされ。


「なんやねん。最初っから開いとるやんけ」


 その先から、にたぁっと下衆な笑みを浮かべる松の顔の一部が見え。


「だから……そばかす君。そのやり方は相手に恐怖しか植え付けないって」

「そばかす言うなやっ!」


 とんっと、ドアノブがなくなり押すしかなくなったドアが押され。

 そう言えば、スズは玄関の鍵を閉めてないですね。と、今の状況の中、今更ながらにどうでもいいことが脳裏を掠める。



「……冬の、お友達?」

「お友達というか……」

「殺人許可証所持者で、同期で仲間だよ。可愛いお嬢さん」



 なんて、いつもの笑顔を浮かべながらぴこぴこと嬉しそうに頭頂の筆を揺らす瑠璃が。


「とにかく。何もないから安心して」

「そやで。見に来ただけや。羨ましくてはっ倒したいわ」

『どこへ逃げようとしているのか分かりませんが、話を聞きなさい』


 なんだか、家が騒がしくなりそう。


 敵ではなさそうな二人に安堵しながら。

 その玄関の修理は誰がやるのかと恨めしく思いつつ、二人を家へと上げた。



 ……枢機卿からは逃げられない。

 別の意味でそう思った。





「あのね。冬。枢機卿さんと話した時に、私は何も悪くないって言われてたから。冬が急にあんなこと言うから焦っちゃった」


 松と瑠璃にキッチンで入れたコーヒーを出しながらスズにそんなことを言われ、冬は自分が早合点しすぎていたことに気づいた。


「かっ。なんや。可愛い子ちゃん守ろうと必死やな」

「当たり前じゃないですか」

「そばかす君は配慮がないね」

「そばかす言うなや、筆ペン」


 きっと、張りつめていたからだろう。

 二人がにこやかに牽制する会話も冬には妙に懐かしく感じる。


『スズ様。これからはすーちゃんとでもお呼びください』

「え? すーちゃん?……どこに枢機卿カーディナルって名前のなかに……」

『すうききょう、に入っておりますよ』

「だからすー――……そのネーミングセンス、誰……」


 そんな勘違いの元凶の、スズへの優しい声に、


「僕も――」

『あなたが言ったら黒帳簿ブラックリスト行きです』


 ……早合点、してましたかね? ほんとに。


 相変わらず、冬には舌打ち混じりで返す枢機卿に、松も瑠璃も唖然としている。


『スズ様には、将来有望とされた許可証所持者に害意がないか確認させて頂いただけで、処罰等与えるわけがありません』


 忌々しいと、冬には刺々しいことに、誰もが「なんで?」と疑問符が浮かぶ。


「なぜ、そのようなことを?」

『依頼があったからですよ。……依頼主は明かせませんが』

「私、そんな悪い人に見えるかな……」

『いえいえ。可愛らしいですよ。シグマの馬鹿がこんな依頼をしてこなければまどろっこしいことなどしませんでした』


 依頼主、普通に言ってるし。

 そんな四人の心の声は彼方へと。


『とにかく。あなたは仮にも私を見てしまったこともあり、保護下に置かれますので、十二分にラムダに守られてください』


 忌々しいことに。

 なぜ、忌々しいと一言付け加えられるのか、さっぱり分からない冬だった。


 でも。

 これで、スズは何事もなく、平和に暮らしていけると思うと、嬉しかった。


「ちゃんと、死ぬまで護ってね」

「死なせませんよ、スズ……」


 隣に座って冬の膝に置いた手に手を添えながら、嬉しそうに笑顔を向けるスズに言葉を返し。


「かっ。わいも彼女欲しいわぁ」

「ファミレスに女性いっぱいいるよ?」

「ありゃ、大体冬のやんけ」


 ソファーに座って祝福してくれる仲間に感謝し、


「浮気、許さない」


 カ◯オ君みたいに耳を引っ張られながら、これからのことを考える。


『やることが増えましたね』

「あ。冬君も目的があったんだね」


 瑠璃に「なかったらこんな物騒なものとりませんよ」と苦笑いする。


「なあ、冬。あんさん、なんのために許可証とったんや?」

「聞いてみたいね。協力できることなら協力するよ」

「冬、手伝ってもらったら?」

『……』

「それはですね――」




 ――ここから。

 仲間達と、最愛の人と。

 時々辛辣な人工知能とともに。






 裏世界へと姉を探すために足を踏み入れた少年の、裏世界全てを巻き込んだ世界改変の物語が、幕を開ける。






第二章『D級許可証所持者『ラムダ』』
































 ⇒ぴっ



 廃墟の中で、起動音が静かに鳴った。


『これでよかったのですか?』


 暗闇の中。

 半透明の緑の光だけが灯るその廃墟の一室に、緑のパネルから女性の機械音声だけが響く。


「いいのよ~。旦那が隠してたことを知りたかっただけだし」


 否。

 その機械音声に返す声が、目の前の暗闇からあった。


『旦那……ですか』

「なーに? 旦那じゃ悪い?」


 ぶーぶーと不満声が聞こえてきそうなほどに、女性は腕をばたばたさせて、座っていた机から、とんっと、地に足をつけた。


「殺人許可証所持者『ラムダ』、ね。うん、覚えた」


 緑の光に照らされた女性のその髪は、雪を思わせるように白く。


「冬……」


 女性が液晶画面に触れてスライドすると、そこにはスズと仲良く料理をしている冬の姿が映る。


「早く追い付いてこないと。知らないうちに、義兄さん、出来ちゃうぞ~」


 液晶画面に映る冬の姿に、嬉しそうに、慈しむように微笑みを見せる。


『……喜ばしいことでは? むしろ。あなたは、ラムダに先越されないようにしないと』


 機械音声に「うっ」と言葉を失い。


『それに。もうすでに、兄弟のようにお互いが接してましたよ』

「そなの!? だったら安心ねーっ!」

『それよりも』


 そんな常に話を反らす嬉しそうに騒ぐ女性に、本題を切り出した。


『……本当に、スズ様はあれでよかったのですね?』


 意味深に機械音声が意思を確認する。


「いいのよー。冬にべったりだったんだから」

『そっちの話では……』


 呆れたような機械音声に、画面を元の半透明の緑色に変えながら、「わかってるわよ」とくすくすと笑う。


『本当に。スズ様にお伝えしてよかったのですか? 彼がいない間に』

『鈴』。あの子が裏世界で作られた生命体ぎせいしゃって話?」

『……廃棄予定だったプロトタイプ達を『月読』から奪っても。また次が生まれるだけですよ。あの時処分すべきでしたよ。なんなら今でも――』

「幸せになって欲しいでしょー。またよろしくねー」


 それ以上は議論することはないと言わんばかりに画面を消すと、消えた画面があった場所を名残惜しそうに見ながら、女性は呟く。


「またね」


 そして。

 暗闇だけが残った。








――――

あとがき

ここでカクヨムコンテスト5は打ち止めとなりました。

面白いと思っていただけたならお星さまを

☆☆☆⇛★★★に色塗りをして頂けると励みになりますのでぜひよろしくお願いします(≧∀≦)

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