はじめての世界
部屋の中央に立つ博士が
少女は小柄で華奢でした。
博士の白衣よりもさらに白く透き通る柔らかそうな肌と、髪の毛は栗色に毛先だけ白のボブで、ちょうど狐の尻尾のようでした。それが内側にくるんとして愛らしいく肩先まで輝いているのです。
少女はもちろん本物の人間ではありません。言ってしまえばどこまでも精巧に作られているロボットで、物凄い人工知能を搭載しておりました。
「――やぁ……。気分はどうだい?」博士は恐る恐る尋ねました。
少女は自分の足で立ったまま、滑らかにゆっくりと、長いまつ毛で縁取られた瞼を開けると、こう言いました。
「……ふに。悪くないですね。……あなたが博士、……なのですか?」
形のいい桃色の唇が言葉を紡ぎ出します。
どうやら博士の決死の研究は成果を得たようです。博士はあまりの喜びに目から水の大群が自然に溢れてきて決壊しそうになりましたが、それはぐっと堪えました。
「……そうとも。僕が博士だよ」
少女には初期情報――人間として最低限の知識データと、博士はどういう存在かなどをインプットしておきました。
しかし人間の脳というものは複雑で繊細なため、初期データは必要最小限に収めました。あとで教えていけばいいと思ったからです。
「ふーん」少女は博士の頭のてっぺんから足元までゆっくり上下に視線を動かしました。「……えへへっ。意外と若くてかっこいいんですね!」
「……なんだって?」
博士は面を食らって、ゴーグルが右だけ三センチほどずり落ちました。
きっとまだ体がない頃に電子回路のなかで博士の容姿を想像していたのでしょう。
それにしても発言がいかにも人間の少女らしいじゃありませんか。
これは上手く作れたぞ、と博士が考えていると、
「ねえ、博士? ここ、すごく寒いのですよ。――へっくしょ! ああ……寒いです。いじめです。虐待です。あの……、服はないのですか?」少女はがくがくと震えています。
「……! ああ、ごめんよ」
博士は慌てて予備の《自律型温度調節スーツ》を取りに行きました。
いくら自分が
博士は取ってきた《自律型温度調節スーツ》を着せてあげました。
「ん? なんですか、これ」
少女は物珍しそうにしながらそのスーツに触りました。
すると《自律型温度調節スーツ》はぴかっと光り、少女に合わせて形を変えました。
黒のふわっとしたベレー帽に、これまた黒のポンチョ。ポンチョの首回りと裾には白のフリルが、後ろにはフードがついておりました。前面にはトグルボタンが三つ付いていて、裾はひざ下まで伸び、そこから下はレギンスに革のショートブーツです。
少女は「ふに!」と目を丸くして驚いたあと、くるくると身体をその場で一周、二周させて興奮気味に喜んでおります。
「……博士、いきなり服が出てきましたよ! ほら、見てください。……とっても可愛いです、この服!」
「うんうん、似合っているよ。僕の白衣とは対照的だね。まるでオセロだ」
少女はえへへ、と髪の毛を指先で内側に巻きながら照れました。
「ありがとう、博士。……でも、あのお……、でも今度は、ですね」
「?」
なにか言いにくそうにしている少女を博士が疑問に思っていると、「グウゥゥ」という少女のお腹の虫が一斉に鳴きました。少女は博士の白衣のように真っ白なその顔を、一気に真っ赤に染めました。どうやら感情表現の制御もばっちりのようです。
「ああ、そうか。ちょっと待ってて……。いま用意するよ」
博士は少女のことを人間同様の食事を取るように設計していたのでした。
キッチンに向かうと博士はもう必要のなくなった余りの部品なんかをひょいひょいと《超自動調理機》に放り込むとボタンをピッ。ものの数秒でなんとも美味しそうなカレーが出来上がりました。
博士はそれをキッチンテーブルに並べます。
「キッチンテーブルでちゃんと食事をとるのはいつぶりだろうか……。ちょっと感動……。おーい、えーと……、ああそうか、名前をつけていないんだった。ちょっとこっちにおいで」
すると少女は周りをきょろきょろと見渡しながら、恐る恐るといった感じでキッチンにやってきました。
少女にとってはまだすべてが新しいのです。
「このいい匂いはなんですか?」
少女はくんくんと匂いを嗅ぎ、見たこともない白と茶色の、だけれど食欲をくすぐられるその匂いに困惑しているようでした。
「これは食べ物で、カレーというんだ。その特徴は非常に美味しい。特に二日目」
「……ふに。《カレー》ですか。あ……、この色はっ」
少女は勢いよく椅子に立膝で座ると、テーブルの端に両手をちょこんと添えて、カレーを覗き込みました。
「どうしたんだい?」博士も少女の対面に座ります。
「私の髪の毛の色と同じです!」少女は目をきらきら輝かせながら、右手で自分の毛先付近の髪の毛を一つまみしました。
「ああ……、ふふっ。ほんとだね。でもカレー色って」博士は笑いました。
少女は小首を傾げます。「んん? なにか可笑しいのでしょうか?」
確かに少女は全体が茶色と、毛先だけ白の髪色でしたが博士は狐の尻尾のようだと思っておりましたので、カレーのご飯とルーというのはつい笑ってしまうのでした。
「うん、まあなんでもないよ。……ほら、冷めちゃうから食べよう。あ、でもその前に……キミの名前をつけようか。なにか希望ある?」
少女は《名前》という概念はわかりました。そして口元に右手を添えてたっぷり十秒は考えると、
「そうですね……、私は博士の作成物なので、博士が名前をつけてくださいっ」
「そうは言ってもなあ……」
博士は少女を観察しました。ふんわりしたベレー帽、狐の尻尾みたいな髪の毛、整ったあどけない顔立ち、黒いポンチョ、白くてすらりと生えた腕、可愛いフリル、引き締まった印象のレギンス、革のショートブーツ……。外見からはパッと浮かびません。
博士は難しい表情をして考え込んでしまいます。
「……博士?」
少女は急に黙り込んだ博士を見て心配そうに博士を覗き込みました。
博士はその少女の表情に驚きました。あまりに人間的な表情だったからです。
「……ああ、そうだ。じゃあ《アイ》にしょう」
「アイ?」
「ああ、人工知能のことをA・Iと言うんだ。だから、アイ」
「アイ……。ふに。短くてわかりやすいです。気に入りました!」
少女はポンチョの裾と髪の毛を揺らしながら微笑みました。その姿はやはりあどけない人間の少女にしか見えません。
「……よし、じゃあ食べようか」
「はい! 食べましょう、博士」
「じゃあ、いただきます」
「……? いただきます?」
「ああ、《いただきます》というのはね――」
こうして博士と人工知能の少女・アイのふたりきりの生活は始まったのでした。
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