9.知り難きこと陰の如く(2)

【これまでのあらすじ】

・舞台は2082年のアフガニスタン。米印主体の平和維持軍『PRTO派遣軍』と反政府勢力『パシュトゥーニスタン』が戦っている。パシュトゥーニスタンはロシアから支援を受けている他、別の武装組織『シスコーカシア戦線』からも戦力を借りている。

・主人公ジーク・シィングはPRTO派遣軍の兵士であり、規格外の大型兵器〈ヘルファイア〉を駆るパイロット。

・PRTOの大規模反攻作戦が進む中、ジーク達は敵T-Mech4機と交戦する事態となった。光学迷彩を持つ異形の四腕機〈ティル・ナ・ノーグ〉がジークに襲い掛かる。


◆   ◆   ◆   ◆


「――基地司令はお姉様の不調を心配しておられます」

「バイタルは毎日測ってますけど、私が不調だったことなんて一度もありませんよ」


 出撃直前、向かい合って駐機した〈シャングリラ〉と〈ティル・ナ・ノーグ〉の下。

 ターニャことタチアナ・アルハノフが基地司令アリスタルフの様子を伝えると――そうするように言われたからだ――ジナイーダはきょとんとした表情で答えた。


「体調はいいようですが、精神的な悩みがあるのではと」

「私が何に悩んでるって? 自己の存在の在り処? それとも友達が少ないこと?」

「いいえ。戦闘への恐怖とか、倫理的忌避感がどうとか」

「……相変わらず人の心が解らない人だこと」


 俄かに不機嫌になったジナイーダを前に、ターニャは首を傾げた。


「ずっと前から、私は自分のやるべきことを見定めようとしているんです。この喜劇じみた能力をどう使うべきか? 私は虐殺者になりたくはありません。しかし――認めがたいことだけど――これまで封じ込めてきた電気エネルギーを〈シャングリラ〉で投射できることに、どこか喜びを感じているのもまた事実なのです」

「そうですか」

「私はエゴイストです。世界平和のために自分を犠牲にするつもりはありません。あの田舎町を出てアリスタルフの誘いに乗ったのも、元を正せばそこにあります」


 うつむき気味に赤と黒の双眸を開き、ジナイーダが言った。


「アリスタルフ個人の人格はともあれ、祖国を抑圧から解放したいという彼の目的には共感しているんです。私がシスコーカシアにいる理由の半分くらいはそこです。気高さをもった目的のために力を振るえるというのなら、躊躇いはありませんよ。――私は無敵の生き物です。怖れなどありはしない」

「…………」 


 ターニャにはジナイーダが100パーセントの本心を言っているようには見えなかったが、実際の本心がどこにあるか、なぜそれを隠すのかまでは理解できなかった。


「時間だわ。行きましょう」

「はい。……私は普段通り偵察に」

「私はアリスタルフと共にゼリムハンのところへ」


 ジナイーダが椅子から立ってパチンと指を鳴らし、特定のパルスで放電を発した。

 背後でその電気信号を受け取った〈シャングリラ〉が腰部前面のハッチを開き、主を操縦席へと招き入れる。ジナイーダが座席に悠然と腰かけると、壁から伸びてきた触手型の固定バンドがシュルシュルと動いて彼女を縛りつけた。


「この戦闘の趨勢はお姉様にかかっているとのことです。ご武運を」

「あなたも。……『三つ目』――〈ヘルファイア〉には近寄らない方がいいです。あと、できるだけ殺しはしないように。敵のT-Mechがいなくなればパシュトゥーニスタンが私たちを雇う理由もなくなります」

「承知しています」


 ジナイーダが涼しげに微笑し、何気ない調子で手を振った。


「生きて帰ってきなさい。私がいる理由のもう半分は、あなたがいるからなんですよ。私の可愛いタチアナ……では!」


 〈シャングリラ〉のハッチが重い音を立てて閉じ、次いで内部で放電音が響いた。

 同時に機体の肩と背中から垂れた9基の帯状触手が駆動を始める。飛行時の弾性翼、非装甲の本体を護る盾、格闘戦時のサブアームに余剰エネルギーの排出装置まで兼ねた超多機能デバイス、〈シャングリラ〉のテンタクラー・マントだ。


「……」

 

