6月30日 雨の日
梅雨の季節は、陰鬱なだけだと思っていた。
肌にまとわりつく湿度も、不定期に降ってくる雨も、ぱっと見てわかる曇り空も、陰気だ。しかしきっと、それは雨の季節を語るにしては序盤でしかないんだろうと、今日気づいた。
遮光カーテンを半分開けて眠るのが気に入っている。部屋側の面は真っ暗で、窓側はもちろん明るい。目が覚めてすぐ直射日光が顔に当たらないので目覚めがいいのだが、今日はそんな心配もいらないほどの大雨だった。
目が覚めて、一番に確認するのがカーテンの外と内の間、ひだで少し斜めなった布の一帯である。その色具合で、大体の天気がわかるようになった。照りつけるように暑いならカッと痛いほどの光がやってくるし、青空ともなれば本当に青く染まる。
__これが見れた日にはインドア派の私もつい散歩に出掛けたくなるのだが、部屋の白い壁紙に反射して、光が差し込んだ場所全部にホログラムの青空が映るのだ。
もちろん、雨の日だって微妙な色加減で違ってくる。雨といえば、厚い雲におおわれた白色である。無機質な白さは影になった部屋側の面をより濃く塗り上げ、無色の日光は部屋を古いフィルム映画に似た鮮烈なモノクロームに作り変える。ベッドから壁に向かって耳を澄ますと、外で滝のように降り続ける雨音と一線を画して、室内が恐ろしく無音なことに気づく。
__しかし、どうも。今日は雲りにしては白すぎる。雨雲を通り越した、目に刺さるような光だ。きっと曇の外側では、夏の太陽が快活に照りつけているのだろう。
気圧も意外と高めで、梅雨特有の押し潰されそうな息の詰まる重厚感もない。
つまるところ、外が大雨ということ以外は非常に活動しやすい気候、ということだ。
本日は日曜日。
基本めんどくさがりな私としては、天気のいい日ほど寝過ごしたくなるもの。それなのに日光がさんさんと輝く天気というものは、のんびりしている間にカーテンの空いた部分から傾いた太陽とご対面してしまうので、そうなれば居間に逃げる他ない。
でも、そう、雨となれば。目に痛い白色光さえ遮ってしまえば、永遠に日の出前の薄暗がりを保つことができる。
つまり、寝過ごし放題。
平日の生活との差で、罪悪感のような、自制心のような、何とも言い表せない胸騒ぎを感じて数回目覚醒しかけるも、横になれば簡単に意識が落ちていく。すぐ横に携帯端末があっても、いつものように時間を確認したりせずに。
気の赴くままに惰眠を貪ってみる。
シーツを一枚かけているだけだが肌寒さ感じない。全身の体温が保たれているため、脚を出していても快適だ。何やらすることがあった気もするが、今すぐ飛び起きて支度が必要なほどの用事はなかったと記憶している。
雨音は変わらない。
耳を澄ませば近く、意識を遠のかせればずっと遠くに寄り添ってくれている。部屋の扉を締め切っているので家人の気配なども消し去られて、今なら部屋ごと異世界に飛ばされていても気づかないだろう。すうっと瞼の開閉だけで浅い眠りにつく。
外も、部屋も、もう永遠に変わらないような気分にさせる。
起きて活動を始めてしまえば時間は動き出し、私が許す限り雨音は続く。
あまりの自然さに、自分が鳥にでもなったような、体を失い、目と脳だけになって浮いているような不思議な感覚に包まれる。
きっと体を動かそうとしても、本当に動かないのだろう。神経の信号が切断された身体で、脳だけが独り歩いている。美しい静寂だった。
こんなゆるゆるとした微睡みも、いざ時間を見るや朝5時と知って驚いた。目が冴えてしまった。楽しいと時間は早く流れるけれど、楽しみすぎるととてつもなく遅いものだ。日曜日に早起きしたところで暇をもて余すだけで、あまり面白くない。
ここは知的な文化人にならって、小綺麗な朝食を作って、溜めておいた本でも読んでみるとしましょうか。今日くらいは、時計を知らない古代人になってもいいかもしれない。
きっと、雨の日は時間が遅く流れるから。
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