2
樹上で梢の揺れる音がすると、次の瞬間には剣に寄り添う人影がふんわりと舞い降りる。踝まで覆うスカートの合間から少女のような足が見えた。裸足で野草の絨毯に屹立と立っている。
エドワルドが剣を避けて向き直ろうとすると、その人物はひょいと剣の柄を握って切っ先を眼前にちらつかせた。
「貴方は敢え無く死んだのよ。理解できて?」
「……は?」
突拍子も無い言葉に喉奥から声が漏れ出る。慌ててエドワルドは口元を覆った。
――死んだ……? いつ? まさか落ちた時か?
透明な門に頭を打ち付けた時は確かに痛みがあった。にも関わらず、樹が受け止めたとはいえ自分は高所から落ち何の痛みも覚えていない。強いて言えば圧迫されて息苦しかったとかその程度だ。
急激に色を失っていく唇から離した掌を見つめる。節くれだった手は無駄がなく、厚い。腕には擦過傷の痕があるが、これは今しがた出来たものでないことをエドワルドは知っている。
忘却の砂嵐に巻かれ掠れる記憶の中に、一輪の花を差し向ける小さな人影。その顔貌を思い起こそうと眉を寄せたエドワルドの様子に、焦れた少女が鼻先まで剣を近づけた。
「理解しましたか」
こくこく、と切っ尖に怯えながらエドワルドは首肯する。異存を唱えようものなら、次の瞬間には鼻がないのではないか。これは質問ではなく、言明だ。
――理解しろ。俺は死んだ。俺は死んだんだ。
反芻するほどに思考に根付いてゆく。少女が満足げに頷く気配がした。やおら剣が退いてゆく。
安堵のあまり、呼吸を貪れば壮絶に噎せた。歪んだ目の端に淡雪を擬したように純白な女の姿が映る。あっと息を呑んだ。
端正な顔立ちがエドワルドを見下ろす。
大樹を背に木漏れ日を受けるのは、大鷲のように猛々しく、白鳩の如き一点の曇りもない風切羽。金に輝く桂冠を被り、銀糸を束ねたような細髪は風に靡き、瑞々しい肌を覆い隠すように揺れた。
纏った白錦は聖職者じみて、清廉で飾り気はない。しかし、かえってそれが豊満な胸元を十分に際立たせている。
「天、使……?」
「ご明察。理解の早い子羊は嫌いじゃない」
思わず漏れ出たエドワルドの言に、少女は紅い瞳を細めて意地の悪そうな笑みを細面に浮かべた。小脇に抱える剣が禍々しい雰囲気を放っているが、その美貌は紛う事なく天の御使いだ。
不意に少女が膝を折る。エドワルドが反射的に身を竦ませると、露骨にむっとした。渋々といった体で剣を横たえ、つっと右手を差し伸べる。ふんわりと包み込むような香りは金木犀か。
そのまま、微動だにしないエドワルドの頬に触れると、両者の間が急激に縮まり、眼前に迫った胸元に堪らず目を反らした。
構わず少女の指が耳朶を掠めて、輪郭をなぞり、顎下に流れる。視線はエドワルドの全身を隈なく行き交う。自然と上を向いた顔を紅玉のような瞳に凝視されて、ぐっと息を飲んだ。
「怪我はないわね。よろしい」
言うなり興味を失したと添えた手が離れる。埃でも払うようにぱんぱんと手を打ち合わせた。整った顔立ちの割に一つ一つの挙動は荒っぽい。
――まるで荒削りの宝石だな。
ともかく、少女から解放されてエドワルドは胸を撫で下ろす。まるで生きた心地がしない。
しかし、またもや頭上から落ちてきた別の声に束の間の安息も断ち切られる。
「ちょっと、エレノア。駄目よ、そんなに粗野に扱っては。怯えきってるじゃない」
弾かれて大仰に後退ったエドワルドが、背から転げ落ちそうになり、やんわりと支えられる。布越しに細い指の感触。その手の冷たさにぎょっとして背後を振り向き――気が遠くなった。
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