12
宿を出て往来を前にすると、自然に欠伸が込み上げた。ケテルにおいて空が色を変えるなどありはしないことだが、我知らず言葉が漏れる。
「うーん、いい天気だ」
天高く腕を掲げて、伸びをした。ぽきぽきと関節が音をたて、強張った身体が解れていく感覚は心地が良い。束の間の休息により頭は冴え渡っているが、疲労が抜け切ったかと問われれば曖昧に頷くしかないだろう。
小脇に女人を従えて気楽に眠れるはずもなかったのだ。変に力んだ箇所は微かに痛みを訴えている。解しきれない部分は自ずと解消されるのを待つしかない。
ぐねぐねと珍妙に身体をくねらせる様子に、片隅でエレノアが幾ばくか鼻白んだ表情を浮かべていた。もう何度目かの欠伸を口の奥に押し込める。フィリアはずいずいと歩み寄るなりエドワルドの頬を両手で包み込んで、眦の涙を拭い取った。
「そろそろ行くわよ」
エレノアの言葉を契機に一行は歩むを進める。教会を中心として放射状に道が伸びる街の構造はエドワルドの知る宗教都市に似通っていた。噴水広場から伸びる石畳の道を真南に下るにつれ、段々と周囲の景色が変化していく。人々の賑わいは徐々に鳴りを潜め、それに伴い立ち並ぶ建物も屋台から宿場へ。やがて開けた場所に出た。
――これが、選定の門。
待ち構えていたのはエドワルドが入街を果たした北方の門と対象的な色合いをしたそれだった。黒檀の木肌が、堅牢な佇まいでエドワルドが選択を為す瞬間を待っている。深みのある闇色の門扉と白亜の側壁の対比で飲み込まれそうな感覚に陥った。
握り締めた拳の中で、爪が皮膚に食い込む。その痛みのせいで門を目前に臆している事実に気が付いてしまった。
「ご準備は宜しいですか?」
慄然とした心中を察したように、フィリアが物柔らかな笑みを寄越す。屈託のない朗らかな表情にエドワルドは
「とうに出来てるよ」
「それは殊勝な気構えね。私達だって気後れしてるぐらいなのに」
エレノアが笑んだ。緊張を滲ませる横顔に言葉の綾ではないと知り、てっきり鼻で笑われると想定していたエドワルドは肩透かしを食らう。
「天使ならこの程度、百戦錬磨じゃないのか?」
街中を低徊する際の口慰みにエドワルドは幾つかの質問を二人に投げかけていた。世界を構成する樹、セフィラについて、そして――門の選定について。語りぶりから察するに、二人はこうした道案内を随分とこなしているはずだ。
「百戦錬磨だろうが何だろうが緊張するわよ。だって貴方の選択一つ一つが私たちの行先を決めてしまうのよ? エドはもっと自分に頓着すべきよ。……さあ、始めるわ!」
一方的に会話を打ち切るとエレノアは高らかに拍手を打つ。すると、地から霧が沸き立ち人の形を成した。祭服の内に窮屈そうに肢体を収める男は、教会で桂冠を授けたテオドールだ。天の代人とされた彼は神事に際して、天に代わって儀式を執り行う役を担うのだという。
テオドールは顕現するなり、掌をエレノアとフィリアの両名に向けた。言葉はない。二人は腰帯に佩いた剣を外すと、テオドールに預けるに先立って諫言を残す。通例に則って天使であるエレノアから口を開いた。
「ここから貴方が選定を終えるまで私達は問い掛けにしか答えられない」
エドワルドが頷きを返すのを待って、エレノアは先を継いだ。
「必ず貴方を楽園まで送り届けるわ。――良き選択を」
やおら目を塞いで剣をテオドールの右手に託し、退く。続いて悪魔のフィリアが進み出た。
「――良き、選択を」
彼女は簡潔にそれだけ言い残すと、空いた左手に剣を託す。持ち手を正すと、テオドールは無言でエドワルドに柄を差し向け、選定の開始を知らせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます