餅鉄についてちょろっと語ってみる
今回のお話は、ずっと封印していた(?)日本刀、ひいてはその刀剣の製造鉄のひとつ、『餅鉄』についての話をしてみたいと思います。
とはいえ、このお話。
これを見て、本気の方が文句を言うのは間違いなく。
かなり歪曲した個人主観、エセりとなりますので、あくまで、「このお嬢さんは何を言っているのかと」と鼻で笑う参考程度にお願いします。
ただ、読んで頂いた方が気になって調べたり、作品を作るに当たってのインスピレーションとなれば幸いです。
さて、餅鉄の前に、日本刀についてちょっとだけ。
日本刀というのは、今は美術品として有名な芸術品となりますが、元々は武士の魂として扱われていたもの、という認識が多数だと思います。
その武士の魂を持って、歴史にも名だたる群雄割拠の戦国時代で、日本刀片手に、えいやえいやと敵を切り崩していた――なんて思われている方もいるのではないでしょうか。
よくゲームや時代劇で日本刀持って馬乗って戦場走り抜けたりしてますね。
ああいう印象をもたれている方って結構いらっしゃると思うんです。
でも、そもそも、馬。
時代劇やゲームで騎乗しているあの馬って、サラブレット種なんですよね。いわゆる競走馬ってやつです。
このサラブレット。日本で生まれた馬ではなかったと思います。
たしか十七世紀くらいに品種改良されて生まれた馬じゃなかったかなって。
であれば、先の戦国時代では、その馬がいなかったことになるんです。
元々日本にいた馬って、ポニー種だった、という説が最も有力だったりするのですが、そうなると、ポニーに乗って戦国武将が戦場をかけていたと思うと、笑えてしまいます。
でも、とことこと歩兵よりも遅く歩く馬に跨って戦場をかける戦国武将。というのもまた味があって面白いかもしれません。
……負け戦のとき、どうやって撤退してたんですかね?
傾奇者として有名な前田利益(前田慶次のほうが伝わりやすいかも)の馬である、松風(別名:谷風)は外来種の馬という話を聞いたことが有りますが、もしそうだとすると、当時ポニーな日本からしてみると、あまりの早さ、あまりの大きさに驚いたのではないかと思われます。
競争馬って、最速60キロ出るらしいですからね^^;
……
…………
………………あれ?
ここまで書いておきながら、主題の日本刀、そして餅鉄なるものがまったく書かれていないことに、自分で驚いてしまいました。
そろそろ本題に戻ろうかと。
さて、日本刀についてですが、馬と同じように、実際戦場で使われていたということはほぼないということです。
戦場では、まずは弓隊が、迫り来る騎馬兵(笑)や歩兵の数を減らす為に矢を射掛けます。これを織田信長は鉄砲部隊にしたことで有名ですね。
互いに矢を射掛けた後、次は皆で槍や薙刀等の長柄武器を持って突進です。
戦場で日本刀を使うのは、その主武器がなくなった時に使う、という程度だったようですね。
とはいえ、武将を倒した際には首級が必要なので、それを切り落とす際には使っていたみたいですが。
首級で言えば、私個人としては、笹の才蔵こと、
簡単に言うと、戦争時には武功の為に武将の首を検分するのですが、その時に、自分が倒した証拠として、倒した武将の首を切って主君に見せるのです。
でも、戦している時に、重い首ぶら下げて戦うなんてやってられないわけで。
大体は二~三首程度なのですが、この才蔵さん。関が原の戦いで、二十の首を提示したというのです。
その辺り、興味があれば是非調べてみてください。
二十の首をぶらさげたとかそんな怖い話じゃありません。よく考えたなぁって話ですね。いや、首切って持ってくるって時点で怖いんですけどね。
……いつも通りの話がずれていったので戻すのですが、
そんな日本刀。
ちゃんと活躍する時代もあるんです。
幕末の時代ですね。
この辺りを書いていくと、それはもう長いお話になって話もまたずれていくので、また別の機会に。(え、書かないですよ)
さてさて。
この日本刀というものは、日本人にとっては、先に書いたように、武士の魂であり、日本の独特の美術品でもあります。
刀剣を研磨、鑑賞し、宝物として残す文化は日本独特の文化であり、その中で名刀と呼ばれるものは以前記載した節刀のように、権威の象徴として皇室でも多大な役割を果たし、将軍や大名に受け継がれて現在に伝えられております。
