1.逢魔が時の会同

【これまでのあらすじ】

・部隊は2082年のアフガニスタン。

・ジーク・シィングは国際平和維持組織『PRTO派遣軍』の兵士であり、規格外の大型兵器を駆る特務パイロットとしてロシアの支援を受ける反政府勢力『パシュトゥーニスタン』と戦っている。

・だがパシュトゥーニスタンは別の組織『シスコーカシア戦線』とも秘密裏に繋がっており、彼らは彼らで独自の野望をもって紛争に介入しようとしていた。


【主な登場人物】

・ジーク・シィング…主人公。怪力の白兵重装機〈ヘルファイア〉を駆る義手義足義眼の男。人間不信を拗らせた融通の利かない性格で、暴力の行使を躊躇わない。

・サムエル・サンドバル…ジークの上官であり部隊長。一見すると人当たりのいいエリートだが、内心では常に攻撃衝動を吹き荒らす冷血漢。四脚砲撃機〈ピースキーパー〉を操る。

・ディナ・サンドバル…ジークの同僚であり、サムエルの父親違いの妹。物静かで他人に干渉しない性格。兄と共に〈ピースキーパー〉に乗り込む。

・ジナイーダ・ナイジョノフ…シスコーカシア戦線の最終兵器〈シャングリラ〉のパイロット。特定の電磁波を視認できる特異体質。


◆   ◆   ◆   ◆


 アフガニスタン東部ナンガルハール州、州都ジャラーラーバード。


 2年前にパシュトゥーニスタンから奪回されたこの街は、現在市内面積のおよそ5分の1が西ベルリンめいて塀に囲まれている。市民に紛れたパシュトゥーニスタン兵、あるいはパシュトゥーニスタンに共鳴する市民による(この二つを明確に区別するのは非常に難しい)テロから行政機能を保護するためだ。塀の中はPRTOの援助もあって復興が進んでいるが、外は今なお市街戦の爪跡が癒されないままに残っている。


 その西日が照らす通りの中を三人の男女が歩いていた。ジーク・シィングとサンドバル兄妹、T-Mech特務小隊の将校である。


「――やれやれ、少佐にもなって休日に備品の買い出しなんぞに駆り出されるとはな。そこの下っ端にやらせておけばいいだろうに」

「基地の日用品が枯渇したからこっちで確保しろって言ったのはお前だろうが。……あとは衣類用洗剤と乾電池か。どこにも残ってなかったが」

「同じこと考えてる部隊も多いし、大手通りの店は全滅かもね。……どうせ休暇なんだし兄貴は一人で遊んできたら? 別にいいよ」

「ふ」


 サムエルが肩を竦めると、ジークが不愉快そうに舌打ちした。チタン合金の装甲で覆われたサイバネ義手には布製の買い物袋が提げられており、中には歯磨き粉や粉コーヒーといった基地生活に用いる消耗品が入っていた。


 本来であればこうした品は軍の兵站部門が決められた業者から調達し、基地で物資不足が起きないように管理するものだが――アフガニスタン情勢の変化に伴って行われた方面軍の大増員は、彼らの努力では埋めきれないほどの人と物資の不均衡を生み出していた。