 ターニャは無言のまま義足を折りたたんで跳躍し、自らも〈ティル・ナ・ノーグ〉へと乗り込んだ。胸椎に外科移植されたコネクタへケーブルを差し込み、上下四腕の義手と義足を拘束具に通して身体を固定する。


(ジャラーラーバードから戻って以来、お姉様は『三つ目』の話をする事が増えた)


 それほどまでに強いのか。……戦闘好きでもないジナイーダの興味を惹くほどに。


 ターニャは〈ティル・ナ・ノーグ〉のOSを起動すると、その場で演舞めいたステップを踏んで機体の調子を確かめた。

 ――その動きは心なしか普段より荒々しかった。





「――お前の首を刎ねて! 『マント付き』の前に突き出してやるッ!」


 ジークの咆哮。〈ヘルファイア〉が殺して害せよサツガイの名を持つ大身槍を振るい、帯電振動する穂先で前方空間を薙ぎ払う。


「……」


 〈ティル・ナ・ノーグ〉は一瞬にして逆関節脚部を折り畳み、半ば這いつくばるような姿勢でこれを回避した。

 この無貌の四腕機の脚部は人の足より一つ関節が多く、また関節の可動域も広い。10メートルの長躯からは思いもよらぬ柔軟、俊敏な動きであった。


(……接近戦はするなと言われたが、仕方ない)


 無貌の四腕機が左手を地につけて前転、敵機の懐に転がり込んでレールガンを構える。敵機は逃げる者を追う戦いに慣れている上、〈ティル・ナ・ノーグ〉はスラスターを持たない。下手に距離を取ろうとする方が危険だ。

 

 ブルパップ式の115mm速射式ラピッドレールガンが砲火を放ち、斜め下からの射撃が敵機を射貫く――寸前〈ヘルファイア〉の剛腕が唸り、常識外れの膂力で放たれた裏拳が〈ティル・ナ・ノーグ〉を殴り飛ばした。狙いを外した砲弾が空に消える。

 

「貰ったぁぁぁッ!」


 ジークは槍を短く持ち直し、素早くコンパクトな片手突きを仕掛けた。

 対するターニャは殴られた勢いと射撃反動を利用し、その場で片脚を軸に旋回――そのまま片手を地につけた低姿勢から上段へ後ろ回し蹴りを放った。カポエイラではコンパス式半月蹴りメイア・ルーア・ジ・コンパッソと呼称される足技!


「――そこ」


 関節を伸ばした〈ティル・ナ・ノーグ〉の長い脚が槍の下をすり抜け、多節棍の一撃めいて〈ヘルファイア〉の右腕を弾く。複合装甲を覆う外装カバーが陥没、内部に充填された対ビーム防御用のエアロゲル材が破砕。怪物が姿勢を崩し、槍先が標的を外した。


(反応が早い、脳波制御操縦BMI機か! 文字通り陰に隠れていたが、こいつ!)


 俊敏かつ自在な操作が可能な脳波制御操縦BMI機であっても、人間とMechでは重心も体型も異なる。片足立ちの回し蹴りなど、並のMechで真似すれば転倒して自滅するのが関の山だ。脳波操縦への、そして何より機体そのものへの習熟があって初めて可能な離れ業であった。


 俊敏さの勝負では分が悪い。三眼の怪物が崩れかけた姿勢を強引に立て直し、敵機を至近距離から押し出さんと前蹴りを放った。

 〈ティル・ナ・ノーグ〉は軸足の膝から下をバネのように縮め、後ろに跳躍してこれを回避。空中でラピッド・レールガンを構える――が、そこに〈ヘルファイア〉が不意を衝いて放った腕部内蔵式電磁機関砲マイクロ・レールガンが着弾!


「……なるほど」


 ターニャが自機に残る被弾痕を見た。30mm徹甲弾は厚い胸甲に貫通を阻まれていた。しかし衝撃まで防ぐことはできず、無貌の四腕機がもんどり打って落下する。


「死にやがれッ!」


 その着地際を狙い、三眼の怪物が強烈な踏み込みと共に唐竹割の斬撃を放つ。――しかしターニャは下腕にレールガンを抱えたまま左右上腕から着地し、軽やかに受け身を取って横っ飛びに跳んだ。すぐ傍で大槍が地面を砕き割る!


「――!」「……」


 双方、無言。もはや思考を言語化する余裕すらない。


 側転着地した〈ティル・ナ・ノーグ〉がレールガンを腰だめに連射。横一文字の砲火と共に5発の重金属弾が扇状に飛ぶ。水平方向には回避不可能な弾幕射撃。


 だが〈ヘルファイア〉は砲撃の予兆を見切ると同時に、スラスターから爆風を噴いて跳躍。紙一重で弾幕の上を飛び越えた。130トンの大重量が地面を踏み割って敵機の前に降り立ち、そのまま急加速からの突進突きを放つ。


 それを左上下腕の振動クローで打ち払う〈ティル・ナ・ノーグ〉。

 ジークが手元のリニア機構で大槍を引き戻す――瞬間、〈ティル・ナ・ノーグ〉が左上腕で赤塗りの槍柄を掴み、槍が引っ張られる力を利用して肉薄。胴部火炎放射器の射線を避けつつ懐に飛び込む!


「く――」


 〈ヘルファイア〉が咄嗟に左腕のマイクロ・レールガンで迎撃を図った。

 だがその腕に〈ティル・ナ・ノーグ〉の右腕二本が双頭の蛇のごとく絡みつき、装甲に振動クローを突き立てて抑え込む。更に残る左下腕がブルパップ式の電磁砲を構え、砲口を〈ヘルファイア〉の正中線に押し付けた。文字通りの手数の差!


 ターニャがそのまま接射を敢行しようとした、直前――〈ヘルファイア〉がスラスターから一際強力な爆風を発し、両腕を掴まれたまま力任せに飛び膝蹴りを放った。

 ガラ空きになっていた〈ティル・ナ・ノーグ〉の胴に重装甲に覆われた脚が激突。四腕機が堪えきれずに突き飛ばされ、再び距離が開く。



「――はぁッ!」

「……ふぅー……」


 相対する二機の中、ジークとターニャが互いに息を吐いた。

 状況は振り出しに戻った。〈ティル・ナ・ノーグ〉が姿を現してからまだ十数秒しか経っていない。だがその十数秒の間には無数の死線が潜んでいた。どちらかが一度でも対応を誤っていれば、その時点で決着していたことだろう。まさに丁々発止!


「できる。お姉様が気にするわけだ。……だが」


 ターニャが目を見開いたまま虚無的に呟く。同時に〈ティル・ナ・ノーグ〉のリアスカートが展開、放出口から偏光メタマテリアル粒子を振り撒く。


「……だが、〈ティル・ナ・ノーグ〉は殴り合いだけが能ではない」


 機体を覆うように展開された電磁場が粒子を滞留させ、無貌の四腕機の姿が宙に溶ける――〈ピースキーパー〉の最新型センサーでも探知不可能な〈霧中の影フォグシャドウ〉光学迷彩システムの発動。


「またこの霧か――」


 同時にジークの背後からエンジン音が迫る。音の出所は仕留め損ねた〈ジャハンナム〉の巨大自律二輪車であった。そこに〈ジャハンナム〉本体――トール・ギルザイ駆るくれないの重騎兵が廃屋の影から走り出て、飛び乗る!


「いつの間に? 『ステルス機』が出てきたのはあいつを逃がす時間稼ぎか!」

「アフターバーナー点火ァァァッ! ハィィィヤァァアァァァッ!」


 シャーシ後部のジェットエンジンから炎の尾を曳き、再び人車一体となった〈ジャハンナム〉が突撃。単純だが分厚い装甲に覆われたバンパーが背後から怪物に迫る。


 大槍を後ろに突き出して避けさせる、という考えが頭をよぎったが、止めた。

 『獣型』――シャミルの〈ヴァルハラ〉になら使えた手だろう。互いにMechに乗っていても、接近戦ではパイロットの性格が出る。本能任せの獣は見えている危険に突っ込もうとはしない。

 だがこの『バイク乗り』の男は――死をも恐れぬ執念を、命より攻撃を優先する狂気を湛えている。刺し違えてでも相手を殺す決心をつけた者だ。恐怖を使った心理的フェイントは通用すまい。


 〈ヘルファイア〉は急加速して横に逃れた。轢殺攻撃を躱された深紅の二輪車が真横を通過し、ドリフトしながら反転する。


奇怪きっかいな機体をよくも乗りこなす、貴様が〈ティル・ナ・ノーグ〉だな! 俺はトール・ギルザイ、貴様にはこれで二度助けられた」

「どうも」

「……なんと!? 女か! いくつだ!?」

「18ですが」

「俺より4つ下!?」


 心底驚いた声でトールが言った。

 シスコーカシア所属機と違って〈ジャハンナム〉のHMD画面に〈ティル・ナ・ノーグ〉の位置は表示されていなかったが、彼は自分が助けられた現状、そしてそれを成した者の卓越した技量を理解していた。故に予想外であった。


「〈ヴァルハラ〉が危険です。『三つ目』は抑えるので後方まで牽引を」


 ターニャが背後で撤退中の〈ヴァルハラ〉を一瞥して言った。

 黒紫の猛獣は既に川から上がってそれなりの距離まで離れているが、〈ヘルファイア〉の速度なら追い付くのに十秒もかかるまい。馬力のある〈ジャハンナム〉が安全圏まで牽引してくれれば、より安全に事を運べる――だがトールはそれを戦力外通告と受け取ったのか、不服そうに拳で胸を叩いた。


「心配無用! 〈カブダ〉は切れたが機体は動く、〈ジャハンナム〉は健在よ!」

「シャミルを優先してくれ、近くに回収班を寄越すように言ってある。そいつは実際一人でどうにかする女だ……!」


 ゼリムハンが通信に割り込んで言った。彼自身〈アズガルド〉で〈ピースキーパー〉と激しい空戦を繰り広げている最中であり、その声は切羽詰まっている。追って四足歩行で逃げる〈ヴァルハラ〉からも通信が入った。


「頼むぜ、バイク乗りの旦那よォ! ジェット無しじゃ追いつかれちまう!」

「だが俺には復讐の使命がある! だいいち少女一人に任せきりでは――」


 トールの言葉を遮るように〈ティル・ナ・ノーグ〉がレールガンを構えた。


「不要です。お急ぎを」

「ぬぅぅーッ! よかろう、今日は恩に報いる!」


 トールが渋々頷いた。〈ジャハンナム〉が反転してジークに背を向け、フロントボックスから二本目の投げ縄を引き抜いて走り出す。エンジンが損傷した〈ヴァルハラ〉に縄を引っ掛け、引きずって撤退する算段なのだ。


 当然〈ヘルファイア〉は追おうと動くが、〈ティル・ナ・ノーグ〉がそれを許さない。

 虚空にプラズマの混じったマズルフラッシュが立て続けに瞬き、レールガンの連射が針路を塞ぐように襲い来る。〈ヘルファイア〉はスラローム走行で回避を試みたが、避け損ねた一発が装甲を掠め、外殻を中のエアロゲル層ごと千切り取った。


「クソッタレ、逃がすか! ――〈ピースキーパー〉は何をやってる! 一機相手に!」

「慌てるな。今更逃げてももう遅い」

「ああ!?」


 ジークが怒鳴ると、サムエルが面倒くさそうに溜め息をついた。

 その前席ではディナが機体を激しく機動させて弾幕を掻い潜り、搭載した武装を惜しげもなく連射して牽制を続けている。決定打を出せないまま時間と弾薬を消費するような戦い方だが、当然それにも理由があった。


「データリンクを見るがいい。……艦載機共の到着だ!」


 〈ピースキーパー〉が浮上し、太陽を背にして高度を取った。

 漆黒の対空機〈アズガルド〉が左腕と一体化したビーム・ライフルを空に向け――その背後、逆光の中に浮かぶ100を越える黒点に気付いた。


「――あれは、PRTOの……なんという数!」



 500キロメートル後方の空に浮かぶ空中空母〈キュムロニンバス〉、そこから発艦した超音速無人戦闘機ドローンファイターによる5機V字の編隊が18組。その後ろには同じく〈キュムロニンバス〉が放った巡航ミサイル十数発。


 いずれも母艦の統御システムから遠隔操作され、群体生物じみた不気味な整然さで稼働している――空に見える黒点の正体は、心なき無人兵器と爆弾の群れであった。

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