第51話:天然すぎる彼
病院の屋上。
これからのことを担当医と両親が話している間、未保は席を外してそこに向かっていた。
何年も通った病院で考え事をする時、よくここへ来る。
今考えるべきなのは自分の目のことだ。
両親や親族は、未保の目が治る可能性に喜んでいたが、親族へその手術代がどこから出ることになったかは、流石に言えなかった。
その出先が特殊だからこそ、慎重に考えるべきなのだが、両親の喜びように手術を受けるべきだと分かっていても、踏ん切りがつけることが出来ないままに、数日経っていた。
ラムダという気になる出資者にも、そろそろ回答が必要と考えると尚更である。
「……?」
ゆっくりと階段を踏みしめながら辿り着いた屋上には、先客がいた。
屋上入り口の壁に寄り掛かって座る、ぴくりとも動かない人の気配。
静かな息遣いが聞こえ、寝ていると、未保は判断する。
「……」
一人で考え事をしたかった未保は、先客がいたことに残念な気分になりながらも、その先客がなぜこんな所で寝ているのか不思議だった。
もし、この人が知り合いの病院関係者なら起こしてあげないといけないかもしれない。だけど、全く知らない人であったらどうしよう。
等と声をかけるか迷い、じっと寝ているであろうその人を見続ける。
そもそも、見えない未保には、そこに人がいるのかも疑わしかった。近づいても起きそうもないその人の前へと移動し、そこに人がいることを再確認する。
「……すぅ……」
目の前に人がいるのに起きない。
これなら知り合いか確かめる為に触っても起きないのではないだろうか。
なぜかそんな悪戯心が芽生えた未保は、失礼だと思いながらも、手探りで顔を捜し当て、起こさないようにそっと撫で始める。
熟睡しているその人を撫でる指先からの情報が脳内で構築されていき、次第にどんな顔をしているか想像図が浮かんでいく。
「……永遠名先輩……?」
顎まで来て、驚きのあまり震える手をゆっくりと離す。
「どうして……ここに……?」
そう呟き立ち上がろうとすると、足がもつれて体が前に傾き始めた。
倒れる……!
目の不自由な人にとって、倒れることはかなり恐怖を伴う。
倒れる先に何かがあっても見えない為、守れないからだ。
「きゃっ!」
「危ないっ!」
叫び声で目を覚ましたその人は、倒れてくる未保をしっかりと抱き抱え、クッションがわりになって衝撃を和らげてくれる。
未保の手が目の前の人の頭にぶつかり、何かが、ぱさっと、地面に落ちる音がした。
「……大丈夫、でしたか?」
衝撃を和らげるためとはいえ、未保は今、目の前にいた人の胸の中に顔を埋めていた。
「あ……はい……」
聞こえたその声はやはり。昨今気になって仕方がない先輩の声。
そんな先輩の胸に顔を埋めていることに余計に顔が熱くなる。
「あ、あの――」
「あ、すいません」
先輩も気づいたらしく、未保の背中に回す腕を離すと、解放された未保はあまりの恥ずかしさに、すぐに離れて背を向けた。
「……それで、答えは出ましたか?」
「え?」
「……ラムダです」
「ラムダ……さん?」
名前を名乗った目の前の人に、驚きを隠せなかった。
永遠名さんがラムダさん……? やっぱり、他人のそら似ではなく――
「どうか、しましたか?」
ラムダと名乗った男は、地面に落ちた何かを拾う動作をしているようで、動く気配を未保は感じ取った。
確認したい未保は、勇気を出して振り向き、背伸びをしてラムダの頬に触れる。
「……あの、なにか?」
何度か往復し、この顔の形は、紛れもなく学校で触った冬の顔だと確信する。
「永遠名先輩……」
「僕は、ラムダです」
「間違えるわけありません。この声、手から感じるこの顔……」
「……」
「どうして、ここに?」
触ることをやめ、少し焦るような、困ったような雰囲気を出すラムダの次の言葉を待つ。
「この顔は変装です。でも、そんなに似ている人がいるのなら、この顔はやめたほうがいいですね……間違えられるのは、その方にとって、迷惑ですから」
本当にも聞こえるし、嘘にも聞こえる。
望んだ答えではなかったが、それでも未保は、二人が同一人物だと確信していた。
その顔が見ることが出来れば。見えていたなら、確認ができるのに。
自分の目が見えないことが、とても苦しかった。
必然的に自分のなかで、迷っていたのが嘘のように、答えが決まった。
