過去との出会い

博士とアイの二人は丘を下り、しばらくは簡単に土が固められただけの道が続きましたが、それを抜けると今度は畑が見えてきて、さらにその先にぽつぽつと民家が姿を現し始めました。そしていつからかその道は大きくなり、その両脇に、屋根付きの小さなお店がたくさん並んでいます。


「……博士、これはなんでしょう?」

「うーん、市場かな? たぶん」


二人はさらに進みます。するとすぐにたくさんの人間に出くわしました。ほとんどが男性で、人間たちはそれぞれ小さなお店の準備をしていたり、周囲に飾り付けをしたりと、忙しそうに働いています。


「……博士、人間がこんなにたくさんいます! ……私、びっくりしました」

「ああ、知ってはいたけど……。実際にみるとなんだか、すごいな」


博士はふと立ち止まると、呆然とした顔でこの時代の人々を眺めています。


「博士……?」

「あぁ、……いや、なんでもない。進もうか」


博士は表情を柔らかくすると再び歩き出しました。

アイはその様子を疑問に思いつつもボブヘアーの白い毛先を揺らしながら博士についていきます。

二人はそうして道の中央を歩いていきます。すると両側からたくさんの声が聞こえてきました。


「おい、神輿の順路は確認したか」

「屋台の骨組みが……、こりゃだめだ。腐りかけているぞ」

「お釣りの小銭を用意しとけよ、特に百円玉は多めに」

「提灯の数が足りない! この祭りの目玉なんだからしっかり準備しとけ」


アイは博士の頭一つと半分くらい低い位置から、ひょこっと博士の顔を覗き込みます。


「博士、これ市場じゃなさそうですよね」

「……なんだろう、お祭りの準備?」

「ん、お祭り。知っています。本で読みました」アイが体をくるりと一回転させながら辺りを見渡します。「……ふに、これがお祭りですか」

「たぶんね――、」

「あ、女の人を見つけました」


アイが指をさしたその先には、屋台の前に立っている痩身の女性がいました。女性にしては背が高く、博士と同じくらいでしょうか。博士から見えるのは黒のタンクトップにデニムのショートパンツを履いていて、歳は二十歳ちょうどくらい……、といった情報です。見間違いでなければ、黒のタンクトップの下にはさらし・・・のようなものが巻かれているようでした。


「こら、人を指でさしちゃダメ」

「? そんなルールあったんですか?」


まぁ、知らないのも当たり前か、と博士が思っていると、

「おねえーさーん! こんにちはー!」

アイがとてとてと女性に駆け寄っていきます。

「お、おい、ちょっと……、なにやってんだ、アイ!」


博士はなるべくこの時代に影響を与えないよう、人には干渉しない予定でした。もう無理な話ですが。


アイに駆け寄られた女性は笑顔で応答します。

「うん? あぁ、はい。はじめまして、かな? ……うわぁ、綺麗な髪の毛! 狐の尻尾みたいでかわいい!」

女性はアイの頭をベレー帽ごと撫でました。

かくゆうその女性も、胸元まで伸びた眩しいほどの真っ黒な髪の毛がさらりと揺れています。


博士もアイに追いつきます

「すみません、急に……」

「あぁ大丈夫だよ。私も思わずこの子の頭を撫で回しちゃったから。……親戚の家に遊びに来たのかな?」


女性は左手で耳に髪をかけました。細い手首に髪留めのゴムなどが何個か着けられていました。猫目で眼光がやや鋭く厳しい印象で、その周囲には長いまつ毛がびっしりと生えていました。アイに微笑みかける様子を見る限り悪い人ではなさそうです。


「あ、えーと。……はい、そうなんです。兄妹で里帰りでして」

それを聞いたアイがやれやれと言った様子で口を開きます。

「ふに、なに言っているのですか、博士。違いますよ。もう忘れちゃったんですか? ……博士と私は《夏》を探しに来たのです」


「へ? 博士? 夏? なにそれ」

女性は頭にはてなマークを三個ほど付けました。


博士は慌てました。

「お、おかしなことを言うな、アイ。……あ、すみません、妹はちょっと変わってまして――、」


「へぇ、夏を探しに、ねぇ。……ふうん、そうかそうか。たしかにもう都会には夏らしい夏がないものね……。こんな田舎までご苦労さま。まあ気持ちはわかるよ。私も夏が大好きなんよね。夏生まれだし。……それにしても白衣のお兄ちゃんに黒いポンチョの妹っていうのは、『酢豚を食べて苦手なパイナップルが入っていたと思ったら、それが実は梅干しのはちみつ漬けで、うわっ。なんだよ、これ。ありえないだろ……。いや、でも案外ありかな?』っていう、そんな感覚だね。都会ではそんな服が流行っているの? ……あぁ、そういえばさっき《博士》って言ってたね。ゴッコ遊びかなにかなんだ? 妹さんのために健気だね。仲良しはいいことだよ、うん。仲が悪いよりはマイナス二の十乗くらいいいね。つまりプラス1024倍だ」


「いや、長いですよ……。それにたとえが意味不明です」

博士が呆れるくらいに、お姉さんは饒舌家でした。


「そうだね。これが私の欠点とも言えるなあ。自己紹介で自分の欠点から話すというのもなかなかナンセンスでハイセンスだけれどね……。まあそれは置いといて、閑話休題。それはさておき、余談はこれくらいにして。――今日はちょうどいいんだ。うん、里帰りに来るなら今日がベストとも言えるね。だってキミたち、コレ・・があるから里帰りを今日にしたんでしょ?」


お姉さんが白い歯を覗かせながら、親指でくいっと自分の背後を指しました。その先には大勢の人たちが各々の屋台を準備している光景がありました。


「……えぇ、そうなんですよ。僕たちはここのお祭りが三度の飯より大好きでして……。なぁ、アイ?」博士はぎこちなく笑って肘でアイを小突きました。


「……? はい? そうですね……。とっても楽しみにしていました?」

アイはよくわかりませんが調子を合わせました。


「それは嬉しいね。いまは子どもが減ったからさぁ。この夏祭りもいつまで続くかって話なんだよねぇ。アイちゃんみたいな可愛い女の子がもっと来てくれるといいんだけれど」


言いながらお姉さんはアイの頭をベレー帽ごともう一度ぐりぐりと乱暴に撫でまわしました。


やはりこれは――大勢の準備している屋台や飾り付けは――夏祭りなのでした。


博士とアイの二人はこっそり目を合わせると、お互いにひとつ頷き合います。

そして博士がちょっと考えたあと、口を開きました。

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