長曽祢興正についてちょろっと語ってみる


 はい。

 次あるのかなと思っていたのですが、ふと思い出したことがあったので、またまたちょろっとえせ知識を語っていきたいと思います。



 個人的には、刀剣辺りを書けば結構長く続けられるんじゃないかなこれと思っている所ではありますが、本気の刀剣マニアの方々の目に触れられたら撃墜されそうなのでやりません。


 もし、ちょろっとえせ知識でもいいから刀剣関係を語って欲しいという方がいたら言っていただければ語りますが……。



 毎度話がそれますね……。




 さてさて。


 そんなことを言っておきながら、今回は刀剣に関する話をしていこうと思います。




 長曽祢興正ながそねおきまさ


 という方のことを知っているでしょうか。


 ちなみに私は、きゃな~り昔に、とある物を調べているときに知りましたがそれまで全く知りませんでした。


 なので、知らない人も多いんじゃないかなと思います。

 という私も、実はそんな知らないんですよね。

 ただ、知っている人は知っていそうな名前ですね。

 特に刀剣好きなら尚更。


 長曽祢という言葉から連想して、長曽祢虎徹ながそねこてつを思い出される方も多いのではないでしょうか。


「今宵の虎徹は血に飢えている」といった幕末時代の人斬り集団、新撰組の局長・近藤勇の言葉で有名なあの名刀・虎徹ですね。

 色んなゲームにも出てますね。

 村正、虎徹は鉄板です。



 もっとも、あの言葉自体、実際に近藤勇が言ったのかといわれると答えは曖昧です。

 当時の近藤勇は、池田屋事件の頃には持っていたといわれていますが、まだそこまで有名でない新撰組を率いていた頃ですし、近藤勇が有名だったとしても、長曽祢虎徹作の刀を持っているというのも疑わしく。



 あれは、司馬遼太郎先生作『燃えよ剣』という作品で作られた創作とも言われています。


 決して、「知ってる? 近藤勇の刀って虎徹なんだ、ZE!」とか自慢げに話しちゃうと痛い目みるので気をつけてくださいね。


 ……ま、そんな話になること自体ないでしょうけど。


 あ。司馬遼太郎先生を悪いと言いたいわけではありません。

 むしろ、本当だと思われるくらいに広めれる凄い方だなぁと尊敬はします。


 あの作品でも、近藤勇は一応は筋の通った手に入れ方をしていたと思いますよ?


 近藤勇が当時使用していた刀は、無銘のものだったそうですが、源清麿みなもとのきよまろ作の刀と言われており名刀です。この刀工はなぜ長曽祢虎徹と名乗っていたのかが不明だそうです。


 で、虎徹と、なぜか近藤勇について語っちゃいましたが、これが本タイトルにある、長曽祢興正と関係してんの?という疑問が出るかもしれませんね。



 え、まさか。

 長曽祢興正=長曽祢虎徹なの!? まさかの本名はそっちなの!?

 と思われる方もいるかもしれません。











 はい。だいたい合ってます。

 正しくは、長曽祢虎徹(二代目)ですね。



 ちなみに。虎徹の本名は、長曽祢興里ながそねきよさとと言うそうです。




 彼を語るとなると、まずは長曽祢家、並びに長曽祢虎徹を語ることになりますので、ものすっごく簡単に語らせてもらいます。



 元、石川県辺りの『刀鍛冶』ではなく、鉄屑を使って甲冑・刀・槍・鐙など様々な物の金具を作っていた『甲冑師』の一族です。

 50歳くらいまでは刀鍛冶をしていなかったそうですが、刀鍛冶になる為江戸に出て授業に明け暮れたそうです。

 鉄を扱っていた一族でもあるので、鉄を扱うことにかけては何でも一流だったのかもしれませんね。


 さて、そんな刀鍛冶となった虎徹にはこんなお話があります。

 石灯籠切りの逸話といいまして、とある旗本の方に依頼され刀を打ち、献上したところ、あまりにも不恰好な刀であったため、本当に切れるのか疑われ、値切りをし始めました。

 怒った虎徹はその刀を使って、庭にあった松の枝を両断すると、その切れる音が2つありました。なんと、傍にあった石の灯篭さえも叩き斬っていたのです。

 切れ味に大層旗本の方は驚き満足したそうですが、自分の打った刀の切れ味を疑われた虎徹は「一度疑われたものを献上するわけにはいかない」といって、献上品を持って帰ってしまったという話があります。

 自分の刀の切れ味に自信がないとこんなことはできませんね。

 というか、頑固……。



 さて、そんな虎徹の二代目を継ぐ興正ですが、彼は初代虎徹が没した後から名前が出てきますが、元々は虎徹の甲冑時代からの助手だったと言われています。

 なので、彼ほど虎徹を間近で見て間近でその打ち方等を見てきた刀工はいなかったのではないかと思われます。

 また、初代虎徹の作風とも似ている為、興里なのか、興正なのか、虎徹の贋作なのではないかと思われてしまうことも多かったそうですが、興正自体も贋作を作られていることから、真似して近づこうとした刀工も多かったのではないかと思われます。


 だからこそ二人とも、懐宝剣尺かいほうけんじゃくでは最上大業物さいじょうおおざわものに名を連ねている刀工となるのではないかと思います。

 あ、ちなみに、最上大業物って元々12工とされていたような気がするのですが、今は14工となっているんですかね。

 これって古今鍛冶備考ここんかじびこうとかの改定とかで見直されたんでしょうか。それとも12工が何かの漫画からのものなんですかね?


 さてさて。

 そんな話から、

 長曽祢由来の日本刀は、虎徹が作り、興正が昇華させた。

 そうとも見えてくるのではないかなとも思いました。


 といいつつ、実はこの長曽祢興正、あまり文献などがないんですよね。どちらも『虎徹』だからではないかと思っています。



 ここで勘違いしやすいのは、『長曽祢虎徹』は、あくまで刀工の名前です。


 日本刀の名前としてはちょっと違いますのでここもお気をつけください。





 今日はここまで。


 ああ、なんでこんなマニアックなところを語ろうとしたんだろう。

 次はマニアックじゃないところで攻めたいですね。




 ではでは。

 私が自己満足で語りたくなったらまたお会いしましょう。




 ※ごめんなさい。

 「今宵の虎徹は血に飢えている」という名言について、指摘があって調べてみたら、鞍馬天狗という作品が元手だったみたいです。


 いやはや、さすがエセ知識。

 そんな知識でやってまいります(^-^)

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