第8話:殺しの感覚



 冬は大木の枝の上で辺りの気配を探っていた。


 すでに試験は始まっている。

 遠くの木々が揺れ、木々で休んでいた見たこともない鮮やかな鳥が一斉に羽ばたいた。


 脱落者か、それとも殺人許可証所持者に襲撃されたのか。その辺りではすでに殺しが始まっているのだろう。


 冬にはどちらかは分からなかったが、自分には今は関係ないことだと思いつつ、自分の身を守る為に気配を隠して潜む。


 冬も、余裕がない状態だった。


 冬の頬を、大粒の汗が伝う。

 いくら気配を消しても、隠れてもすぐに場所を突き止めてくるその追跡者に、次第に精神的な疲労が蓄積していく。


 彼は先程から、何者かに狙われているのだ。


「……囲まれましたか」


 すでに何度も場所を変えていた。

 その間に、見つかってしまったらしい。


 冬の拳に力が加わる。

 辺りに漂う威圧感が、相手の技量が底知れないものだと物語っていた。



 がさっと、葉が揺れる音が一斉に鳴った。


 自身の周りに執拗に纏わりつく殺気に、冬は反応を遅らせてしまう。それは、この場では致命的なものだ。



 目の前に三人、背後に四人。一斉に茂みから飛び出し、冬を狙う。


 シャンッと僧侶が錫杖を鳴らしたような音が響く。七人の利き腕の手首の辺りから、裏世界でよく使われている暗器――カタールの刀身が現れる音だと分かる。



「数がっ!?」



 腕の延長のように生える刃は、的確に冬の首を狙って振われる。冬はそれを避けきることができない。


 一斉の攻撃に、捌くことさえできず――


 ――七人の剣が、冬の首や体に突き刺さった。


 ぐりっと捻るように刺さるものもあれば、首を落とさんと薙ぐように振るわれた刃の猛攻。

 糸の切れた人形のような形で固まる冬の体が、一瞬の静止の後ぐらつき、木上から落ちていく。


「はっ。やったか」

「ああ。ちょろ――っ!?」

「な、なんだぁ?」


 落ちていく冬を見ながら勝利を確信した彼等は、そこで自身が体験したことのない現象を目にする。


 確かに手ごたえはあった。

 落ちていく獲物も見た。

 現に、地面へと、ぐちゃりと落ちて潰れる姿も目にしている。


 が、それは。地面へと落ちたその物体は、自分達が狙った獲物ではない。


「お、おい、それ――」


 驚くように声を出して仲間の一人の異常に、指差す男。その指の先に、周りの男達の視線が動く。

 指を差された男が、自身の一部を差す指の延長上の先を見た。


 腕。


 先程まで獲物に振るっていた腕が、消えていた。


「あ……? 俺のう――?」


 ぐちゃりと、また音がした。


 腕がなくなったことに、驚きのあまり痛みさえ忘れ。


 音の鳴った先へと視線を向ける。

 視線はやがて、下へ下へと。次第に早く。

 自分の意志とは関係なく、地面へと落ちていく。



 ぐちゃり。



 腕を失った男の意識も、その音を最後に途絶えた。







 木上に、一人の男が姿を現す。


 黒の帽子を深く被り、目線の見えない中国風の衣服に身を包んだ男だ。


 無言で、自身が立つ場所より下にある、地面を見つめていた。


 その先に、やがて七つの物体が落ちていく。


 それは、先程、彼――冬を狙って襲いかかってきた七人の襲撃者の、首から先のない体だ。


 彼等が突き刺したのは彼等の体の一部。

 最初に木から落ちたのは、自身が刺した彼等の体の一部だ。

 そして、頭部が地面に接触し割れ、最後は頭部を失った彼等の体が地面へと落ちて、仲良く横たわっていることを彼等は、死ぬ最後まで知ることはなかった。


「これが……人を、殺す……」


 この男達は、なぜこうも簡単に人を刺せたのだろうか。

 腕から延長上に伸びたその武器でなら、感触は直に味わっていただろう。

 ここに来る前からその感触を知っていたのかもしれない。


 まさか、この場にいる受験者は、誰もが経験があるのだろうか。


 冬は、物言わぬ塊となって地面に重なり死ぬ人を、ドキドキと高鳴る心臓やせり上がってくる吐き気を必死に押えつけながら無言で見つめる。


 自分が殺したその男達を必死に忘れようとするが、今自分が犯した禁忌と思っていたそれは忘れられそうもない。

 自然と目は、彼等の石榴ざくろのように割れて液体を地面に染み込ませていく首に向いてしまう。


 冬は、初めて人を殺したのだ。


「……駄目だ」


 冬は自分の腕が、手が、震えていることに気づく。


「こんなことで……この場を生き抜けるはずがないです……」


 絶命した七人の地面に落ちた生首を、気持ち悪さと戦いながら見ないように、何度も問答する。


 先程まで意識をもって話をしていた人が、ただの肉塊と変わり果てる。

 形が違うだけで家畜と変わらない肉へと。

 誰もがこのように、死ぬ。

 なぜこれを禁忌としているのか。自分と同じ姿をもつ人の、生命を絶つという行動が、なぜ自分の心を乱すのか。


 このままなら死ぬ。

 こんな精神状態なら、次は鈍る。


 鈍らないようにするにはどうしたらいい。


 見ないようにしていたのに、地面に転がる死体に魅入られるように視線は固定され。

 そのなかで、考える。


 そんな思考さえ。立ち止まってしまうことが自身の死に直結する。

 今はそう言う状況下だ。

 誰かがどこかで見ていて、虎視眈々とこちらの命を狙っている可能性がある。


 それは、襲撃者ではなかった先程の追跡者かもしれないし、他の脱落者かもしれない。

 もしかすると、この場にいる誰もが、会えばそこで死を宣告される、殺人許可証所持者かもしれない。


 襲われる前まで感じていた気配は今はなくなっていたが、あのような気配を先の襲撃者達が放てるとは到底思えない。追跡者は別と考えると、油断もしていられない状況だ。


 今はとにかく。

 自身が始めて起こした事象に対する気持ちを切り替えなければいけない。

 どうすれば、鈍らず人を殺せるのか、この場を生き残れるのか。






「……ここには、何百人も、生け贄がいる」



 彼は大木の下で転がるから目を離し、周りを見回す。


 慣れればいい。

 慣れてしまえば、息を吸うかのごとく殺しに慣れれば、こんなに悩むこともない。

 悩んでいる今の時間さえも惜しい。


 直接的に手で触れるわけではない。と冬は奮い立たせる。


 冬は、まだ慣れやすいとも言える。


「……それが、今。この場で生き抜くことに必要です……」



 ゆっくりと陽炎のように姿を消した冬は、獲物を探し始める。


 冬は、生き残るため。

 人の死に、人を殺すことに慣れるために、他の命を糧として生きることを決めた。


 開始から約一時間。


 広大な森林公園のあらゆる場所で、脱落者達の生き残るための殺し合いが、始まる。

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