15


 三人は変わらず、西門の前でエドワルドの帰りを待っていた。テオドールは表情の削げ落ちた鉄仮面を貫いていたが、エレノアとフィリアは心の底から安堵した表情を見せた。


 街から出られないとは知っていても、エドワルドが戻ってくるとは限らない。長らく待たせたことを詫びると、腹を括ってテオドールの前に進み出た。


 柄を手に取り、一息に鞘から引き抜く。エレノアが瞠目した。


「門を開けて欲しい――東の門だ」


 眼前に迫る門を背にエドワルドは剣を掲げた。蔦の絡まる意匠の施された護拳ごけんは、黒光りする刃を携えている。


「意思は剣となし、選定は下された。貴方の御心に従いましょう」


 沈黙の戒を解かれたフィリアが恭しく述べ、膝を折る。虚を衝いたつもりだったが、微動だにすらしない。よもや想定していたのかと疑りを差し挟むほどに平然とした佇まいだ。

 

 かたや、とエドワルドは隣に目をやった。視線が噛み合うなり、エレノアは今しがた浮かべていた沈鬱な面持ちを咄嗟に引っ込める。


「選定お疲れ様。テオドールなら先に東門へ行ったから」


 言い置くなり、横を通り過ぎてエレノアも逃げるように急ぎ足で東へ向かう。まるで出逢った当初に戻ったようだと溜息を吐いた。


「明らかに不機嫌なんだが」

「まるで頑是ない子のよう、ですか?」

「俺はそこまで言っていない」


 エドワルドが口を尖らせれば、フィリアはころころと鈴の転がるような声で笑う。


「ああやって割り切ろうとしているんです。初手で貴方が私を選んだからには、あの子もやり口を変えざるを得ないでしょうし」


 フィリアは手渡された得物の剣身を撫でた。手にして判ったことだが見た目ほどの重量はなく、刃引きもされた装身具としての剣である。といに刻まれた文字を白魚のような指が追う。


「理由を聞かないのか?」

「理由……ああ、私を選んだことについてですか。何故なにゆえ?」


 そう切り返されてエドワルドは言葉に詰まった。確かに悪魔からすれば、自分を選んだ理由が何であっても構わないだろう。信頼を寄せられている、その事実だけで十分だ。天使を遠ざければ正しく決断するための材料を失う。自ら鎧を剥いだ相手に剣を突き通すなど造作もない。


「ならば問いましょう。どうして貴方は私を選んだのです?」


 一瞬、フィリアの双眸が剣呑な光を帯びる。温厚で朗笑を絶やさない彼女が初めて見せる冷ややかな表情だった。エドワルドは怖気付いて咄嗟に視界に捉えた東門へと話題を振る。


「また胃が引っ掻き回される……」


 言葉にしたことで記憶が呼び起こされたのか、身体の奥の方が蠢く。慌てて口元を覆ってげっそりと顔を細らせた。その様子にフィリアは常のような笑みを取り戻す。


「慣れれば大したことありませんよ。……さあ、私の出番ですね。街に入る時はエレノアに先を越されてしまいましたから」

「なっ!?」


 鋭く風切り音が走る。ぽたぽたと数滴、赤いものが地に落ちた。掲げられた剣先をフィリアの血が伝う。呼応するように門に幾何学的な紋様が浮かび上がった。


「さあ、お手を」


 掌を鮮血に染めながら、フィリアが左の手を取る。続けざまに右手をエレノアが掴む。卵の殻が割れるような音が響いて、門の中心を亀裂が一線した。慌ててエドワルドは目を閉じる。


「窓は開け放たれ、天は汝が前に道を示さん」


 扉が唸りを上げると、背後から身体を掬い取るような突風が吹いて砂塵が頬を掠める。真隣で翼を閃かす気配がして、足が地を離れる。


 刹那。どこからか嗤笑ししょうが溢れて、風に紛れて消えていった。

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