4.入道雲に陽は陰る

【これまでのあらすじ】

・舞台は2082年のアフガニスタン。

・ジーク・シィングは国際平和維持組織『PRTO派遣軍』の兵士であり、規格外の大型兵器を駆る特務パイロットとして、ロシアの支援を受けた反政府勢力『パシュトゥーニスタン』とそれに協力する第三組織『シスコーカシア戦線』と戦っている。

・基地を狙ったパシュトゥーニスタンの攻勢が続く中、PRTO派遣軍は戦局を打開すべく反攻作戦を計画した。一方でシスコーカシア戦線も最終兵装〈ケラウノス〉を導入し、乾坤一擲の一撃を加えようとしている。血が流れる時は近い。


◆   ◆   ◆   ◆


 状況は一刻を争う。PRTO派遣軍とアフガン政府軍による反攻作戦の開始日は三日後に決定された。『マント付きシャングリラ』の出現直後から入念に勧められていた全力攻撃の準備は、既に完了しつつある。PRTOにとって、これほどの本格的な攻勢は2050年代の発足以来初めてのことだ。


 〈ヘルファイア〉と〈ピースキーパー〉の修復作業もほとんど終わりかけていた。

 まだ開発チームが解体されていない〈ピースキーパー〉には合衆国でアップデートされた修理パーツが潤沢に送られてきている。数年前の設計データを元に基地の3Dプリンターでパーツを複製し、有り物を弄って装備を作っている〈ヘルファイア〉とは大違いだった。

 愉快ではない。が、空を飛ぶ〈シャングリラ〉を地面に叩き落すにはサンドバル兄妹のミサイル弾幕が頼りだ。ジークは何も言わなかった。


「――〈キュムロニンバス〉。ただの豪華なモニュメントだと思ってたわ。実物見たことある?」

「アバディーンで一度。……何だ、それ」


 宿舎一階の談話室。衝立で仕切られた給湯用スペースで何かを作るディナにジークが尋ねた。彼女の手元にはピーナッツバターの容器とチョコシロップの瓶が見える。


「ピーナッツバターパイ。兄貴の好物。私の好物でもある」

「……健康には気を配れよ。パイならPX(軍用スーパー)でも売ってるだろ」

「それは私の問題であってあなたの問題じゃない。――前に材料だけ買ったままだったから、生きてるうちに作っとくかって」

「馬鹿馬鹿しい」


 ジークが顔を顰めたが、ディナはどこ吹く風で咥えていた電子タバコを外すと、そのままゆっくりと白い水蒸気を吹いた。


「解んないよ。誰でも最後は死ぬんだし。一切れいる?」

「言ってろ、誰にも〈ヘルファイア〉の装甲は抜かせない。……もらおうか」


 ディナが頷き、チョコシロップをかけたパイを切り分けて皿に載せた。視界に入ったパイの断面にはピーナッツバター色のペーストだけが詰まっていて、ジークは了承したことを少し後悔した。


「こういうのばかりか。この前のサンドイッチといい」

「母さんがこういうのばっかだったからね」

「あの野郎に母親の味を恋しがる感性があったとはな」

「その辺は複雑かな。母さんは私と兄貴で態度変えてたし、腎臓癌になった後は医療費がどうとかで顔合わせるたびに喧嘩ばっかだったし……色々あるのよ。色々」


 そう言ったきりディナは気怠げに黙り込み、それ以上の言及を拒んだ。直後に談話室の扉が開き、会議帰りのサムエルが苛立った様子で入ってくる。


「お帰り。どしたの」

「本国のクソジジイ共が――〈キュムロニンバス〉が撃墜されるとまずいとか何とか抜かして、今さら航空支援の時間を削ろうとしだしたらしい。ゴールディング中将は突っ撥ねたがな。他人のために血を流そうという気概がないんだ、気概が」

「後方でコソコソ砲撃する奴がよくも言う」

「私は別だ。血とは他人に流させるものだ、敵にせよ味方にせよ」


 あくまで悪びれない金髪の上官の言葉に、ジークがあからさまな舌打ちを返した。


「そこまで厚顔無恥なら人生楽しそうだな」

「やめな。――パイ、食べるでしょ。コーヒーも」

「パイ? …………」

 

 サムエルは睨み合いを止めて妹が差し出した皿を――その上のピーナッツバターパイを見た瞬間、彼の表情に複雑な感情がよぎった――受け取ると、そのままジークを無視してソファにどかりと座った。ディナが無言でカップを棚から3つ出し、薄く淹れたコーヒーを注いでいく。


「あなたも座る?」

「ここでいい。そいつと同席は御免だ」

「気が合うな」


 そういったきりサムエルは黙り込み、コーヒーを啜りながら黙々とパイを口に運んでいった。目を伏せて何かを押し殺すような表情を浮かべて噛み締める姿は、とても息子が母の味を懐かしんでいるようには見えなかった。


