第3話 秘密の扉



「じゃあ、行ってきます。カナちゃん、留守番よろしくね」


その日、店長はエプロン姿のまま商店街の寄り合いに、出かけて行きました。


「ふぁ~い」


ホースで花たちに水を巻きながら、私は気のない返事をします。清らかな午後の光が、眠気を誘っていました。


「今日は暇だな~新作POPのアイディアでも考えるか~」


お客が全く来ないのをいいことに、私は店の事務所に引きこもりたい衝動にかられました。


エプロンで両手を拭いていたら、足は自然とそちらの方に向かっていました。スニーカーをパタパタさせながら、事務所の前まで来ます。


でも、なぜかそこで足は止まらない。さらにその先まで進み、トイレの前を通り過ぎ、立っていたのはあの扉の前。


「あれ?」


そこで初めて、私はいま置かれている状況に気づきました。


店長=しばらく返って来ない。


お店のスタッフ=私しかいない。


扉=依然、秘密のまま、目の前にある。


いやいや。そりゃあ、状況は揃っていますよ? でも、まさか、ねえ。店長の許可もなしに、そこに入るってことは……ねえ。


「あ、店長ぉ! 奥で何か物音がしたんですぅ!」


ってもう、もっともらしい、言い訳かんがえてる、私。入る気満々じゃないか……。


落ち着け、落ち着け。


私は芦野カナ。


シシリーの店員。いや、バイト。留守番を任された。


この扉は仕事には関係ない――奥に何があろうとも。


開けるべきではない――奥にどんな秘密があろうとも。


その証拠に、扉には鍵が……。


ガチャ。


キャー!! かかってない!! 嬉しいんだか嫌なんだかわからない、心の悲鳴。もう開けるしか、ないじゃんか!


私は覚悟を決めました。


例え部屋に大きなネズミがいようとも、化け猫が住んでいようとも、ここに入るしかない。


モヤッとしたことをそのままにしておけない、タチなのです。


それが芦野カナ。決めたからにはやる女です。清き一票をよろしく。


といっても、寄り合いはすぐ近くで、開かれているはず。事は早めに起こさねばなりません。唾を飲み込んだ私は、恐る恐るノブにかけた手を引きました。


音もなくスイっと開く扉。


真っ暗な空間が目の前に広がっています。空気がふわっと動いて、雲のような、霧のような不思議な白い煙が、足元に漂ってきました。


「れ、冷蔵室?」


温度差を感じて、私の足はすくみました。こんな設備が店の奥にあるなんて、かつて聞いたことはありません。


入口側の壁を指で探っても、明かりのスイッチらしきものは見つからない。スマホの画面をライト代わりにして、私はその部屋の中へと足を踏み入れました。


私が舞い上げたその霧は、やがて高さを増し、スマホを持つ腕の下までやって来ました。乳白色の煙が光を遮るので、目の前しか見えません。


その頃には、全身で違和感を感じていました。


だってもう十歩も歩いてる。この店の奥行き、そんなに広いはず、ないのに。


延々と続いた霧の壁に、終わりの徴候が見られました。目前に真っ白な光の点が現れ、だんだんと広がっていきます。終着地に向かって、私の足は進み……進み……やがてその場所にたどり着きました。



「う……そ……」


この時ばかりは、私、口をぱくりと開けていたと思います。


霧のとばりが晴れた後には、緑の楽園がありました。そんな安易な台詞でしか説明できなくて、すみません。でも、本当なんです。


足元でさわつく緑の草や野花。遠くまで広がる野原と、まばらに立ち並ぶ常緑樹。青い空には、昼によく見る薄くまっ白い月が何個も浮かんでいました。


野には数え切れないぐらいの、たくさんの花が咲いていて、みな嬉しそうに風に揺られていました。


1歩、2歩と進んだ私の手に、風で揺れた青いヒヤシンスの花びらが触れました。かすった部分だけが濃い色に変わって、花冠がふるふると震えます。


すると草陰から、小さな羽の生えた妖精が飛び出てきました。彼――男の子は、どんぐりのヘタの帽子を真っ直ぐにかぶり直して伸びをすると、ポケットから何かを取り出し、花に振りかけました。


