第9話:慣れる先に


「な、なんだこれ……」

「おい、動けな――」

「やだ、やだ! 何が起きてるの!?」


 比較的広く見晴らしのいい場所に陣取って、楽しくバーベキューと洒落こんでいた、数人の男女が急に叫びだした。


 彼等は殺人許可証取得試験という、国家試験を受けた五百人の脱落者達だ。

 試験終了と共に全員が何人か刻みで別々の部屋へと通され、知らない者同士が鮨詰めのように集められたその部屋で不安を感じる中、現れた国家公務員を名乗る試験官から、国からちょっとした受験のお祝いと連れてこられた先が、この空気の透き通った森だった。

 誰もがその幻想的な世界に目を奪われ。

 同じ部屋にいた受験生同士でこれからのことを語りながら楽しんでいた矢先のことだった。


 他にも森の中を探索すると言って去っていった受験生達も戻ってくる気配がない。

 静かなバーベキュー場に先ほど一斉に見たことのない鳥類が慌てるように羽ばたき去っていく光景に、何事かと驚いていた時、



 急に体が動かなくなった。




 何かに締め付けられるように、体のあらゆる場所に巻き付く何かに、動きを阻害されて声を出して助けを求めることしかできなくなり、誰もが不安という感情が恐怖へと変わる。


「ひ、ひぃ――」

「誰か! 誰――ぷぎゅるっ」


 聞いたこともない声を上げた一人の男が、むくはずのない方向――梟のように顔面を後ろへと向けていた。

 くるくると何度も回り続ける男の顔は、一回転する頃にはすでに生気を失い。口から赤い色をした泡を吹き出しながら捻じ切れて行く。

 いきなり起きた目の前の惨劇に叫び声さえ失った女性の、隣にいた受験生の一人の驚く顔にも右頬から左頬にかけて一つの線が走る。


 ずるりと二つに裂けていく顔。

 ぼとりと地面に両腕を落とす受験生。


 さっきまで仲良く喋っていた仲間達が、様々な体の部分に一筋の線が走って崩れ落ちるように、ばらばらと、ずるりと赤い糸を引いて落ちていく。


「誰か、誰かっ! いや、いやぁぁっ!」


 最後に残った女性の一人も、目の前で血飛沫を上げる受験生と同じく動けず。

 自身も目の前の知り合い達と同じようになるのではないか。動きたくてもなぜか動けない状況に、半狂乱にただ叫ぶことしかできなかった。


 そんな女性の前に、その場に最初からいたかのように男が映った。


 片手を女性に向ける、黒い中国服の男だ。その表情は鍔の長い帽子を深く被ってみることはできない。


 助けてもらえる。


 そう思い、声をかけようとした時だった。


「――あ、あれ?」


 女性の視界がずれた。

 女性の目に、男の姿が斜めに映る。視界は一気にぐるりと回り、人の体のような物体を映し出す。

 高速で思考しだした脳は、あれは何だったのだろうかと、自分の体が先ほどまで纏っていた衣服を思い出す。

 その衣服と先ほどみた物体が着ていた衣服が同一だと脳が理解したとき、後頭部に固い物体がぶつかった。


 再度視界がくるくる回る。

 痛みを感じることもなくどこもかしこもぶつけながら、自分はなぜくるくると回っているのだろうかと思考する。

 しばらく回り続けた視界と共に、転がる度に赤い液体の線を地面に残し、生命が流れていく感覚を覚えながら、女性の生首は「やっと終わった」と最後に意識し、その意識を途絶えさせた。






 辺りを楽しそうにはしゃいでいた人が消え、静かになった殺人現場に、一人、黒い中国服の男が立っている。


「……この現場を、どうしたらいいのでしょうか……」


 黒い中国服の男――冬は目の前を転がっていき、動きを止めた生首を見た後、目の前で噴水のように切断面から液体を吹き出す女性の体を見ながら言った。


 もう何人も先程から見つけては殺している。

 だからそんなことを思う必要はまったくなかったのだが、ずっと一人でいるからか、誰もその声を聞くはずもないからか、ぼそりと冬は呟いてしまっていた。


 出会うのは、無抵抗な受験生だった。

 その受験生をで捕らえ続け、武器は赤く血塗られ、真っ赤に染まってしまっていた。


 正規の受験生として集められた百名とは違い、まさに最初から『脱落者』であった受験生達であろう。

 デスゲームでありサバイバルである森の中で、何を楽しく遊んでいるのかと軽く怒りを覚えてしまう程に能天気だった。


 その怒りをただぶつけるだけで、笑顔を見せたまま簡単に死んでいく。

 殺すことに、今ではもう最初はあった抵抗もすでにない。


 数人目までは殺さなきゃと思っていたその心は、二十人を超えた辺りで命とはとても儚いものだと思い始め、いかに気づかれず、いかに苦しませずに殺せるかに移り変わる。

 すでに、何人殺したのだろうかとさえ、思うこともなく。

 ただ、生きる為だけに、冬は殺し続けていた。


 自身の持つ武器は、この場ではとても適している。そう思うだけだった。


「そのままにしておけばいい」


 彼の質問に答える声が、木々の風に揺れるざわめきと共に聞こえた。


 冬の背後。

 バーベキューの鉄板の上に乗ってじゅうじゅうと焼ける音を立てる誰かの腕を、無造作に捨てながら、まるで今から焼肉でも食べるかのように座る男がいた。


 何の飾りっ気のない、黒装束の男。冬の帽子とは違い、フードを深く被り顔を隠し、手にはこれから肉のようなものを捌くかのような厚みのあるナイフを握っている。


 誰かいると分かっていたわけではない。だが、試験前にいた誰かが自分を追跡しているであろうことはうっすらとは分かっていた。


 最初に人を殺す前に感じていた殺気。何度隠れても向けられる追跡者の目。

 殺気の持ち主はこの男かと思わずにはいられない程、唐突に男は現れた。


 至近距離まで来られて気づかないとは冬自身も思っておらず、内心では胸を高鳴らせながら、冷静を保つことに必死だった。


「これで君は、五十人程殺したわけだ」

「数えていたってことは、ずっと見ていたわけですか?」

「ああ、見ていた。鮮やかな手並みだ。……どうだ? 人を殺した感覚は」


 この男が、追いかけていた追跡者だと確信する。

 それであれば、この男は敵。


 冬はこの男の気配を感じ取ろうとした。

 なのに、目の前にいるのに気配を感じられない。


 人は少なからず気配を持っている。

 その気配を人より機敏に感じとることができ、この時の為に常に気配を読み取る訓練を常日頃から行っていた冬にとって、目の前にいるのに気配を感じ取れないというのは初めての経験で――

 ――一般人が垂れ流す気配とはまったく違う黒装束の男に驚愕した。


「……人を殺した感覚なんて、いいものじゃありません」


 は、わざと感じさせて、その場にいた受験者の力を試していたのだと気づく。

 始まる前に周りに誰か人がいたことに気づいた受験者はあの中に何人いただろうか。気づくことができた冬が、珍しい存在であるはずだ。

 なのに、あの場にいたはずのこの男は、気配を感じとることができない。


 そう言えば、開始前の試験の概要に書いてあった。


 『殺人許可証所持者が数名潜んでいる。無差別に殺す』


 まさかいきなり。

 自身を簡単に殺せる存在――この試験で出会ってはいけない本命に出会ってしまうとは、冬は思ってもみなかった。

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