chapter4 屍山血河
幕間.四つ腕の透明兵士
【これまでのあらすじ】
・部隊は2082年のアフガニスタン。
・国際平和維持組織「PRTO派遣軍」は現地政府と共に、同国東部を支配する自称国家の武装組織「パシュトゥーニスタン共和国」と戦っている。
・敵はロシアから支援を受けており、また同時に第三勢力「シスコーカシア戦線」とも密かに手を組んでいる。しかしシスコーカシア戦線もまた独自の野望を持って動いており、混沌とした状況の中でただ戦火だけが激化しつつあった。
◆ ◆ ◆ ◆
ターニャ――少女兵タチアナ・アルハノフの人生は、生まれた時点で父アリスタルフのために余さず消費されることが決まっていた。
徹底した調練カリキュラムと薬物投与による情緒発達の抑制、戦技の研鑽に費やされた日々――彼女は8歳の時に両腕を外科手術で切り落とし、1年後に両脚を切り落とした。父がロシア軍時代に編み出した多腕機械操作理論の体現者となるべく、そして当時未だ不完全であった
名実ともにサイボーグと化した自分の身体に対して、ターニャは特に恥も誇りも抱いたことはない。猟犬として調教された彼女に自意識らしい自意識はなく、与えられた命令の遂行こそが全てだった。何故従うのか考える必要はなかったし、アリスタルフも娘にそれを求めたことはない。猟犬に疑いは不要だからだ。
その状況が少しばかり変わったのは、およそ5年前。
アリスタルフがジナイーダを見つけた頃だった。
◇
シスコーカシア戦線――チェチェン系の反ロシア武装勢力をルーツに持つ同組織の実態は、どちらかといえば独立した中小規模のグループによる互助組合に近い。ほとんどの派閥は緩い連帯によって繋がっており、それぞれが独自に活動している。
その中でもアリスタルフの派閥は異端中の異端であった。偏執的なまでのワンマン体制で、複数のヨーロッパ系企業や政府関係者との繋がりを持ち、国際支援NGOのオーナーという堅気の仕事と掛け持ちしながら各国を渡り歩いている。
ジナイーダが加わったのはそうした移動生活の最中――グルジアの郊外に建てられた廃ホテルを買い取って根城にしていた頃だった。
「――ジナイーダ・ナイジョノフ。名字は名乗っているだけらしいがね。たまたま
かつては支配人室だった一室で、眼鏡の基地司令アリスタルフが言った。
傍らのモニターに映し出された画像の中では、不機嫌そうに目を閉じた白髪白肌の少女が不機嫌そうに足を組んで椅子に腰かけており――その身体からはZマシン(20世紀に建造されたアメリカの核融合実験装置)めいた夥しい稲妻が飛び散って、部屋中を紫がかった電流の蔦で満たしていた。
「まず言っておくが、この光景は合成でもトリックでもない。……順を追って話そうか」
アリスタルフがリラックスした様子で椅子に腰かけた。
部屋にはターニャと彼の二人だけで、護衛はすぐ近くの別室で待機している。彼は護衛であっても銃を持った他人を傍に置いておくのを嫌う男だった。
「彼女は親の顔も知らない天涯孤独の身、いわゆる拾われっ子だ。それだけだったらいちいちスカウトはしないが――見ての通り彼女の身体は人間のそれじゃない」
そう言って眼鏡の基地司令は机の引き出しから資料を取り出し、ペラペラと捲って内容を確かめてからターニャに差し出した。
「ジナイーダは食事をほとんど必要としない。排泄もしない。それどころか呼吸すら……無意識に空気を吸って吐くフリをしているだけで、吸気と呼気で成分比率に変わりがないんだ。面白いだろう?」
「いいえ、特には」
「
「はい。とても面白いです」
「そうだろう」
アリスタルフが満足げに頷いた。
「身体の仕組みを解析しようとしたが無駄だった。注射針もX線も通らない。見かけ上の体構造や身体能力は人間と変わりないんだがね――何をしても傷つかない。まるでこの次元に存在が固定していないようだ」
「……」
「状況証拠から推察するに――彼女がエネルギー保存の法則に従っているというのが前提になるが――どうも彼女は摂食した質量や自身にかかったエネルギーを『認知不可能な領域』に転送・蓄積して、それを自分の生命維持に利用しているらしいんだな」
「……」
「排泄をしないのも同じ理屈だ。彼女は摂取した質量のほぼ100%をエネルギーに転換している。――そして! 画像のように余剰したエネルギーを電流の形で放出できることが解ったのだよ! E=mc2、1グラムあたり90兆ジュールの!」
アリスタルフが熱狂した様子で声を張り上げ、画像に映し出された稲妻を指した。
「彼女はずっと周囲にこの能力を隠し通してきた。日常生活の上では賢明な判断だろうな。だがこれが我々にとってどれほどの価値となるか解るかね」
「電気が使えます」
ずっと黙って聞いていたターニャが簡潔に答えた。
「その通り。発電所を十数基まとめて連れ歩くようなものだ。開発中のビーム兵器に繋ぐことができればとてつもない破壊力を生み出せる。上手くいけば今まで苦労して進めていた〈ティル〉への核弾頭搭載計画も用済みになる。計画が一気にシンプルになるぞ」
「……」
「ロマンチシズムかもしれないが、彼女を見つけられたのは運命だと私は思うよ。神は私に祖国解放を望み、そのために彼女を遣わしたに違いない。お前もそう思うだろう?」
「はい。そう思います」
ターニャは無表情のまま肯定した――彼女は先程の父の言葉を
「本題に入ろう。彼女の有用性は以上の通りだが、一つ困った欠点がある……人間並の情緒があって、そのうえ余計な知恵が回ることだ」
「余計な知恵とは?」
「
アリスタルフが机越しにターニャに顔を寄せた。
「お前の出番だ、タチアナ。彼女の家族をやってくれ」
その命令を聞いたターニャが数秒考え――答えが出なかったのか首を傾げた。
「家族? どのように?」
「難しくはない。ジナイーダの世話をして、私の命令に反しない範囲で彼女に従うようにしろ。彼女から信頼と愛着を得るんだ。そうやって彼女がお前に依存すれば――それは私に依存したも同然となる。解るか?」
「はい」
「よろしい」
眼鏡の基地司令が机に両肘をつき、指を台形に組んで口元を隠した。
「ならば早速任務にかかれ。彼女は普段使っていない別棟の地下室にいる。……私が心から信頼できるのはお前だけだ、タチアナ。役に立てよ」
「了解。命令を遂行します」
無感情な声色でそう答えると、ターニャは踵を返して司令室から退出した。
◇
隣の建物に移ると、柱に無数のケーブルが繋がった四角い塊が張り付いているのが見て取れた。工兵用のプラスチック爆薬である。万が一対象が暴れ出せば即座にこれを起爆し、建物を崩して地下に埋め立てる算段である。
異常な能力を持っていても相手は少女一人。爆発で死ななくとも地中に埋めてしまえば身動きを封じられるし、発電所クラスの放電出力も地中では拡散して無力化される――これはアリスタルフの考案した収容方法であった。
ターニャが黒ケープを翻らせて爆薬が仕掛けられた柱の間を抜け、地下へと続く階段を降りる。目的の部屋の前には脱走防止の監視カメラが置かれていた。部屋を直接監視しないのはジナイーダへの忖度か、それともアリスタルフに残された一握りのデリカシーの表れか。
「失礼いたします」
「――どうぞ、いらっしゃいな」
ターニャが扉をノックすると、案外と気さくな声が返ってきた。
そのまま三本指の義手でドアノブを捻ってドアを開ける。ホテルの調度品を運び込んだのか、部屋の中には質のいい家具が一揃い揃っていた。
「私はタチアナです。今日からあなたの世話係になりました」
「話は聞いています。アリスタルフ氏の命令で私を篭絡しに来たんですね?」
部屋の奥のベッドで本を読んでいた少女――ジナイーダが冗談めかして言った。そのまま本を閉じてベッドの上に放り、興味津々といった様子で身を乗り出す。
「ね、あなたいくつ? 私についてどのくらい聞きました?」
「一通りは。13歳です」
「なら私の方が一つお姉さんですね。……んん?」
ジナイーダが黒と赤からなる双眸を開き、体温分布から目の前の少女の感情を推察しようとして――そのまま怪訝な表情を浮かべた。赤外線が視える彼女の目には、ターニャの身体は手足だけが人工的な熱を持って見えていたからだ。
「両手足に熱源……ひょっとして義肢とか?」
「はい」
ターニャが頷き、四肢を置き換えるサイバネ義肢に意識を向ける。胸椎に外科手術で移植されたBMIユニットを通じて脳波指令が送られ、黒ケープの隙間から四本の――クロム色の昆虫めいた外殻に覆われた義手が音もなく伸びた。
「わ……」
目を丸くして口元を手で隠すジナイーダの前で、更にギチギチという音が響いた。格納されていた脚部フレームが延長・展開する音だった。腕と同様クロム色の義足が伸びて恐竜の後ろ脚のような形状に変形し、ターニャの目線が50センチほど高くなった。
「驚いたわ。義手や義足ってそういうタイプもあるのね」
「戦闘用のサイバネ義肢です。……熱源を視たのですか」
「ええ。2000オングストロームから1ミリ、近紫外線から遠赤外線まで――らしいですよ。あなたのお父様に付き合わされた実験によると」
「――なぜ私が基地司令の娘だと?」
「簡単な推理ですよ、ワトソン君」
義肢を再び畳みながらターニャが訊くと、ジナイーダは得意げに笑った。
「私もあなたについてアリスタルフから聞いていましたが、どうも彼はあなたの出自を
「理解しました」
「ん。それで――戦闘用の義肢を身に着けた方が、どうして私の世話係なんかを?」
「司令の命令だからです。あなたの家族になれと」
「なれって、芝居の役じゃあるまいし。不服とは思わないんですか?」
ジナイーダが尋ねる。世間話のような柔らかな口調だったが、その赤と黒の目は冷徹な面接官じみて、目の前の少女が信頼に値する存在であるかを文字通り見定めようとしていた。
「いえ。命令ですから」
「好きなんですね。お父さんのこと」
「解りません。ですが命令は遂行します」
「――うーん……」
ジナイーダがベッドから降りてターニャの前まで歩み寄った。義肢を格納している状態では、ターニャより彼女の方が頭一つ背が高い。
「私、これでもエゴイストです。アリスタルフ氏のスカウトに乗ったのは、この体質のことを誰にも話せないまま――ただ独り老いていく人生から抜け出すためです。選択の余地はありません。……タチアナは自分がやりたいことはないんですか?」
「命ある限り命令を遂行することです」
「今は良くても、40とか50になったらどうするんです。人間には寿命があるんですから、アリスタルフ氏はあなたより早く死にますよ」
「それを考えるのは私ではありません」
「……なるほど。あなたのお父さんはそういう事を教えてはくれないんですね……」
ジナイーダが目元を隠して天を仰ぐと、憐れみの混じった微笑を浮かべてターニャの肩にぽん、と手を置いた。赤黒の邪眼が無感情に開かれたターニャの瞳を覗き込む。
「いいでしょう。アリスタルフの娘になる気はありませんが――あなたの姉になら
「了解。よろしくお願いします、ジナイーダ様」
「その呼び方はちょっと堅苦しいかな」
ジナイーダが再び目を細め、どこか寂しげに苦笑した。
「では、何と」
「姉さんでもお姉ちゃんでも……そうね、それを決めるのを最初の課題にしましょう。私はオーソドックスにターニャと縮めて呼ぶことにします。よろしくお願いね」
そう言ってジナイーダが白い手を差し出し、壊れ物を扱うような手つきでターニャのサイバネ義手を握った。
実のところ、ターニャには彼女が何を考え、何を思っているのか解らなかったが――少なくとも自分はひとまず対象の信頼を勝ち得たらしい、ということは推測できた。その時点の彼女にとっては、それで十分だったのだ。
◇
「……」
5年後――すなわち現在。
ピピピ、という電子音が響く〈ティル・ナ・ノーグ〉のコックピットの中で、ターニャは浅い眠りから覚醒した。
その四肢は拘束具で座席に固定されており、胸椎のBMIユニットは太いケーブルで機体コンピュータに接続されている。コックピットシートの座り心地は長期間の作戦行動に耐えられる程度には快適で、生命維持のための装置も一通り揃っていた。
(現在時刻午前2時。新たなPRTO増援部隊を確認)
現在、彼女は敵勢力――すなわちPRTO派遣軍とアフガニスタン現地政府の勢力圏内での偵察任務の最中だった。任務開始から今日で三日目になる。
人の少ない山地といえど、全高10mに迫るサイズの機体がそれだけの期間隠れ続けるのは至難の業だが――彼女の〈ティル・ナ・ノーグ〉はそれを可能にする機能を搭載していた。
(〈
その名も〈フォグシャドウ〉メタマテリアル・カモフラージュ装置――粒子状の
夜闇の中、タチアナは眼下へ視線を下ろした。
谷底を走る道路には3m級Mech〈ヨコヅナ〉を載せた大型輸送車に、〈ラインバッカー〉主力戦車の隊列。この数日で急速に数を増やしているPRTO派遣軍の陸戦部隊が、蟻の行列めいて定められた配備地点へと枝分かれしながら進んでいる。先程の電子音はこれを発見したアラートであった。
〈ティル・ナ・ノーグ〉は道を挟む崖の片方――切り立った岩壁にロッククライマーのごとく貼り付いた姿勢のまま、実に24時間以上も監視を続けていた。車列がターニャの眼下を通り抜け、喧しいエンジン音を響かせて北方へと去っていく。彼らがすぐそばに潜む〈ティル・ナ・ノーグ〉に気付いた気配はない。
(あと30分で任務終了。敵勢力圏からの脱出を開始……お姉様も基地に戻る頃だろうか)
PRTO部隊が通り過ぎるまでその場をやり過ごした後、ターニャはゆっくりと機体の手足を動かし、壁に貼り付いたまま機体を横へずらし始めた。
不可視の機体が
とはいえ――一歩間違えば落下死、運よく助かっても音を聞き付けた敵に発見されて袋叩きに遭う危険な綱渡りである。しかし彼女は一切の迷いも動揺もなく、己が手足も同然に機体を操作していた。彼女にとってはその程度は他愛もないことだ。
(後方から前線に向かう車列が多い。戦力は着実に増強されている。……ただし『三つ目』と『四つ足』は未確認)
ターニャは脳内で得られた情報を復唱した。推測だが敵のT-Mechはまだ修理中だろう。前回と前々回の戦闘における観測結果から――どちらの戦いにおいても〈ティル・ナ・ノーグ〉はその場にいたのだ――相手が修理に要する期間は概ね把握しているつもりだった。もう数日は出てこれないはずだ。
(『三つ目』、『四つ足』。組織の脅威、司令の敵。お姉様の敵)
次の戦いはこれまでのような遭遇戦ではなく、互いに準備をした上での正面決戦になるとアリスタルフは見ていた。そうなれば自分も隠密偵察や狙撃のみならず、敵のT-Mechを正面から相手取る状況になる可能性がある。そうなれば――。
(――私と〈ティル・ナ・ノーグ〉が貴様を暗殺してやる)
程なくして、〈ティル・ナ・ノーグ〉は夜闇に溶けるようにその場を去った。
底冷えするような暗闇の中、誰もいなくなった岩壁に強風が吹き荒ぶ――直後、岩壁に鉤爪を刺したような無数の傷痕がフィルム現像めいて一斉に出現したが、それに気付く者は誰もいなかった。
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