新徴組についてちょろっと語ってみる
おいおいこのちょろっとシリーズを更新するの何年ぶりだい?くらいの勢いで更新をとめていたのですが、忘れられた方もいるのではないでしょうか。
なんてことはない。一年ぶりの更新ですね。
ヒャッハー
そう、ここは、わたくしことともはっとといううら若き乙女が、昔ちょろっと齧ったエセ知識を、ちょろっと語る、そんな場所。単なる自己満足なエッセイです。
エッセイ? ん? コラム????
どっちもでいいかっ!
さて。
今回はタイトルにある通り、『新徴組』についてエセろうかと思います。
新徴組。読み方は「しんちょうぐみ」。
この字体からして、何か幕末時代の有名な組に似てませんか?
……
…………
………………
そう、私はいま、皆さんに耳元に手を添えて、ダンボの耳になるようにして耳を向けていた。
なのに皆さんの声が全く聞こえてきませんでしたね。
自分から言いますよ。ええ、言いますとも。
……泣いちゃうぞっ☆
新撰組、ですね。
さて。
幕末最強の剣客集団。『新撰組』。
『誠』の一文字を背中に背負い、その姿は袖口に山の模様――ダンダラ模様を白く染め浅葱(水)色の羽織を着用して、京都の治安を守るためにばっさばっさと浪士を切り裂いて人殺し集団として名を馳せた、日本の幕末時代を象徴する組織ですね。
赤地に金色、または白色で『誠』の文字、隊服と同じダンダラ模様の隊旗が現れれば、見た相手は恐怖で凍りつくほどには恐れられてた新撰組。
有名な人物として、局長の近藤勇や、鬼の副長と呼ばれる土方歳三。隊長達で言うなら三段突きで有名な天才剣士沖田総司や、幕末以降も生き続けて虫歯で亡くなった永倉新八、妻が昭和5年頃まで生き続けて記録文書作るという偉業を為している原田左之助だったり。警察官となって新政府の中で生き続けた斉藤一とか、戦国時代の名将、築城三名人といわれる藤堂高虎の子孫と噂の藤堂平助だったりと、名前を挙げれば有名どころはキリがありませんな。
あ。ちなみに、斎藤一と、永倉新八って同年に亡くなっているんですよね。
個人的には、新撰組より、私は彼等の持つ刀が好きなんですけどね。先にちょろっと書いた近藤勇の長曽祢虎徹なのか長曽禰虎徹興里なのか分からない謎の名刀だったりとか、土方歳三の和泉守兼定。沖田総司の加州清光。……わたしゃ、沖田総司が菊一文字則宗を愛刀としていたとは認めませんからね……。他にも斉藤一の鬼神丸国重とか関孫六とか。
こっちのほうがキリなくなりそうですたいっ!
さあさあ。そんな新撰組。
有名ですよね。調べていくと面白いですよね。日本の幕末、刀が生きた時代。日本の改変の時期。
様々な時代の中でも私はかなり異質な時代だったのではないかと思うのですが、その中で刀に生き、そして死んでいった彼等というのは魅力的だなぁと思います。
で。そんな新撰組が、タイトルの『新徴組』にどう関わっているのか。
新撰組を西の本隊。京都の守護職とするなら、東の江戸のおまわりさんといわれるのが、『新徴組』なんです。
元々は江戸の将軍上洛の警護を目的とした浪士組結成募集が行われて京都へ上洛した際に、将軍上洛の警護ではなくて尊皇攘夷を唱えた時に同意できなかった壬生浪士組(後の新撰組)と、同意して江戸に戻った壬生浪士組に分かれているのですが、江戸に戻った浪士達を、幕府が再組織化したのが新徴組なので、元々は同じ組のものであった、というものになります。
なので、この新徴組。新撰組の関係者も所属しているんです。
例えば、沖田総司の姉沖田みつの旦那。沖田総司の三段突きは元々義兄の専売特許であり、沖田総司はその兄から三段突きの心得を教えてもらったとか、そんな逸話のある、沖田総司義兄の井上林太郎が組頭をしていたりしますね。なお、この沖田みつと沖田林太郎の子孫は現代も途絶えず続いているそうです。
さてはて、そんな新徴組。
実はさほど新撰組のように何かやったという記述はあまり見当たりません。
ただ、あえて言うなら、歴史の変わる引き金を引いた、ということかな、とは思っています。
なにに関わったのかってのをエセってみると、日本国内での最大の戦争と言われる、『戊辰戦争』の引き金を引いた、ということですね。
この時代、江戸は参勤交代の緩和などによって、大名屋敷等は空き家となっていることが多かったそうです。
