天下三名槍についてちょろっと語ってみる

 天下五剣を語ってしまったなら、今度はこっちも語らねばなるまい。


 そう思い、今度は槍についてえせりたいと思います。





 ……と、いう出だしから始まったのですが。

 実はこの前に、『天下五剣』について、ちょろっと語ろうとしていたのですが、そちらをすっとばしていることに書き終わった後に気づきまして。


 ああ、あまりにも久しぶりのえせ知識披露だったから何話してたか忘れちゃってたわー☆

 なんて思いながら。



 今日も今日とて、久しぶりにえせっちゃろう☆



 さてさて。


 日本において数ある槍の中でも天下に名だたる三本の槍の総称。それが天下三名槍、または天下三槍であーる。

 なんていう話だけで終わらせるのもまた、良き、とも思いつつ。


御手杵おてぎね

日本号にのもとごう

蜻蛉切とんぼぎり


 この上記の三槍のことを、『天下三名槍』と言います。


 それぞれを簡単に説明していくと……



『御手杵』

 室町時代に下総国しもふさのくに(今でいうと千葉県北部と茨城県西部を領域とする旧国名)結城(茨城県西部)の大名・結城晴朝が、刀工・五条義助ごじょうぎすけに作らせ、徳川家康を実父にもつ結城秀康に伝わった、切っ先から石突までの拵えを含め、全長3.8mもある、『大身槍おおみやり』と呼ばれる、ひっじょ~に長い槍身を持つ槍です。


 鞘は細長くきねのようであり、そこから名前がついたとも言われています。

 ただ、杵=農耕機具(または餅つきに使うあれですね)と呼ばれるものだそうで、古くは、長い棒のことを指していたようなので、長い槍という意味ではあながち間違ってもないのかなとも。


 とにかく重くて、一人ではもてなかったとも言われており、御手杵を鞘から抜くと、雪が降るとも言われていたそうです。


 この御手杵を作ったと言われる、刀工・五条義助。どんな人かっていうと、誰もが日本刀でご存知、五郎入道正宗要は、ま さ む ねの弟子だったりします。


『日本号』

 福岡市早良区にある福岡市博物館所蔵の現存する槍です。

 大和国(現在でいうなら奈良県)金房派の作といわれていますが、無銘のため、誰が作ったのかは定かではないそうです。


 皇室の所有物(御物)で、槍としての完成度の高さから正三位の位を賜ったという伝承があり、かの豊臣秀吉の子飼いの将、福島正則が所持していた槍とも言われています。

 ただ、福島正則より、その後の所有者である黒田家の武将、母里友信ぼりとものぶ後藤基次ごとうもとつぐという……ぶっちゃけ全然歴史好きじゃなければ知らなさそうな武将が所有者としては有名だったりします。


 母里友信は黒田官兵衛の配下の武将で、彼が日本号を所有するきっかけは、「呑み取りの槍」というお話で逸話で知られる武将です。


 後藤基次も同じく黒田官兵衛から仙石久秀に仕えた武将で、真田幸村と同じく、「大阪城五人衆」の一人ですね。この後藤基次は、「槍の又兵衛」という逸話でも有名な武将です。


『蜻蛉切』

 言わずと知れた、戦国時代最強の武将・本多忠勝が愛用していた大笹穂槍ですね。

 静岡県の県指定文化財に指定されています。

 三河文珠派の刀工・正真まさざねの作といわれており、宝蔵院流槍術とも関係のある刀工とも言われています。


 号(名前)の由来は、戦場で槍を立てていたところ、飛んできた蜻蛉が止まり、二つに切れたことに由来しているそうです。

 また、同名の槍が本多家には存在していたという逸話もあり、そちらは消息不明だそうです。


 この蜻蛉切の刀工・正真(正しくは、藤原正真)についてちょっとだけお話しすると。


 金房正真、三原正真、文殊正真、千子正真という刀工がそれぞれいるのですが、それらが全員同一人物ではないかという説があります。


『千子』は『千子村正』に通じていますし、『金房』は他の名槍の『日本号』と作ったとされる刀工ですし。

『三原』は最上大業物14工の一人ですし、『文殊』は本多家関係者だったかも、とか。


 ※ちなみに。私の作品『刻旅行』の主人公が持つ偽名『三原』はここからとってたりします。


 もし本当に同一人物なら、どんだけ多才なのかと。どんだけ優秀なのかと。そんな風に思わせる色んな謎を秘めた刀工だったりします。



 さて。

 三名槍をそれぞれ――蜻蛉切だけ妙に刀工の話になってますが――語ってみみましたが。


 こちら。

 元々はどうやら二槍だけだったそうです。


 西の日本号。

 東の御手杵。


 と当時言われていた名槍。

 これに、江戸時代に入ってから蜻蛉切が加わって、天下三名槍と呼ばれるようになったそうな。


 ただ、この槍。

 三槍のうち、御手杵は御手杵は東京大空襲にて焼失してしまっているそうなので、結局は二槍だけとなっています。

 また、いずれも、レプリカは見ることはできますが、確か本物は見ることは出来なかった気がします。


 天下無双の大将とは。 

 東の本多忠勝。

 西の立花宗茂。


 東西無双。みたいな?

 当初はそんな感じだったんですかねー?




 っとまあ、ここまで書いておきながら、私は個人的に槍より薙刀のほうが好きだったりします。


 歴史上、刀や槍、弓といった主力武器は、なぜ生まれたのか、どうしてそのようになったのか、という所が、研究も進められて分かってきております。


 だけども、こと、薙刀においては、なぜ生まれたのかが不明だったりするんです。


 なぜかって?

 そりゃ、あーた。

 人気がないからですよ。



 でも。

 そんなとこが。





      だいっっっっすきですっ!





 そんな薙刀の誕生過程は、先の通り判明はしていないそうですが、有名な説はいくつかあるようです。


 単純に間合いを大きく取る太刀を更に間合いを取るために頑張って柄を長くした結果生まれた説だったり。

 矛の派生武器という話もあれば。

 仏教を学んだ僧侶が中国から伝来させ、僧兵の武器として広く用いられるようになった、とか。


 色んな起源があったります。


 日本において、主な戦闘方法は遠距離から弓を射ることから始まり、手持ちの武器での接近戦が戦場ではメインでした。

 接近戦の時には長柄武器が主流であり、その長柄武器として活躍していたのが薙刀。その薙刀や矛が武士や足軽に至るまで用いるようになり、長柄武器として発展した槍が登場し、代わって主力武器となります。


 そして。

 槍の争いから、弓の発展型とも言える鉄砲の伝来。

 それによる長柄武器の衰退から、僧侶や女性の用いる武器として。



 そして現在。

 古武道としての地位を薙刀は獲得し、競技ともなった薙刀。


 そんな薙刀を、このえせ知識で興味がでましたら。

 是非、ちょろっと調べてみては、いかがでしょうか。





 ……あれ!?

 いつの間にか、槍の天下三名槍の話じゃなくて薙刀の話になっちゃってる!?




 ……

 …………

 ………………



 に、にんにんっ。



 ではでは。いつの日か、またえせ知識を披露したくなった時に、またあいましょー!



 どろんっ☆

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