緑の海
気がつくと二人を乗せた《タイムマシン》は緑色の海の中にいました。
海というのは比喩表現で、そこは小さな丘でした。ちょっと行くと下の景色を見渡せる崖がありました。その丘の中央にぽつんと白い人工物――《タイムマシン》が不釣り合いに鎮座しています。
静かな機械音とともに球体の上半分が開きます。すると球体の中から人間の手がにょきっと生えてきて、男の子と――、その背中に少女が掴まっていました。
「アイ、大丈夫か? もしかして酔った?」
「ふにー……、全然大丈夫じゃないですよ。めちゃくちゃ恐かったですよ。死ぬかと思いましたよ。最悪です。ありえないです。いきなり出発するなんて人間のすることじゃありません」
アイは博士の背後から肩をぽかぽかと叩いて抗議しました。
「A・Iにそう言われると心が痛いな」
「笑ってないで反省してください」
二人は地上に下ります。地面に足を着けると博士はアイを背中から降ろしました。
気温や空気などの条件は《自律型温度調整スーツ》があるのでひとまずは大丈夫ですが、もしものときのためにこの時代の気候情報を確認しておいた方が安心です。博士はまず空を見上げました。
「…………空がこんなにも……。アイ。空をみてごらん」
「なんですか……。私はいまご機嫌斜めモードなんです……、ってうわあ、すごい。お日様があんなに高い……! 初めて見ました。お日様があんな位置に!」
アイは右手をお日様と顔との間に配置して、目が眩まないようにしながら空を眺めました。
「アイの言う通りだね。……それに、空がまさに『空色』だ」
「私たちの世界と随分と色が違いますね。……こんな気持ちのいい青、初めて見ました……。こっちのほうが、いいですね」
アイたちのいた世界でも空が青色ではあるのですが、もっとくすんだ、どんよりした色をしておりました。
「……うん、これが夏なのかな……。よし、文献通りだし、これなら大丈夫だろう。――《温度調整解除》」
博士がそう唱えると、二人のそれぞれの頭上に白い泡のような直径一メートルほどの輪っかが表れ、それが二人の身体を包み込むように下まで降りてきて、地面に到達した瞬間、二人は温度調整機能だけ失いました。単なる服としての機能は継続しておりますが、デザインはそのままで涼しいように生地を変化させるのでした。
すると二人を《夏》が包み込みました。
「博士……、これは暑いですね。気温は摂氏何度あるのでしょう……。それになんだか――」
「とてもジメジメしているね。……この時代の夏はこんな感じなのか。これはキツイな……。『海と砂浜で舞い上がってしまい六時間かけて立派な砂のお城を作ったけど、思ったよりも潮の満ち引きが激しくて翌日にはそのお城が跡形もなくなっていた』みたいな気分だ」
「ふにぃ……。なんですかその変な喩え……。全く伝わりません」
アイの額にはもう汗が浮かんでいました。
「いや、これは伝わる方だろう……。あ、そうだ。ちょっと待ってて、アイ。用意しとかないと」
「?」
博士は《タイムマシン》まで戻ると、なにやらパネルを操作しているようでした。
「どうしたのですか、博士」
アイは後ろ手を組むと、ひょいっと顔だけタイムマシンを覗き込みます。
「準備をしているんだ、帰るときの。なにかあったときにボタンひとつで出発できるように」
「なるほど、さすが博士。用意万端ですね」
「……珍しく言い間違えたな。用意周到と準備万端が混じっているよ……。よし、なにかあってもすぐに帰れる」
アイが言い間違えるなんて今までなかったことですが、この世界にきて興奮状態なのだろう、と博士は推測しました。
「これからどうするのです?」
「そうだな、とりあえず……」博士は崖の方に歩いていきます。「あそこに行ってみようと思う」
「ふに? あ、ほんとだ。建物がたくさんありますね」
空と大地の境界線はちょっとだけ丸くなっておりました。その下側に、建物がたくさんあります。どうやら小さな田舎町のようでした。
「丘を下りよう。アイ、荷物を持って」
「ふに、どんな夏があるか、楽しみです!」
二人はぎらぎらと照り付ける太陽に《夏》を感じながら、丘を下り始めました。
背後ではタイムマシンがふっと透明になって、見えなくなるのでした。
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