10


 ケテルの街並みは清々しい朝に目覚めた時の朧げな夢に似ていた。漠然とした印象だけがそこにはあって、しかし局所的に鮮明な記憶が想起される。例えば、それは路地裏へ入り込む細道の場所であったり、居並ぶ屋台の名前であったりと種々様々で、共通項を見つけ出そうにも難儀する始末。終いには行きずりの宿に身を寄せる形で落ち着いた。


「何かしらあると思ったんだがな」


 最後の肉片を口に放って、独り言と一緒に咀嚼する。夕食は骨付きのラム肉にジャガイモと葉菜を添えた簡単な一品だったが、やはり不思議と味には覚えがある。嚥下せずにもごもごと口内で肉だったものを転がしながら、視線は木皿の上に縫い止められていた。

 噴水広場で聞こえたセリーの声。それに繋がる記憶は、今なお尻尾すら掴ませてはくれない。


 そこへ、一口大に切り分けられた肉片が視界の端から差し入れられた。エレノアの仕業だ。ころころと木目に沿って滑り落ちてゆく。


「あげる」

 察するに未だ腹が満たされずひもじい思いをしていると解釈されたのだろう。食前の祈りを済ませるなり嬉々として頬張っていたから、好悪が原因では決してないはずだ。


「そりゃどうも」


 つき返すのも詮ないのでエドワルドは礼もそこそこに、肉叉フォークで一突きすると口へと運ぶ。独特の臭みと柔らかな歯応えが癖になる味わいだ。


「やっぱり驚くほど似合わないわね、貴方」


 すっかり皿を空にして頬杖をついたエレノアは唐突に口走った。食事中の所作を言われたのかと思い、どきりとしたのもつかの間。視線は桂冠に注がれていると知り、胸を撫で下ろした。人より粗野な食べ方をしていると自覚しているが、指摘されると如何ともし難いところがあるものだ。


 口ぶりから言わずにいただけで心中ずっと考えていたことなのだろう。だとすると、教会でフィリアが妨げたのはおおよそこの発言を予測したからだと推察できた。そんなにも不釣り合いだろうか、としばし熟考する。


「そう不躾に言うものじゃないですよ、エレノア」

 上品に布巾で口元を拭いながら嗜めるフィリアの声音も心なしか震えている。


「お前も俺を揶揄からかうのか」

「それは哀しい誤解ですね。私はいつでも貴方の味方ですよ」

 フィリアは平然と言って退けると、頬杖の上で小首を傾げた。口元が艶めかしく半月を描く。

「ああ、でも嫌でしたら渡して下さってもいいですからね? 喜んでお預かり致しますわ」


 反射的に椅子が勢いよく倒れる音がした。視界の端には立ち尽くして落ち着かないエレノアが映る。


「生憎、美意識が欠如してるもんでな。桂冠のおかげで自分が比類なき美青年に見えるから問題ない。むしろ喜んで被るね」


 まるっきり感情が乗らない言葉を連ねれば、みるみるうちにエレノアの顔は渋くなり、フィリアは思惑通りに事が運んだと益々笑みを深める。


「そう。それでいいのです」


 エドワルドは大仰に溜息を吐く。少しずつだが街を散策する合間にも為人ひととなりは掴み始めていた。


 強奪を禁ずる教えにあっては悪魔も律儀に従うらしい。言葉で以って欺き、子羊の行動で以って桂冠を得ることを是としている。それは自ら規範に背いて天に翻意することこそ至高であり、それ故に巧妙かつ婉曲な物言いで相手の失言を誘うという。

 だからこそ、なおさらフィリアはたちが悪かった。というのも、この悪魔はエドワルドにそれと明確に分かるような甘言を差し向けておきながら、その実、やきもきするエレノアの反応が見たいだけなのだ。


「エド、貴方……」

 そして、可哀想な者を見るような目つきでエレノアが言う。無事に要らぬ誤解を与えたようだ。手を洗うための水盤を控えめに寄せられる前においとまするのが吉と見た。静かに目を閉じ食後の祈りを捧げて席を立つ。


「部屋に戻る」

「では、私たちも」

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