もし、この日本刀が、武士の魂と言われなければ。もし、大名の権威の一つとして、宝物として扱われなければ。
とある日本統一したお猿と呼ばれたあの関白様も刀狩と称して、日本刀を根こそぎ集めなかったのではないかとも思いますし、私自身好きな武将でもある、剣豪将軍足利義輝も死の間際に足利家が持っていた重宝を振り回してダメにしちゃうなんてこともなかったし、大阪夏の陣で大阪城が燃えたときに一緒に燃えて使い物にならなくなって打ち直しなんてことも起きなかったんだろうなとも。
日本刀とは、どうしてここまで日本人の心を捉えて離さないのかは不思議だなと思います。(賛否両論でしょうけど)
そんな日本刀ですが、古墳時代から刀としてはあったものの、日本刀と呼ばれるのは平安時代末期となります。また、日本刀という名称は、日本国外から見た呼称となります。日本では刀、ですからね。
そんな 刀 ですが、やはり作られるに当たって必要なものが鉄となります。
青銅や鋼といったもので作られているものもあれば、ゲームやアニメ、ラノベなどでは、オリハルコンやアダマンタイト、ヒヒイロカネといった伝説の金属が使われているのをよく見かけます。
オリハルコンやアダマンタイトのような創造上の産物とも言われる金属とは違い、実際に日本のオリハルコンとも言えるヒヒイロカネで製造されたと言われる日本刀があるのもまた、伝説の金属、創造上の金属というものが実際にあったのではないか、と思ってしまいます。
私個人としてはそれよりも、隕石で作られた(隕鉄)刀だったり、本主題の餅鉄という金属で作られた刀のほうが興味があります。
隕鉄で作られた刀というのは、確か、長刀が三振、短刀が二振の五振あって、内、現存しているのが四振だったかと思います。これは流星刀として名づけられていたと記憶しています。
通り過ぎる県「富山県」の富山市天文台で年二回展示されていたと思うので、もし「通り過ぎる県」富山県に行くことがあって興味があったら探してみてください。
実際に展示されていたりするってのも、魅力を感じませんか?
あ。見れなくても文句言わないでくださいね^^;
見れなくても、富山は山に囲まれた雄大な自然と、蜃気楼が見れる海があったり、水も美味しくて、それに育まれた料理が絶品ですよ。それらを食べにいくのもいいと思います!
ちなみに、この作品を書いている時期に流行っている、パンデミックとなったコロナウイルス。今現在、なぜか隣接都市で発生しているのに富山だけは無事という奇跡を起こしております。
さすが、通り過ぎるま――(パーン
隕鉄と私の故郷である「独立国家・富山王国」のことはここまでにして。
この本主題の餅鉄。
名称の由来としては、形状が餅に似ているからつけられたというものもあれば、
溶かして鉄とした時に粘着力が高くて、餅の様だったことから付けられたとも言われています。
実際の餅鉄は、河川の流れで磨耗し、円礫状になった磁鉄鉱のことを言います。形状は川原の小石とまったく変わりませんが、黒く、磁鉄鉱なので磁石にくっつきます。
刀を語るには知っておくべき、たたら製鉄技術というものがあるのですが、この古代の製法においては、砂鉄と並んでとても貴重な原料として日本刀にも使われておりました。
本当かどうかは分からないのですが、日本に青銅技術が伝わる前から、実は日本には鉄を加工する技術があったといわれており、その時に使われていたのがこの餅鉄ではないかという話を、どこかで見たことがあります。
そして、この餅鉄こそが、先に記載した、日本のオリハルコン、ヒヒイロカネの正体なのではないか、とも。
どこかで、舞草という鍛治跡で発見された刀が最古の日本刀だと見たことがありますが、多分違うんだろなって思ってます。
そんな餅鉄で作られた日本刀も現存しているからこそ、エセ心をくすぐられます。
餅鉄で作られた日本刀ですが、銘にしっかりと「餅鉄」と書かれているそうで、どこかに展示されているそうなので、是非ネット等で探してみてはいかがでしょうか。
ちなみに。
舞草は「まいくさ」ではなく、「もくさ」と読むそうです。
ついでに言うと、
餅鉄は「ぺいてつ」または「もちてつ」と言うそうです。
最後に書くことじゃないですね^^;
ではでは。またの機会にお会いしましょう。
にんにん。
あれ? やっぱりこれ、餅鉄の話じゃなくね?
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