「答えは出ましたか?」
「……お願いします」
確かめたい。
永遠名さんの顔をこの目で見たい。
男の人の顔を見るために目を治すなんて変かもしれないけど、それでも私は……
未保はそう思いながら、ラムダを見る。
「後悔は、しませんね?」
「はい」
「……わかりました」
確かめたい。……好きな人と、ラムダさんが、同一人物なのかを……。
未保はこの時。
手術を受けることを決めた。
未保が去った屋上。
「……」
まずった。
屋上に誰か来るなど思ってもおらず。
ラムダは、病院で熟睡してしまったことを後悔していた。
院内で調べる仲間達三人と待ち合わせをしている間、あまりにも暇だったラムダこと冬は、糸でのあやとりもそこそこに眠ってしまっていたのだ。
とっさに変装だと言って誤魔化したものの、流石に無理がありすぎる。
「ぶあっはっはっはっ! 確実に可愛い子ちゃんに正体ばれてるやん!」
「学校も一緒なら、すぐにばれると思うけどね」
そんな冬を、戻ってきて一部始終を見ていた松と瑠璃が笑う。
「いやぁ……まいりました」
そこに、遅れて到着した香月店長にも問い詰められ呆れられ。
相変わらずの、冬の天然っぷりが発揮された瞬間だった。
数日後。病院の個室にて。
「――目を開けてみて……」
「……はい……」
巻かれていた包帯が、手術をした医師の手によってぱさりと取られた。
ゆっくりと目を開けると、窓から入ってくる木漏れ日の光を、目が認識した。
……眩しい。
「……」
四年間、見ることのなかった景色が、ぼんやりと見えてくる。
そこに映る、四年ぶりに見る両親の今にも叫んで泣きそうなその顔。
記憶にあるその顔より疲れて更けたような顔に、苦労をかけたのだと感じた。
「……」
辺りを見てみる。
そこは、見たことのない個室。
明らかに、自分が通っていた病院ではない。
「……どう? 見える?」
声が聞こえて隣を見ると、そこには包帯を片手に、もう片方は白衣のポケットに突っ込む奇麗な女性がいた。
何度か院内で聞いたことのある気がするその女性の声に、病院で綺麗と噂されていた、臨時医師だと気づくのにそこまで時間はかからなかった。
未保は知らないが、冬が以前病院で診察を受けた医師である。
「……はい。見えます……」
「あー、よかったー」
その言葉に親は喜び、泣き崩れながら何度も医師にお礼をしだした。
その両親を慌てて顔をあげるよう促すその医師に、ここはどこかと訪ねてみるが、「知らない方がいいわよ」と言われ、知らなかったらどうやって帰ればいいのかと思う。
目が見えるようになったという実感はあるが、その現実が、まだ未保には湧いてきていない。
「どう? 何かおかしなところはない?」
「特にありません」
「じゃあこれは?」
医師が人差し指と中指を立てる。
何本立っているか確認しようとしているようだ。
「……二本?」
「残念。勝利のブイ」
何を言っているのかと。
「よく頑張ったね。これでこれからはちゃんと見えるよ」
そう、頭をぐしぐしと撫でながら言う医師に、少しずつ。
やっと。
未保は、見えるようになったんだと自覚し始めた。
それと同時に、これからまたいろんなものが目で知覚できることに頭の中が一杯になり、自然と涙が溢れて目の前の景色が歪みだす。
「……」
言葉がでず。
ただ、嬉しかった。
施術を受ける前。
両親から聞かされた成功率は四割だと言われていた。
自身の状況も聞かされた。
服用していた薬が、治すためでなく、命の危険を伴うもので、薬の副作用で最初に視神経が麻痺したとも。
失敗すれば、もう二度と見ることはできなくなる。とも。
不安だった。
四年前まで見ていた光景を、もう一度見たかった。
好きな人の顔を、この目で見たかった。
起きたときに、目が見えなくなっていたら。
もう二度と見えることはないと言われたら。
「見えなくならなかった。だから。勝利のブイ、だよ」
「う……ぅぅ……」
お礼さえも言えないほどに、ただ嬉しくて泣き続けた。
決して、「この医師さん、美人だけど少し残念」なんて思ってない。
これから数日は慣れるために院内で生活することになるかもしれないけど。
退院することができたら、まず最初に会いに行こう。
私の好きなあの人――
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