陽夏

アイは白いテントが三つ並んだ比較的大きなスペースで法被を着せてもらいました。

どうやらこのスペースはお祭りの本部となっていて、陽夏はつまりお祭りの管理役だったのでした。


さあこれから仕事のお手伝いだというところですが、その前に、

「博士……どうですか、これ」

アイが着ているのは背中に《祭》と書かれた青地の伝統的な法被で、荒ぶる波が描かれていたりします。

アイはその法被をとても気に入ったようで、袖からちょっとだけ出る手で鳥が羽ばたくように両腕をばたばたとしました。


「アイにはちょっと大きいな」

「ふに。そういうのを聞いているんじゃないのです」

アイは唇を尖らせます。


「……僕は黒ポンチョの方が好きだけどね……、まあそれも似合っているよ」

博士は目を逸らしながら言いました。

「ほんとですかっ? 嬉しいです」

アイは満天の輝く笑顔です。


「おーい、こっち手伝ってくれ」

見ると陽夏がテントの外で手招きしています。

相変わらず白衣の博士とすっかりお祭りモードのアイはテントを出て行きました。


「見回りに行くよ」

陽夏はペンとバインダーに紙を挟んで持っています。

「見回り?」二人は息を揃えたようにオウム返しをしました。


「そ、見回り。みんな年に一度のお祭りで浮かれ上がっているからさ、ルールを破ってないかだとか、危険がないかとか、一日に何回かチェックしながら見回るんだよ。……とここまではまあ建前で、実際はこんな田舎町で暴れまわるなんてないんだよね。つまりお飾りの役職といってもいい」


博士は辺り一面を見渡して、確かにこんなところで暴れまわる人はいなさそうだなと思いました。


「ふうん、そんなもんですか。退屈そうですね……」

「まあそう言うな。キミたち二人を見回りのお供に任命した理由はほかにもあるよ」


「……? なんです?」

「歩き回ったほうが、《夏》を見つけやすそうでしょ?」


博士から見る陽夏は逆光になっていて、余計に陽夏の笑顔が眩しく映りました。

そうして陽夏を先頭にして、三人は見回りに出かけました。





みんなが準備している縁日の中央を歩いていくと、陽夏が両側に出ている屋台から次々に声を掛けられていきます。


「陽夏ちゃん、久しぶり! ……ってその子たちまさか……いつの間に?」

「おばさん、元気そうだね。私のコじゃないよ。さすがにでかすぎでしょ」

だとか、


「おう、陽夏ちゃん! 元気してたか? ずっと顔をみせねーで」

「ごめん、ごめん。なかなか帰ってくるタイミングなくってさあ。おじさんも元気だった?」

だとか、


「……あれ? 陽夏じゃん! いつぶり? 高校卒業以来じゃない? いまなにやってんの? そういえば美咲のやつ結婚したらしいよ」

「え? ほんと? あいつ抜け駆けしやがって……。そんな素振りなかったのに」

だとか。


カルガモ親子のごとく陽夏にくっついて歩いている博士とアイは、その会話の副産物として次々とかき氷やら杏飴やら綿菓子やらをもらうのでした。


「――すごい、すごいです……。うちで作る料理とは全く違います! 冷たいです。甘いです。ふわふわしています!」

「確かに《超自動調理機》で作ったものとは一味違うな……」

「どう? 夏は見つかりそう?」陽夏がお菓子にかぶりつくアイに言いました。

「ふに。もうちょっとです!」

「もうちょっとかー。……さて、ここがお祭りの終点だよ」


見るとそこから先にはもう屋台がありませんでした。そこに見えない境界線があるかのように、それを一歩超えるとお祭りの夢から覚めてしまうかのように、くっきりと区切られているのでした。


「随分と小規模ですね」博士が言いました。

「まあこんなもんでしょ。こんな小さな田舎町なんだから」


陽夏は言葉の温度を十度くらい下げて言いました。

そして身を反転させると来た道を進み始めます。博士とアイが慌ててそれに続きました。


「……失礼ですけど陽夏さんもここで暮らしているわけじゃないんですか」

「なにも失礼じゃないよ。そうだね、ここではもう暮らしていない。都会に引っ越しちゃったんだ。高校卒業してすぐにね」

「なぜです?」


わざわざ引っ越すというのは博士には理解出来ないものでした。


「んー。そうだなあ。……ねぇ、アイちゃん。向こうの屋台でふがしの店があるから貰っといで。甘くて美味しいよ。陽夏のお使いですっていえば貰えるから」

「? わかりました。ふがし、ですね。貰ってきます!」


アイが小走りで駆けていきます。


「アイー。転ぶなよー。…………で、アイがいたら言いづらいことなんですか」

「いや、そんなことないけどさ。ちょっとばかし眠くなっちゃう話だからね。……えーと、私が高校卒業後すぐに都会に引っ越した理由か。――それはね、夢を追って都会の砂漠に旅立ちました。……とでも言えば多少は恰好がつくんだろうけどね。大した理由じゃないよ。いわゆる《僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安》というやつだね。なんだかこのまま小さな田舎町で一生終えるのはどうかなって思っただけなんだよ。よくあるだろ? あぁ、都会育ちの博士くんにはなかったかな? ……別にそれが嫌だとか苦痛だってわけじゃなかったけどさ。私もまだ子どもだったもんで、なんというか、この大空に翼をはためかせてみたかったというか、ま、そんな青臭い理由だ」


陽夏はピカピカに晴れている青空を眺めながら言いました。

一陣の風が二人の間を駆け抜けました。夏の匂いがします。


「……じゃあ、その大空はどうでしたか」

「どうだろうな。正直、私にとってあんまり居心地がいいものじゃなかったのは確かだね。でもそれは都会が悪いというよりは私の心が良くないんだろうな、とも思う」

「陽夏さんの心?」

「……私は田舎育ちだからさ、ここはじいちゃんとばあちゃんばっかりだけど、人付き合いは多いし、みんな家族みたいな距離感だし、そんなのに慣れちゃってたんだよね。ここにいたときはそういうのが《小さい》って思ってたんだけど……、都会に行ったらそんなことなかったよ。人は都会の方が何千倍も多いけど、私には都会の方が小さく感じたな……。ってこんな話してもやっぱつまんないよね。『将棋の名人に勝ったけど十枚落ちのハンデ戦でした』みたいな。……ヤメヤメ!」


陽夏は顔の前で右手をぶんぶんと振り回して無理に明るい顔をしました。


博士は言おうと思いました。

――じゃあ人間が居なくなった世界で、どうしたら寂しくなくなるのでしょうか、と。

もし都会にも田舎にも誰もいなくなって、陽夏さんがひとりぼっちになったら貴方はどうするのですか、と。


でも言えませんでした。


ふと博士が前方を見るとアイが戻ってきたようです。

ふがしを両手に抱え、口にも突っ込みながら歩いてきます。

「はふぁふぇ! このふふぁしとっへもおひしいでふ!」

「歩きながら食べない。食べながら歩かない。お行儀が悪いぞ?」

「あー。なんか、アイちゃんを見ていると和むなあ……。じゃあアイちゃんも戻ってきたし、そろそろ行こうか」


すると陽夏は屋台と屋台の間にある右の小径に入っていきます。来た時には入らなかった道でした。


「……ちょっと陽夏さん、どこ行くんです?」

「つまらない話しちゃったからさ。そのお詫び」

「お詫び?」


「そ。ねぇ、アイちゃん。スイカ食べたくない? 甘くて冷やしているのがあるんだけど。お祭りの本番までまだちょっと時間あるしさ、ちょっとうちに寄ってよ」

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