選択の刻
13
一挙手一投足を三対の瞳で注視されるというのは存外、身を震わせる。エドワルドは質量を持って感じられる視線から解き放たれようと、大きく深呼吸をした。
「……良き選択を、か」
選定に際してエドワルドに課された制約は至って簡単である。天使と悪魔に対する二回の問答で開扉する門を決める、それだけだ。そして、ケテルにおいては次のセフィラに続く門が東西南の三基、存在する。要はこの中から二つを排除すればいい。
――まずは枠組みだな。
問答はエドワルドが設定し、天使と悪魔のいずれか若しくは双方に行う。制約がある中で効率良く回答を得るためには
『この道が楽園に続くかと我が問う時、汝、これに是と応うるか』
聖典の一節だ。真実を語る天使と天使の姿で騙る悪魔に対峙した際、旅人が知恵を働かせ問い掛けた台詞である。
単純に『楽園に続くか』と問われた場合には悪魔と天使の答えが一致せず、いずれが真実を語っているのか身形から判別できない状況においては、天運に全てを賭けるしか術はない。それに対して、旅人の問い掛けは、仮に示した道が正しく楽園へ続くのであれば天使と悪魔はいずれも是と応え、地獄であるならば否となるのだ。
聖典では二つに分かたれた岐路においての問い掛けであった。現状でも三基のうち、一基を排除できれば実質的には同じ場面を作り出せる。これは有用な手段だ。
エドワルドは暫し頭を悩ませたのち、
「二人に問う。この門は楽園に続くかと俺が聞いたら、はいと答えるか?」
「いいえ」
無機質な声でフィリアが首を振る。突き放すような冷たい響きを孕んでいた。感慨の浮かばぬ顔は審問官にも似た威圧感がある。寸分違わずにエレノアも平易な口調で否定を表明した。こうして聞くと、驚く程に似た声をしている。目隠しでもされた日には判別がつかないに違いない。
「南は違う、と」
想定通り二人の言葉が一致して、エドワルドは安堵する。これで残りは東西の二基に絞られた。いずれにしろ問答は変わらないからと利き手である右腕を真横に上げた。
「西に移動しよう」
エドワルドは宣言するとエレノアとフィリア、そしてテオドールの三人が従者のように黙々と追随する。城壁に沿って移動する間に人影がなければ喧騒も届かない。舗装のされていない足元は靴音すらも揉み消し、一層の静寂を辺りに
痛い程の沈黙がエドワルドの裡に再び畏怖を呼び覚ます。仮に選択を誤れば、道は地獄へ続いてゆく。聖典に描かれる地獄は雷鳴が叫び、暗雲の立ち込める茫洋の海だ。終わりはない。救いもない。そこは永遠の責め苦に苛まれ続ける魂の枷。
――地獄へ堕ちたら、あいつに逢えなくなる。だから、絶対に……。
エドワルドは足を止め、西門を見据えた。のっぺりとした面構えを拝むのはこれで三度目だ。恐ろしく特徴が削がれているのはその印象で門の識別をさせないためだろうか。
「二人に問う。この門は楽園に続くかと俺が聞いたら、はいと答えるか?」
少し前の自分の動作をなぞるようにエドワルドは繰り返した。先程は確かフィリアが即答していた。ゆえに何とも無しにエレノアを見遣る。
視線を向けられたことで自分から応えるようにと解釈したらしい。エレノアが徐ろに口を開く。
「……いいえ」
「はい」
そこへフィリアの声が覆い被さった。その声に弾かれたエレノアが微かに目を瞠り――慌てて視線を宙空へ逃がす。言い終えたフィリアは平然と口元を結んでいた。
幸か不幸か、エレノアの言葉を聞き逃しはしなかったがフィリアの行動にはその意思が明確にあった。エドワルドは呆気に取られて後退る。
「エレノア、悪いがもう一度――」
動転して口走った内容に、エレノアは口を引き結んだまま首を横に振った。
喋れない。既に二度、応えてしまったから。
苦痛を忍ばせる表情を向けられ、エドワルドも口を閉じた。
エドワルドに出来る全ての問答を終え、テオドールが事務的に預かった剣の柄を散らつかせる。どちらの剣を掴むべきだ。焦燥感に駆られて、エドワルドの視線が忙しなく行き来する。
精緻な装飾の施された白銀の剣か、簡素な中に毒々しさを滲ませた黒鉄の剣か。
己の踏ん切りのつかなさに辟易する。エドワルドは手を伸ばし、柄に触れる瞬間に引っ込めた。それではいけないと再び手を伸ばすが、やはり叶わない。
選べない。選びたくない。あんな思いはもう散々だ。
噛み締めた奥歯が擦れてぎりりと嫌な音がする。自分の弱さの核に触れて、不意にエドワルドの肩から力が抜けた。吐き出す息に紛れて掠れた音が言葉を成す。
「……すまない」
次の瞬間、エドワルドは門に背を向けて走り出していた。
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