第二章

束の間の休息

16


 魔術師の路ベートを抜け、次のセフィラであるビナーで宿を見繕うとエドワルドはどっかりと腰を休めた。寝台に添えられた鮮烈な色を讃える一輪の花や木目調の温かな家具の色合いを目で追って、ほっと息を吐く。


「世界に色彩は溢れてるもんだなー」


 繁々と己の手を見つめて、感傷的に呟いた。白に染まるセフィラの外には空地の境界がない。両の瞳は全てを捉えているはずなのに、冥々と闇が落ちる夜に迷い込んだ気分に陥る。気付けば意識が朦朧としていて、自我を見失いそうになるのだ。なるほど、二人が定期的に話しかけてくる理由もよく分かる。


 人心地が付いて身体を横たえ瞼を閉じていると、部屋の外から扉を叩く音がした。束の間の休息を妨げてくれるなとエドワルドが断固として別室を要求したために、二人は渋々と隣室に控えている。生返事をすると、楚々としてフィリアが顔を覗かせた。


「エドワルド。貴方に折り入って頼みがあります」


 手招きに従って入室すると、開口一番にフィリアは告げる。穏やかではないとエドワルドは上体を起こして頭を搔いた。


「頼みというと?」


 エレノアを天使ではないと仮付けしたが、それが即ちフィリアを天使とする訳ではない。悪魔として振舞っている以上は身構えてしまう。


「エレノアを探してきてはくれませんか? 少し前に部屋を出て行ってしまって」


 一瞬、エドワルドは言葉の意味を理解できなかった。頭の中で反芻して、間の抜けた声が出る。


「……俺が?」

「はい。お願いできませんか?」


 懇願するようにエレノアは胸の前で手を合わせた。


「俺が行ったらかえって事態が悪化すると思うんだが。魔術師の路を抜ける間も最低限の会話しかしていないし。宿の場所も知っているんだから、気が済めば戻ってくると思うぞ。そんなに気になるならフィリアが探しに行けば――」


 思い返しても明白に距離を取られていたと確信できる。そんな状態のまま探しに出たところで鬱陶しがられて終わるだろう。しかし、フィリアは頑として首を縦には振らなかった。


「いえ、私では駄目なのです。連れ戻さずとも構いません。陰からあの子を見守って頂ければそれで十分ですから。ね?」


 黄水晶シリトンに似た瞳が悩ましげに細まる。お互いの視線がかち合い、先にエドワルドが折れた。


「どうしてそこまでエレノアに拘る? 曲がりなりにも天使と悪魔なら、肩入れする理由がない。悪魔フィリアからしたら天使エレノアが自滅するのを手を拱いて見ていればいいはずだ」

「確かに、その通りです」


 フィリアは言い淀んだ。


「ですが、私にとってエレノアは大事な片割れ。自分の半身にも似た存在が気落ちしていたら、私も……調子が出ないじゃないですか」


 それは悲嘆に暮れた表情で、そんな顔をさせてしまったことに後ろ暗さを覚えたエドワルドは調子外れに声を上げながら重たい腰を上げる。

 寝台の周りに脱ぎ散らかしていた靴を手繰り寄せて、爪先から押し込んだ。エドワルドの準備が整うと、フィリアは扉を開けて慎ましやかに端に避ける。


「まあ、街を散策したかったからついでに探しておくか」

「はい、お願いしますね。私は念のため此処にいますので。きっとお腹を空かせているでしょうから旗亭を見て回ると良いかもしれません。あの子は甘物よりも少し苦味の入った物が好きなのでお忘れなく」


 まるで用意周到に整えられた口上を読み上げるが如く続けるフィリアに、ぴしりとエドワルドの足が固まった。ぎぎぎ、と傀儡(くぐつ)のようにぎこちなく振り向く。


「謀ったな……」

 苦笑いを浮かべるエドワルドに、フィリアは悪びれもせずに言葉を重ねた。


「ああ、ちなみに私は甘い物が好みですので宜しくお願いしますね」

 

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