「……」


 やがてテーブルを挟んだ向かい側にディナが座り、彼女もまた無言で食べ始める。互いに会話もなく、相手の表情を見ることもしない。

 傍から見ていれば喧嘩した直後のようにしか見えないが、サンドバル兄妹にとってはこの距離感がもっとも居心地がいいのだろう。壁に背を預けて頭が痛くなるほど甘いパイを齧りながら、ジークは目の前の二人について漠然とそう感じた。


 誰もそうとは言わなかったが、平穏がそこにあった。それぞれ事情を抱え、互いに対して取り立てた愛着も持たない彼らではあるが――自分たちが紛れもなく運命共同体であることは、皆理解していたのだ。



 滔々たる大河インダス川の支流、ヒンドゥークシュ山脈からジャラーラーバードへと南北に流れるクナル川。夏になれば山脈から土砂を含んだ雪解け水が流れてきて洪水が起き、場所によっては夏と冬で2.5mほどの水位差が生まれる。


 この流域はかねてより穀倉地帯である。かつては2000年代初頭の旱魃によって砂漠化が進んでいたが、その後に行われた海外NGO主導の灌漑整備事業によって再び農地復興がなされた歴史がある。だが当時より遥かに激化した紛争の煽りを受け、一度は戻ってきたこの地の緑は再び砂色へと還りつつある。


 だが、そうなるよりも早く――この地はいくさの炎と流れる血で赤く染まることになる。

 それが紛争の灯滅を告げる最後の燃え立ちとなるか、それとも更なる戦いへの投火に過ぎないのか――それを知る者は、この時点では何処にもいない。







「――ビッグボードより〈ピースキーパー〉へ。出撃準備は?」

「こちら〈ピースキーパー〉、全機万全です」


 そのクナル川よりやや南に下った、パキスタン領のカイバル峠である。古くから南アジアと中央ユーラシアを繋いでいたこの地で、T-Mech特務小隊は決戦の始まりを告げる基地からの命令を待っていた。


「ならばいい。全て予定通りに始めろ」

「了解しました。どうぞ戦果報告をお楽しみに」


 白み始めた空の下、ゴールディングからの無線にサムエルが自信満々で応える。

 彼らの乗機たる四脚の重火力飛行機体〈ピースキーパー〉は、前回までとその装いを変えていた。


 灰色グレー一色だった塗装には青いラインが新たに加えられており、レールガンの長砲身を生やした胴体には「二羽の白頭鷲」を象ったペイントがなされている。ヘリ部隊の頃に使っていた二人のパーソナルマークを重ねたものとのことだった。

 その他の面においても――カバーに覆われた両腕の152mmガンランチャーがより高初速を出せる長砲身型に改められ、両脚に姿勢制御用のアンカーが装備されている。未錬成であった各所をブラッシュアップしつつ、より対T-Mech戦闘を意識した改修であった。

 

「そうさせてもらおう……ジークはいるか?」

「いるに決まってるでしょうが。何です?」


 ジークの不機嫌な声が続いた。彼は既に〈ヘルファイア〉の棺桶めいたコックピットに身を預け、首筋に移植したコネクタに神経伝達ケーブルを差し込んでいた。


 この赤黒に塗られた三眼の怪物もまた、修復といくつかの改造を終えていた。〈ジャハンナム〉戦では未完成であった腕部外装カバーの換装作業も完了し、超大型ショベルアームめいた豪腕は今や、強靭な複合装甲と高断熱性のエアロゲルによって二重に守られている。


 そして――左脇腹に複数の金属パイプとタンクを組み合わせた機械。鉄をも溶かす高温で燃えるテルミット焼夷剤を炸薬のガス圧で噴射する、火薬式の火炎放射装置である。仇敵〈シャングリラ〉を守る電磁装甲テンタクラー・マントを焼き払うための装備だった。ロックの話では使用回数は5回までだが、射程距離は100mに達する。


「T-Mechは文字通り、ただの一機が戦術単位となる。つまりお前の働きが戦場の趨勢を左右することも有り得るということだ」

「何を当然のことを」

「首尾よく敵のT-Mechを仕留めれば、また大尉に昇進させてやる。……私はT-Mechの開発計画を推進していた一人だ。お前と〈ヘルファイア〉の能力、見事証明してみせろ」


 ゴールディングがそこで言葉を切り、数秒沈黙した。

 おそらく腕時計か何かを見たのだろう、と三人ともが思った。ちょうど彼らの目の前でも、機体に内蔵された衛星電波時計が作戦開始時刻を指したからだ。


「……時間だ。T-Mech特務小隊、出撃!」


 回線越しに号令が響くが早いか、二機のT-Mechが全身の熱核ジェットエンジンから猛烈な排気エグゾーストを噴き出した。予め地面に水を撒いてもなお巻き上がる砂塵の中、ジークの隣で〈ピースキーパー〉が浮上する。


「全武装オールグリーン、エンジン1番から6番まで出力定常、レーダーもご機嫌」

「よし。……『炎の蜂ファイア・ビー』隊、よろしいか!」

「――勿論っすよ、少佐ァ!」


 サムエルの呼びかけに威勢のいい声が返った。あの夜の街でジークを侮辱した(本人にそのつもりはなかっただろうが、ジークにとってそこは問題ではない)カイルとかいう男の声だった。同時に〈ヘルファイア〉の集音マイクが背後から響くヘリのローター音を捉える。


「我々が戦線を突破するまでの制圧射撃と、ドローンが撃ち漏らした敵対空兵器の破壊を頼む。……古巣とはいえ別部隊だ、今さら私が仕切る気はない。そちらの思うようにやってくれたまえ」

「任せてください、モグラどもの頭は完璧に抑えてみせますよ! ……テメェら! あの・・サンドバル兄妹の御前で情けねぇ真似晒すんじゃねぇぞ! 攻撃開始!」


 カイルが檄を飛ばした直後、無数の細身の攻撃ヘリコプター――AH-2〈サイクロン〉の4機編隊が二つ、ジークらの両脇を通り過ぎて眼前のパシュトゥーニスタン勢力圏へと進出していった。


「〈ヘルファイア〉は予定通り〈PK〉に先行して突入、こちらと3000メートル距離を保って敵の攻撃を分散させる。弾避けくらいマトモにやってみせろよ、野良犬!」

「相も変わらず、人を逆立てる男!」


 ジークが己が乗機に思惟を送ると、三眼の怪物が傍の地面に突き立てた超大型振動ブレード――殺して害せよサツガイと名付けられた大身槍を引き抜き、そのまま常識外れの膂力で小枝のごとく振り回した。桜花が設計しロックが整備した〈ヘルファイア〉の腕は、これ以上なく滑らかにジークの思考に追随している。


 前を見た。機体OSに搭載された人工知能AIが進むべきルートを算出し、義眼に直接投影された外部視界に重ねて表示した。無数の行動と結果の予測が直接脳髄へと送り込まれてくる。悪くない感覚だ。全てが収まるべき場所に収まっている。


「お前に言われるまでもない――ジーク・シィングの〈ヘルファイア〉が出るぞ!」


 ジークが吼えるとともに、〈ヘルファイア〉の後ろで推力が爆発した。

 10基の熱核エンジンが生み出す大推力に乗り、全備重量137トンの怪物が瞬く間に亜音速域まで加速。瞬く間に〈ピースキーパー〉を、そして『炎の蜂』隊の戦闘ヘリをも追い抜き、山を一つ越えて誰よりも早く戦線に切り込んでいく。


「こちらも最大速度で突入しろ。前座に時間をかけるつもりはない」

「はいよ。……データリンクに何か入った」

「何だって? ――ああ」


 サムエルがヘルメットの液晶バイザーからデータリンクを確認し、それから通信回線を開いて呼び出しをかけた。相手のコールサインは――積乱雲キュムロニンバス


「〈ピースキーパー〉より〈キュムロニンバス〉。今日はよろしくお願いする」

「こちら〈キュムロニンバス〉だ。既にアフガニスタン領空に差し掛かった、もうじきそちらの上空まで降りていく・・・・・

「了解。……核動力機の後輩として、胸をお借りしよう。ハッハ!」


 応答した壮年の艦長に対して、サムエルが芝居がかった調子で宣言した。


「は、は。ゴールディングトニーは古い知り合いでね、君らの援護を最優先にせよと言付かっているよ。――初陣だが訓練は10年やってきた、期待しててくれ」


 壮年の艦長が調子よく答え、それから操縦手に降下指示を出した。一瞬の浮遊感とともに、彼が座る座席が床ごとゆっくりと傾いていく。




 新たにデータリンクのネットワークに加わったモノは、彼らより遥か後方の海上――高度1万メートル超の青黒い空の中を飛んでいた。


 機体色は雲のごとき白、イトマキエイめいた形状の全翼機。

 だが――その全長は500メートル、全幅に至っては1000メートルにも迫る。空飛ぶ原子力空母と言うべき規格外の機体が、合計24基の大型熱核ジェットエンジンによって超高空に浮かんでいた。


 武装は艦載兵器を転用したVLS(垂直発射式ミサイルシステム)、下部に対空・対地両用の無人戦闘機ドローンファイターを90機格納したカーゴコンテナ。更に対空迎撃用の高出力レーザー発振器をハリネズミの棘のごとく機体各所に搭載。それらを統御するのは米海軍のイージス・システムを更に発展させた火器運用システムである。

 

 これこそ超大型熱核飛行艇〈キュムロニンバス〉――PRTO派遣軍が持つ最大最強の航空戦力にして、今回初の実戦投入を迎えた戦略兵器であった。

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