路も半ばを過ぎると、行く手に城壁が見えてきた。赤土色の煉瓦を屋根に積んだ家々がひしめき合い、中央には遠目からも白い尖塔が建っているのが分かる。比較的に規模の大きい城郭都市だ。


「あれがケテルよ」


 歩調を緩めて距離を縮めたエレノアは、そう言い置いて再びすたすたと前に出る。さながら踏ん切りのつけどころを見誤った子供のようだ。その証拠に時折、肩越しにエドワルドの様子を窺っては視線が噛み合う前に顔を逸らしている。


「頑固だな」

「ええ、本当に。根は純真なのに含羞がそれを拒むのです。エレノアはいつもそう」


 幾度目とも知れぬエドワルドの呟きを拾って、フィリアがくすりと笑う。言葉尻は物柔らかで、親愛の情が透けて見えた。


「天使らしくない天使もいたもんだな」

 言外に悪魔らしくない悪魔も、と含みを持たせれば、フィリアは婉然と首肯する。


「天使にも色んな子がいますから。それに悪魔も元を正せば天使――いわゆる堕天使です。天使には不妄ふもうの戒があって、それを破ると地獄に堕とされてこの通り。こうして子羊を誑かすしか能が無いわけです」


 翼の名残だという腰元の筋張ったそれを広げて風を切る。確かにそうと言われれば見えなくもない。

 ふと引っかかりを覚えて、エドワルドの視線が天使と悪魔の横顔を行き交う。忙しない所作に気が付いたフィリアがあざとさを滲ませて、こてんと首を傾げた。


「私の顔に何か?」

「あ、いや」

 どう尋ねたものか、と考えあぐねて言葉に詰まる。突拍子もないことだが、何より意味深長な言葉がエドワルドの胸中に湧いた一つの推測を口にさせた。


「二人は姉妹、なのか……?」


 かたや墨染の黒髪に猫のような黄色目を持つ、おっとりとした悪魔。かたや白妙の銀髪に兎のような赤色目を持つ、やさぐれ気味の天使――確かに双方の帯びる容貌や性格はまるで違う。


 しかし、その中高なかだかな鼻や整った眉目といった顔立ちが似通っている。背丈もエドワルドの肩ほどで、おそらく大差はないだろう。


 フィリアは首肯した。伏した目元に眉毛の影が落ちる。


「父の羽から捥がれた二翼の天使が私たち。双子、といった方が適切でしょう。エレノアは、私の大事な片割れです」

 どこか愁色を持ったフィリアの語りは、彼女自身のぱんぱんと打ち鳴らした手で切り上げられた。

「さて、この話も終いですね。ケテルに到着です」

 見れば、一足先に門前に辿り着いたエレノアが立ち尽くしている。楚々とした佇まいは可憐な少女だ。口を開かなければ高嶺の花も然もありなんと胸中で独り言ちる。


「すまない、待たせた」


 しかし、刻み足で駆け寄ったエドワルドの謝辞に対する応えは「別に」と鮸膠にべも無い。


「ケテルに入るわよ」

「あ、あぁ」


 大きな城郭都市の割に不自然なほど門衛の姿は見えなかった。おまけに閂鎹かすがいもなければ錠前もない。オークの重厚な焦茶色はのっぺらぼうで、訪う者をまんじりと見下ろしている。


 エレノアは首を巡らし頭上を仰ぐと、凹凸のない門扉を右手で触れた。少し間を空けてフィリアも倣う。此方は左手だ。異様な光景に周囲を見渡していたエドワルドが怪訝な表情を浮かべる。


「二人とも何をしているんだ?」

 ん、とエレノアが空いた左手をエドワルドに突き出した。

「子羊、手を貸して」


 逡巡する素振りを見せれば、むんずと指頭を手繰りよせられ掌を重ねる形になる。示し合せたように左手をフィリアが取り、引き寄せられた。


「おい……っ!」

「壁内に入るだけよ。大騒ぎしない」


 ぴしゃりと撥ねつけるエレノアにも構わず、エドワルドはなおも騒ぎ立てる。


「いやいや、どう見たってここからは入れないだろ。他の門を――」

「良いから黙って目を瞑る。じゃないと酔うわよ」


 言い退けると、視線で合図を交わした二人が大きく息を吸う。

 ――刹那。

 背に携えた翼が雄大に後方へ広がった。あっと漏れた息は二人の力強い詠唱と共に吹き飛んでゆく。


満たして溢れよ、無限の光アイン・ソフ・オウル

落ちて湧きたて、虚無の水トフ・ボフ・ハセク


 卵の殻に亀裂が入るように、光条が一つ、楢の木目を引き裂いた。光の向こう側で何かが圧をもって押し寄せてくるのが見えた。と、同時に反応が遅れたと気付く。


 壁内から堰を切ったように押し寄せる風に、目を眇める。押し流されそうになる身体を二人が必死に引き止めていた。エドワルドも腹に力を入れ、爪先から地面を掴んだ。


 煽られた髪が頸や背を叩く。耳元を暴風が唸りを上げて過ぎ去ってゆく。息苦しさに胸が詰まる。じりじりと劣勢に追い込まれていた足が遂に地を離れた。

 慣れない浮遊感にエドワルドは足をばたつかせる。お願いだ、手を離さないでくれ。臆病風に吹かれて声なき声で叫んだ。呼応するように両の手がぎゅっと握られる。


 瞼の裏の闇さえ払う怒涛の光と風の中で、ふと鼻先を麵麭の焼ける香ばしい匂いが吹き渡る。ぱりん、と硝子の砕ける音が響いた。一瞬にして突風がぱたりと止む。


「着いたわよ、子羊」

「――ここがケテルです」


 二人の呑気な声音にエドワルドが目を開くと、その遥か足下に、乳白色の壁に囲まれた街が広がっていた。

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