 その結果、ビッグボードでは一時的な物資不足が発生しており――今のジークらのように近場の街で身銭を切って物資調達を試みる将兵が続出していた。


「つまらない人間は休みにやることが思いつかないんだろ」

「ハッハ、趣味が心の豊かさを養うとかいう怠惰者の言い訳か? どこぞの万年中尉のような負け犬はそう言って現実逃避に時間を費やす。私は違う」

「いかにも人間的に貧困な奴が言いそうな台詞だ」

「言葉遣いに気を付けろよ、この野郎。私が貴様を減給にも除隊にもできる立場だということを忘れるな」

「俺は今ここでお前を殴り殺せる」

「その油臭いブリキの手足でか?」

「――どれだけ人を虚仮にすれば気が済むんだ、お前はッ!」 


 激発したジークが怒鳴り声で会話を打ち切り、チタン装甲で覆われたサイバネ義足でサイドキックを放った。

 サムエルが槍の刺突めいた装甲義足の一撃を咄嗟にガードし、そのまま受け身を取りながら地面を転がって立ち上がる。妹と同じ青い目の中に刺すような敵意が迸った。


「この俺に土をつけたな。一度ならず二度までも」

「ほざけ。何度でも這いつくばらせてやる」

「……町中だよ、ここ」


 ディナが周囲を見渡しながらやんわりと静止したが、ジークは聞こうとはしなかった。

 着任初日には彼女の言葉に免じて矛を収めたが、その時は「今回だけは」という条件付きだった。侮辱には必ず報復を返さねばならない。自分の尊厳を守れるのは自分の力だけだ。

 内戦で全てを失った彼の中に、法や社会、組織が自分を救済してくれるという信頼はなかった。およそ現代社会で生きてきた人間の思考回路ではないが――この自暴自棄なまでの闘争心こそが〈ヘルファイア〉を脅威たらしめているのも、また事実だった。


「俺がどうするかは俺が決めることだ、誰の許しもいらない」

「あっそ。……ん?」

 

 話すだけ無駄と悟り、ディナが溜め息とともに目を逸らす――すると突然、視界に黒い大きなものが入ってきた。

 その正体はシンプルな意匠の黒い日傘であり、持ち主は黒いレザージャケットとジーンズを着た細身の少女だった。目から上は傘で隠れて見えず、無言で三人の前にじっと立っている。


「ごめんなさい。邪魔しちゃって」

「――いえ、私もそこのお兄さんを探していたところです」


 少女が涼やかな声で答え、日傘を片手で閉じた。

 それを聞いたディナが首を傾げ、次に背後のサムエルを一瞥するが、サムエルも見覚えがない様子で首を振った。ジークだけが驚きに目を見張り、困ったような微笑を浮かべる少女――ジナイーダの顔を見ていた。


「あんたは……」

「また会えて嬉しいです、お兄さん。この間の本とカフェのお釣りを渡そうと思っていたんですけど……喧嘩が終わるまで待った方がよろしいですか?」

「…………」


 ジークが口元を真一文字に引き絞り、横目でサムエルを睨んだ。彼もまた怒りを煮え滾らせた瞳でジークを睨んでいたが、妹がそれを身振りで制して構えを解かせた。

 どうも全面衝突は先送りにされたらしい――そう察したジナイーダが三人に歩み寄り、ジークの持つ荷物を一瞥する。


「察するに今日は買い出しですか? 店が品切ればかりでお困りなら、良い雑貨店を知っています。あまりPRTOの兵隊さんは近寄らないところを」

「それはありがたいけど。……この子が前に言ってた『話し相手』?」

「ああ。――こっちが同じ部隊のディナ・サンドバル。あれが不本意ながら俺の上官のサムエル・サンドバル。兄妹だ」


 ジークが二人を指してジナイーダに紹介した。


「まこと、不本意なことにな。このケダモノの調教師をしているサムエル・サンドバルだ。お嬢さん、こいつに脅迫されているなら私に相談してくれ。すぐさま牢屋にぶち込んでやる」

「ディナよ。よろしく。……お洒落さんね?」


 ディナが握手を交わしながらじ、とジナイーダの赤い眼を見つめた。


「――どうも」


 ジナイーダが反射的に顔を俯け、目が合ったことに照れたような様子を装う。彼女はそのまま目を細めて微笑したまま踵を返し、一行に背を向けた。

 

「私はジナイーダです。……じゃあ早速ご案内しましょう。好機逸すべからず、です」


 白髪白肌の少女はそう言って再び日傘を差すと、機嫌がよさそうな調子で歩き始めた。ジークもその後ろに続こうとした時――ディナが横から顔を出して小声で「ねぇ」と尋ねた。