とたんに花がしゃんとして、青色がますますキラキラと輝き始めました。


私は言葉を失ったまま、歩き続けていました。


どこかしこで、花たちが揺れて言葉を交わし、妖精の笑い声が響いています。


花たちの甘いこう。爽やかな緑の薫り。熟れた果実の匂い。


そんなものを含んだ風が、私の耳元から駆け抜けていって私の赤毛を揺らしている。「現実的な私」ですら、声がでないぐらいの現実リアルがそこにはありました。


どこまでも遠くが見えていたはずですが、いつの間にか私の目の前に巨大だけれど、極端に枝が横に広がった低木が、現れました。


ギョっとした事に、その低木の前には、映画に出てくるような西洋の怪物――龍が横たわっていたんです。


その子は、頭を地面につけて寝ていました。深緑色の鱗のついたお腹を上下に揺らして、私の拳ぐらいの大きさの鼻の穴から寝息をもらしていました。


低木の木の枝は、低い位置で土台のように左右に広がり、その上に、木自身が形作った小さな床だけの部屋を乗せていました。


部屋にはテーブルと背もたれのない椅子が一脚、ありました。そこに誰かが斜めに座り、ペンを片手に広げた大判のノートを見つめています。何か書き物をしているようでした。


私はメガネのフレームをあげ、その人物に注視しました。眉間に皺をよせ、目を細め――そして次の瞬間、目を見開きました。


「て、店長!?」


私は思わず後退りしました。


だって、ですよ。私の知る、あの穏やかな店長が、まるでどこぞの魔法使いよろしく乳白色のローブに身を包んで、この世界の主のように風景に溶け込んでいたんですから!


店長? らしきそのお方はぶつぶつと何かを言うと、たなごころを上に広げました。音もなく煙が巻き上がって、ひとつのバラの花が現れました。


彼女はそれをテーブルの端にそっと置くと、私の方に顔を向けました。


「カナちゃんね」


そうです、という言葉は心の中だけで言ったのに、店長は返事を受け取った顔をしていました。


「この扉の奥は見せたくなかったの。だからいつも鍵をかけておいたんだけれど。私のドジのせいで、来れてしまったのね」


店長は椅子から腰をあげると、ゆっくりとこちらに近づいて来ます。


私は足が固まって、前にも後ろにも進めませんでした。


店長が床しか無い部屋の端にくると、龍が顔を上げ、うやうやしく店長の足元に頭を差し出しました。


「ありがとう、オルフェ」


店長は龍の頭に優しく足を下ろしました。階段を降りるように首を伝い、ゆるやかに私のいる草原に立ちました。


「カナちゃん、花と妖精の世界にようこそ」


店長はケレン味のある仕草で、広がる大地に向けて両腕を広げます。


「でもね。急で悪いんだけれど……ここを見てしまったら、あなたはもう私たちのこと、忘れなくてはいけないの」


「え……」


私は狐につままれたように、店長の言葉をただ飲み込んでいました。


「もちろん、お店シシリーのことも」


ドキッとする。夢のような世界に浮いていた気持ちが、一気に現実に落ちてきました。


「ま、待って下さい。私、知らなくて……鍵が開いていたなんて……そんな気はなかったんです! だって物音が……」


「ごめんなさい、カナちゃん」


すでに決定した事実を告げるような店長の物言いに、私は少し怒っていたみたいです。


「だ、だって、ひどいですよ、店長! こんな……こんな事を店員の……バイトだけど……私に、黙ってるなんて!」


店長は言い返しもせず、大人の顔で私を見つめていました。


「ようやく、仕事にも慣れて、色々分かってきたのに! でもまだまだ店長に追いつけなくって! だから、いつか認めてもらいたいって、頑張ってきたのに!」


私、夢中でした。気がついたら、頬に涙が伝っていました。


「イヤです! 私、何をしても、シシリーを忘れませんよ! ここには私が必要なんです! 私いなくて、店潰れちゃって、いいんですか? ねえ、店長! ち、ちょっと、店長! やめて下さい! 変な仕草をしないで!!」


