花火とお別れ
「……ふに?」
博士の背中で目を覚ましたアイがきょろきょろと辺りを見渡しました。
「起きたか?」
「……あれ、なにか今すごく大きい音がしませんでしたか? 爆発音のような……。あれ、ここは……、最初の丘ですね。真っ暗です。ここでなにをしているんですか?」
「ちょうどいい。上を見ていてごらん」
「上? ですか?」
アイは言われたとおり空を見ます。
そこには燦然たる無数の星がありました。
「ふに。博士、これはきれいですね。あの提灯の光に負けずとも劣らないです……。これを見せに来てくれたんですか?」
「いや、これは副賞みたいなもんだよ」
「副賞?」
「正賞がほかにあるってこと」
すると、甲高い風を切る音が聞こえてきます。まるでトンビの鳴き声のようです。
そしてそれが真っ黒な夜空に、色とりどりの花を咲かせました。大きな花です。
「花火……ですね。きれい……。こんなに大きな花火は初めて見ました」
「ああ」
花火はつぎつぎに上がります。
「……ねえ、博士。向こうの世界の花火とはなんだか違う気がします」
「そうだね。きっとあっちの世界で同じ花火を打ち上げても、こうはならなかった。……そうか。僕はわかったよ、アイ」
「……なにがですか?」
アイは博士の背中から降りると、その場にペタンと座りました。博士もそれに倣ってアイの隣に座ります。
「わかったっていうのはね、《夏》の定義の話だ。……きっと《夏》というのは、みんなで作るものなんだ。いくら暑くても、風物詩があっても、ノスタルジックな思い出に浸っても。それはきっと《夏》じゃない。みんながいるから《夏》なんじゃないかな。……少なくとも僕は、そう思ったよ」
花火の光に反射した博士が満足そうに笑うのを、アイはその横ではっきりと見ました。
「……そうですね、そうなのかもしれません。それが《夏》なんですね。…………私も理解できました。そうかこれが《夏》なんだ……」
「やっぱり過去に戻ってくるのは正解だったわけだ」
「そうですね…………ねえ、博士?」
「なんだい、アイ」
アイは二人しかいないのに、博士にだけ聞こえるくらいの小さな声で言いました。
「みんなで過ごす夏って…………、とっても素敵なんですね」
「……ああ、まったくそのとおりだね」
二人は花火の残滓が感じられる夜空を名残惜しそうに見つめました。
そうして初めての夏祭りは終わりました。
*
「さてと……、《夏》もわかったことだし、戻るか、アイ」博士はタイムマシンに荷物を放り込んでいきます。
「…………」
アイは博士に返答もせず、黙って丘の下――さっきまでの大騒ぎが嘘のように静かになった田舎町を見下ろしました。
「寂しいのかい?」博士は白衣のポケットに手を突っ込みながら、アイの近くにゆっくりと歩いていきます。
十歳そこそこの少女が《夏》の終わりを寂しがることは仕方のないことだと博士は思いました。だからどうやって慰めようか考えていました。
「いえ、それもありますけど……違いますよ」
「?」博士も空と地面の丸っこい境界線を、アイと肩を並べながら眺めました。
「さっき博士が言ってくれたことです」
アイはまるで博士の隣に座ることを嫌がるかのように立ち上がり、博士と入れ違いでひとりタイムマシンの方へと歩きます。
「……さっき?」
「そうです。さっき博士は、《夏》はみんなで作るものと言いました……。でもそれって《夏》だけじゃないと思うのですよ。ふたりきりの世界では思いませんでしたけど……、みんなでなにかをするのってとっても素敵なことだと思いません?」
「……それは……、そうだな。そうかもしれない。……でもなにが言いたい?」
博士は少し声をうわずらせて言いました。
アイはタイムマシンの滑らかな表面にそっと手を触れます。
「博士はこの時代に残ってください。それがいいと思います」
「……アイ? どうしたんだ? なに言っているんだよ」
博士もタイムマシンの方へ向かおうと、膝に力を込めました。
「動かないでください! ……動いたら、私はこのタイムマシンでひとり過去に戻ります」
「そんな……、ちょっと冗談はやめてくれよ」
博士は焦りました。突然のアイの行動に、そしてアイの目が今までに見たこともないほどに真剣だったからです。
「ふに、冗談でこんなことはしません……。思い返せば、博士はひとりぼっちが嫌でした。そして私を作ってくれたんです」
「――だから?」
博士はアイの隙をつく機会を伺っています。
「博士。余計なことはしないでくださいね。私本気ですから。……あの時代に、人間のいない時代に博士が戻っても意味のないことです。ここに博士は残ってほかの人間と幸せに過ごしてください」
「わかった。わかったよ、アイ……。でもそういう論理ならアイも一緒に残ればいい」
アイは冷たく言い放ちます。
「それは無理なんです」
「……どうして?」
「……私はこの時代に長くいられないみたいなんです。たぶんこのタイムマシンも。この時代にもともとないものだからでしょうね。さっきから体の感覚が薄れてきています。そろそろ限界です」
「……そんな」
言いながら博士の頭のなかではジグソーパズルのラストピースがはまったかのように、合点がいきました。この時代に来てからずっとあった違和感――、人工知能のアイが言い間違いをしたり、博士の記憶が曖昧になったり――、それらは現在の時間軸に異物である博士たちが否定されていたからなのでした。
「人工知能はうそなんかつきませんよ」
「じゃあ一緒に帰ろう」
アイは困り顔で笑いました。
「やっぱり、そうなりますよね。だからひとりで帰るんです。もう決めたんです」
「……アイはタイムマシンの使い方なんかわからないだろう?」
「ここに来た時……、博士がいつでも帰れるように設定していたのを見ています。わかりますよ、あの赤いボタンを押せばいいことくらい」
アイはタイムマシンに乗り込みました。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、アイ……!」
アイは最後にタイムマシンから首だけひょっこり出すと、愛おしそうな顔で言いました。
「さよなら……。博士。元気でね」
「アイ、待ってくれ! アイ!」
次の瞬間、博士の叫び声を後にしながらタイムマシンは一瞬にしてこの時代から消えました。
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