幕府の衰退がここから見て取れるわけですが、その結果、治安がとんでもなく悪化していたのは間違いなく。治安部隊が必要になりました。
それが、京都から帰ってきた浪士の集まり、新徴組に繋がるんです。
そんな治安部隊を任せられ、大層に新徴組なんて名前をつけて京都の新撰組と同じように江戸の治安維持を行うわけですが、元々浪士は暴れん坊が多いので、最初のうちは治安悪化させてる盗賊となんら変わらないんです。
そこを、江戸幕府の鉄壁の藩、庄内藩が預かることで、体裁を整えてるわけですが、ここが、新撰組との違いになります。
新撰組は浪士たち自身が何番隊と隊を分けて指揮をとっていたわけですが(まあ、だから局中法度なんてものができるわけですけども)新徴組は江戸に戻った時に、庄内藩の預かり、つまり幕府の藩預り=幕臣という違いですね。
そんな新徴組。ダンダラ模様の羽織の新撰組とは違い、朱色の陣笠をかぶって庄内藩酒井家のカタバミの紋のついた提灯を持って警護していたそうです。
……想像してみるとかっけぇな。新撰組の陣羽織とも違ったかっこよさありますよね。
さて、新徴組は幕府の庄内藩士を入れてテコ入れすることで、どんどんと江戸の治安は回復、その結果、「江戸のおまわりさんには泣く子も黙る」と称されるほどになっていきます。
この辺りは歴史の話になりますので程々にするとして。
こっから先は、この時代で幕臣という単語が出てきた時点でなんとなくわかってくるかとは思いますが、簡単に言うと、警護中に尊皇攘夷の集団(薩摩藩とか)と揉めることになり、殺傷沙汰になるんです。その相手が、幕府のお抱え庄内藩なわけですから、一気に倒幕へ傾いていくわけで。
そもそも、江戸の治安が悪くなったのも、倒幕を掲げる集団のせいということもありますので、倒幕への道を治安維持によって延命させた組でもあり、国内最大の戦争に利用された組でもあった、ということですかね。
新撰組は有名ですが、この新徴組は有名ではないと思ったので今回はエセってみましたが、いかがでしたでしょうか。
戦争の引き金を引いちゃう新徴組。
どのようにして戊辰戦争へと至ったのか等、酒井家や幕末の歴史を思い出してもらい、その上で、新徴組をちょろっと調べてみると、よりあの頃の時代ってものが面白くみえてくると思います。
例えば、私、歴史の教科書で、この新徴組って言葉、最初は新撰組って書いてあるんだと思ってたんですが、新徴組って書いてあったの気づいてなんだそれって思って調べたのがきっかけではあるのですが、そのおかげで、ほんの少しだけエセ知識を得ることが出来ました。
なお、ちょっとした余談をいくつか。
この庄内藩酒井家というのは、徳川家康の時代の徳川四天王、徳川十六神将の筆頭、酒井忠次の子孫です。
今川義元に人質となっていた竹千代(徳川家康)時代にも従っていた古参でもあります。
他にも「おまわりさん」という言葉。
元々御見廻りという言葉からきているそうですが、これが警察官をさす、「おまわりさん」の語源らしいですよ。
ついでにこの新徴組には、中沢琴って女性が隊士としているんですよね。
すっげぇ女性にもてたらしいですけど、隊士になった理由が自分より強い男と結婚するためだったそうです。
結局いなくて、独身だったらしいですけどね。
本気でそんな人いたんだってこれ知ったとき思いました。
法神流っていう、別名・天狗剣法って流派だそうですが、そんなん聞いたことないから余計に(≧∀≦)
この辺りは調べていくと面白いのですが、この辺りまでにしときましょう。
調べていくとどんどんと沼に嵌っていくので、その沼にどっぷり嵌っていくのは皆さんの役目ですからね。
このエッセイは、皆さんに私がエセるためのものであり、皆さんが興味を持って自身で調べてもらうためのエッセイなわけですから、色んなエセ知識から、皆さんが真の知識を得ていただくことを願っています。
ほんの少しのきっかけで、時には自分が楽しいと思えるものも見えてくるかもしれません。
そんなエセになれれば、これ幸い。
エセだからこそ、こんな中途半端なところで終わらせるわけ。
是非是非、興味が出ましたら、調べてみては、いかがでしょうか。
ってなこってすってことで。今回はここまで。
にんにんからの~
どろんっ☆
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