14
噴水の
「逃げてどうすんだよ……」
ケテルに居座り続けたところで何も進展しない。エドワルドは顔を覆っていた両手でぐいっと前髪を搔き上げた。仰いだ空には光が満ちているが、曇天のように白く蟠っている。三人が追ってくる様子がないことに後ろめたさを覚えながらも安堵する。
「同じ問いをして異なる答え。とんだ読み違えだな」
無関心に通り過ぎてゆく人の流れを眺めていれば、独白が
「本来ならエレノアを信じるべきなんだろうが」
天使は信仰の最たる対象だ。そこにはエドワルドにとっても並々ならぬ信頼がある。だが、エレノアの言動を前にそれが揺らいでいることも事実であった。膝の上に肘を乗せ、手の甲を頭の支えにして考え込む。エレノアの頼りなさげな表情が脳裏を過った。
道を知る天使がああも懊悩するものだろうか。フィリアの不可解な言動も気にかかる。
「仮に策略だとして、ここで俺に疑念を抱かせる利点があるのか?」
エドワルドには肯否を決することができなかった。ただ、あの聡明な悪魔が短絡的に行動するとは思えない。何か裏があるはずだ、と警鐘が鳴る。
「何か悩んでいるの?」
凛とした声を伴って足元を凝視するエドワルドの視界に人影が差し込み、顔を上げた。白地のワンピースを纏った少女がそこにはいた。その姿を捉え、はっと瞠目する。
「……セリー、なのか……?」
エドワルドの問いに答える代わりに、少女は口元に薄っすらと半月型の笑みを浮かべた。血色の悪い肌は細く青い筋が浮かび、線も細い。肩ほどで乱雑に切られた髪は乱れがち――あの頃の妹と瓜二つだ。少女はエドワルドのすぐ隣に腰掛けると、地を掠める両脚をぶらぶらと前後に遊ばせる。
「一度見かけて声をかけたけど、久々だし恥ずかしくて咄嗟に隠れちゃった。ごめんね」
「あ、いや。セリーが無事なら俺はそれで……」
我知らず伸びた掌に、少女が擦り寄る。色素の薄い髪のごわついた感触が懐かしくて、
「てっきり行っちゃったのかと思ってたから、また逢えて良かったー。もしかして
少女の指差す先には門に連なる道。エドワルドが
「セリーは天使が嘘を
二人の答えが一致しないのは、どちらかが偽りを述べているからだ。それも気まぐれに。
思い起こされるのは「悪魔は気まぐれですから」というフィリアの含みを持たせた言葉。それを真実と断ずるならば、エレノアに寄り縋って残る東門を選べばいい。だが、桂冠を欲する悪魔が不必要に猜疑心を煽るだろうかという疑義が生じる。
エドワルドの難儀な問いに少女は暫し逡巡し、やがて口を開いた。
「お兄ちゃんは天使を信じたいんだよね。でも、私は嘘を吐くと思う」黙して先を促せば、少女は言葉を選びながら悲しげに続ける。「天使が本当に天使なら、きっと懊悩することもなかったんだろうね」
疑念の核心を突かれた衝撃に、エドワルドはすっくと立ち上がった。
「それは、あり得ることなのか……?」
呆然と溢れるエドワルドの言葉に、少女は曖昧な笑みを返した。ただ、意味深長に覚束ない足取りで噴水の縁に立つ。僅かに身体が後方を傾いだ。
「そろそろ私は行かなくちゃ。またね、お兄ちゃん」
慌てて差し伸べた手が宙を掻く。盛大に水飛沫が舞い光を受けて綺羅綺羅と輝くと、再び波紋を踊らす水面へと姿を戻す。
「……やってくれたな」
まんじりとエドワルドは水底を覗き込む。猜疑と不信の種を蒔くだけ蒔いて、少女は霧散するように立ち消えていた。水面に映る天使の彫像が剣先を擡げる。
セフィラは記憶の断片で出来た心象風景。街も人も色も香りも、全てはエドワルドが思い描いたもの。だとすれば、セリーの言葉もまたエドワルドが胸中に秘めた言葉だ。
天使が天使でないのだとしたら――。
知らず、口の端から自重まじりの笑いが漏れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます