4
エレノアは早足に路を行く。その足取りはまるで散策に行くかのように軽い。
「まずはケテルね。一本道だから悩むこともないでしょ」
フィリアも異論はない、と首肯した。
ケテルに続くという路は一同の袖を引くように丘陵の端くれで微光を放ってその存在を誇示していた。つい先程までエドワルドが辿っていた、二人が生者の路と称するところと酷く似通っている。違いがあるとすれば、平坦な生者の路に対して傾斜があることぐらいか。
エレノアに引き続いて、エドワルドも一歩踏み出す。横にはフィリアが並んだ。エドワルドの手を取る様子はどこか気安い。
「ダアトは本来は実体のない特別なセフィラですから」
ほら、足元も。そう導かれて目を落とせば、雲に塗れるように地面が霞んでゆく。焦って前に飛び退けば、エレノアに冷ややかな目を向けられた。
名残惜しげにダアトがあったはずの空間を見つめる。当然の如く天頂に通じる螺旋階段も消えていた。後戻りできないと知るや、
「ケテルはどんな場所なんだ?」
「知らないわ」
どちらにともなく尋ねれば、先導するエレノアが澄まして応える。
「セフィラは子羊の心象風景が投影される場所だから、私たちには微塵も分からないの。一つだけ確かなのは桂冠を授けられるってことぐらいね」
言うなり、エレノアは自らの頭部をとんとんと叩いてみせた。
「桂冠に何か意味があるのか?」
「それを頂く者だけが楽園に入れる。悪魔は甘言でもって子羊を惑わせ、桂冠を奪う。そうやって楽園への道を閉ざして地獄へ堕とすのよ」
「たかが桂冠で?」
銀髪の頭頂を飾る桂冠が神さびた色合いを見せる。しかし、傍目から特異と感じるのはその威容だけだ。到底、死者の行く末を決する最たるものとは思えない。そう言外に問うと、歩みを止めたエレノアがあからさまに顔を怒らせた。隣でフィリアが「あー」と言葉を濁して目頭を押さえる。
「その、たかが桂冠ごときで失楽園した子羊が
煮えた感情が滾滾と湧き出た声音に気圧されて、ようやくエドワルドは思いも寄らない失言をしたと気付いた。対するエレノアも、呆気に取られたエドワルドの表情から己が発した言葉を認識したようだった。剣の柄をきつく握りしめ、結局、沈痛な面持ちを残して逃げるように足を早めた。
「エレノア!」
どうしたものかと頭を掻いた。瞬く間に開いた距離を、エドワルドの声が虚しく通り過ぎてゆく。
「そんなに桂冠が大事か?」
「貴方が思うより桂冠は特別なものなんですよ。もっとも、あの子も言葉が足りませんでしたが」
諭すようにフィリアは言った。
「桂冠そのものではなく、桂冠を形作る金に意味があるのです。楽園へ入るためには鋳造した聖杯で
「葡萄酒……というと、
「ええ。その通りです」
臨終において霊魂と肉体を聖別する聖餐は、
「それを教示したら
腰に佩いた剣に視線を落とした。よもや強奪するのではあるまいか。多少はエレノアも加勢してくれるだろうが、無力な己に対抗する方法はない。
エドワルドが
「確かに困りますね。……でも、誰もが貴方のように聞き分けが良いわけでもありませんから。死にたくない、死にたくないって足掻くのです。生者の路から逸れた時点で叶わぬ願いと知りながら」
金色の瞳をすっと細める。秘め事を漏らすように唇に人差し指を添えて、うっとりと口角を上げる。そのときフィリアの浮かべた蠱惑的な表情に、エドワルドはしばし心を奪われた。
「そこで、悪魔は子羊の願望を利用するというわけです。桂冠を渡してくれれば、生き返る方法を教えてあげよう、と。でも貴方は手強そうですから、当分はお預けですね」
「なるほど」
背筋をなぞられたようなぞくっとした感覚を振り払い、どうにかエドワルドは言葉を絞り出した。魅入ったらそのまま引き込まれてしまいそうだ。
すると、何事もなかったかのようにフィリアは常時の温厚な表情を浮かべる。
「――とはいえ、いつか謀るやもしれません。悪魔は気まぐれですから」
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