店長は何かを小さく唱えると右手を持ち上げ、人差し指の先で私の額をまっすぐ指さしました。


私は両手で顔と体をかばったまま、必死になって叫びました。


「いや! 私からシシリーを奪わないで! 私、ここで働きたい!」


その叫びの直後に、ばぁっと、風が吹きました。たくさんの花びらと草の欠片が舞い、空気の流れに沿って私に飛びかかってきました。


身体をかばっていた腕が、まとわりつく花びらたちで重くなり、痺れてきます。そしてついに、支えきれなくなって、私はそこに座り込みました。


駄目……もう耐えられない。そう思ったと同時に世界が真っ暗になり、私は眠るように意識の底に落ち込んでいきました……。




……ちゃん……ちゃん……。


……ナちゃん……。


「……カナちゃん!」


はっとして、目を開いた私の前に心配そうな顔で見守る、店長の顔がありました。


「はれ?」


何だか上手く喋れない。すんごい間抜けな感じ。なんでこんな所で、寝ているんだろう。


「店長……寄り合いに出かけたんじゃあ……」


さっそく起き上がろうと力を込めた瞬間、後頭部を走るズキッとした傷みに、私は顔をしかめました。


「まだ動かないで。すごい腫れているわ。一応、お医者様を呼んでおいたから」


店長があわてて起き上がろうとする私の肩を優しくとどめました。


痛む頭を少しずつ動かしながら、私はもう一度そこに仰向けになりました。


見たことのない天井。見たことのない部屋。そして嗅いだことの無い香り。


そこは少し暗くて、狭い部屋でした。私が寝ているのは簡易的なベッド。あとは机と椅子とダンボールの山。それだけで部屋は一杯になっていました。


「忘れ物をした気がして、戻って来たのよ。ちょとだけ、嫌な予感もしてね……そうしたらびっくり!」


ちょっと古臭い、大げさに手を広げるジェスチャー。


「カナちゃん、店先にお水をまいたでしょう? そこで仰向けに倒れてるんだもん! ホースを持ったままで……心臓が飛び出るかと思った! それであわてて、お店の奥に運んだわけ」


「あ……それで、ここは?」


私は目だけ動かして、あたりを確認する。


「シシリーの物置部屋よ。物置部屋だった・・・が正解だけれど」


私が落ち着いたのを確認してから店長は振り返り、テーブルの上にある小さなポットを手に取る。古い記憶を思い返したように、くすりと笑う。


「ふふ! 思い出すわ。ここ、私が個人的な休憩部屋にしちゃったの。お店の立ち上げの頃よ。最初はスタッフが極端に少なくてね。どうしても納品が間に合わないこと、しょっちゅうだった。それで皆を家に返したあと、徹夜作業が続いたわ。ここに寝泊まりする日が続いたから、やがてベッドまで持ち込んで……」


ティーカップにお湯を注ぎながら、懐かしそうな顔をする。


「そう、私の第2の家ね。でも汚い部屋だから、みんなに見せるのは恥ずかしかった。それでいつもは鍵をかけているの」


店長は温かい湯気の出るカップを差し出しました。


「はい、セントジョーンズワートティ。飲めるかしら?」


慎重に起き上がり、受け取ったハーブティをひとくち、頂いた。甘みと少しの苦味がいい感じ。草とか木の香りが鼻を抜ける。ちょうどいい温度で、口を湿らし、喉に潤いを与えてくれました。


「ハーブティって、不安とか興奮を抑えてくれるのよね。だから、ちょっと怒ってたり慌ててたりするお客様がいたら、この部屋にお通ししてふるまうの。少し時間はかかるけれど、話を聞いてあげるうちに判ってくれる方は多いわ」


私はこの美味しい液体の入ったカップをじっと見つめて、ゆっくりと残りを頂いてから深いため息を漏らしました。



何が「秘密」なんだか……まじめに考えた私が馬鹿らしい。結局、私は店長の足元にもたどり着いていないんだな。


「店長……寄り合い……行くはずだったのに、ゴメンナサイ」


私は痛む頭を少しだけ傾けました。


「何言ってるの。大事なのはカナちゃんよ」


それを聞いた途端、何かこみ上げるものがありました。でも気持ちが言葉にならず、黙っていたので何も言えなかったはずでした。


なのに、その次の台詞は、私自身がまったく考えていない、予想もしない言葉でした。


「私、このお店にいてもいい人間ですか?」


はっとして口を押さえたけれど、遅かった。何言ってるの、私?


ただ黙って微笑んで。店長はどこかで見たことのある笑顔を見せて、私に語りました。


「カナちゃんだから。ここにいて欲しいのよ」


あ……思い出した……この微笑みだ。


私は彼女に釘付けになりました。


シシリーに面接をしに来たあの日。出迎えた店長が、初対面の私――中学を出たばかりの小娘――をひと目見るなり、笑いかけてくれた、その時の表情。


これを見て私はここで働こうって思ったんだ。忘れてないよ。その思い出から、少し遠のいていただけ。


「大丈夫? 他にどこか痛むの?」


涙ぐむ私に驚く店長。あわてて首を振って、それを全否定する私。


「……あれ、何か思い出せないことがあるような……」


首をかしげる。


「すんごーい、夢を見ていたような気がするのに。……花とか?……怪物とか? 店長も出てきたっけ? あ、わたし寝ている間に、何か言いました?」


「大丈夫だと思うけれど」


シシリーの女主人はそう言って、いたずらっぽく微笑みました。





シシリーには「秘密」に通じる扉がある。それだけは間違いない。


いつか店長に認められたら、彼女からその扉を開いてもらえる。


だからこれからも秘密はあっていいって、思います。


だからね。


私はずっと、それを信じ続けます。




(フローリスト ~ 秘密の扉 ~   おわり)


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フローリスト ~秘密の扉~ まきや @t_makiya

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