「あの子、着いていって大丈夫なやつ?」

「俺は行く」

「ならいいわ。行きましょ」


 ディナが二つ返事で了承し、ジークの斜め後ろについて黒い日傘の後ろを歩き始める。最後にその様子を見ていたサムエルも――こちらはジナイーダとジークの判断力の両方に警戒心を抱いているようだったが――歩き始めた。

 


 結局――特に何かあるでもなく、ジナイーダは路地の一角を占める小さな店まで三人を案内した。

 恐らく中央街が塀で隔てられるよりも以前からあったのだろう、パシュトー語の看板を掲げる個人経営の雑貨店だった。ジナイーダは流暢なパシュトー語で店主に注文を取り次ぎ、いとも簡単に望みの物資を手に入れてみせた。


「あそこ、お店だったんだ。誰も寄り付いてなかったからさ」

「ぶらついてる時に見つけたんです。あそこの店主さんは英語やヒンドゥー語が喋れませんから、PRTOの兵隊さんは入らないそうで。――ところでお役に立てたのは良かったんですが、本当に奢ってもらっていいんですか?」


 周囲から焼けた肉と酒の香りが漂ってくる中、椅子に座ったジナイーダが遠慮がちに言った。彼女の前では酢漬け唐辛子を載せたブルーレアのリブロース肉が皿の上で湯気を放っている。


 一行は現在中央街の一角、外国人向けに建てられた国際チェーンのステーキレストランにいた。海外から輸入した牛肉や羊肉を焼き、海外の酒と共に供する店である。ジークらが座っているのはテーブルの4人席で、荷物には新たに買い足した品々と、以前の外出の際にジークが喫茶店に置いていったパルプマガジンが加わっていた。

 

「遠慮しないで、買うものあってのお金だし。それに払うのは兄貴だから」

「上官を財布扱いか?」

「妹に払わせようっての?」


 ディナが何食わぬ顔で言い返した。

 彼女はマッシュポテトを付けたXLサイズのTボーンステーキを頼んでおり、既に景気よく赤ワインを呷りながら肉を食べ進めていた。上着は脱いで椅子にかけてあり、両肩の炎めいたトライバル・タトゥーが露出している。


「仲がよろしいんですね。では遠慮なく――」

「おい」


 ジナイーダがナイフとフォークを取った瞬間、無言のまま仏頂面で茶を飲んでいたジークが突然声を上げた。


「何ですか?」

「誰が払ってもいいがよ。あんた、いつまでこの街にいる気だ」

「何だ突然、会話下手か? 別にいつまででもいいだろう。ジャラーラーバードは安全だ」

「……現地向けの公式見解上はね」


 ディナが不穏な一言を付け加えた。ジナイーダが何かを察したように口元を隠して愛想笑いを浮かべる。

 

「少佐殿には申し訳ないけれど、明日にはここを出る予定になっています。……ここ数日で街の兵隊さんの数が随分増えてきたのが解りますし、不穏ですから」

「それがいい」


 ジークが真剣な表情で――これまでこの男が真剣でない表情をしたことなどありはしないが――頷いた。それを見たサムエルが手元のハンバーグステーキを切りながら口元に嘲るような笑みを浮かべる。


「やけに心配するんだな。ビッグボードの人喰い虎が実は女に甘い男フェミニストとは恐れ入った」

「黙れよ」

「ごめんね。兄貴は性格悪いし、ジークは協調性ないしでさ」

「可愛いものですよ。ええ、可愛いものですとも。……子犬の喧嘩みたいで」

「大物ね」


 ディナが言った。その向こうでつかつかと足音を響かせ、パキスタン系と見える店員が料理の乗った皿を持ってくる。


「お待たせしました。チキンステーキのMサイズ、温野菜付きです」

「……俺だ」


 ジークがチタン装甲で覆われたサイバネ義手を差し出し、他三人に比べてやや小さい皿を受け取った。そのままナイフとフォークを手に取って、義肢であることを全く感じさせない自然な所作で肉を切り分けていく。


「あなた牛肉駄目だっけ。それで足りるの?」

「俺は無宗教だ、犬猫だろうが食う。……食い過ぎると義手が合わなくなるから控えてんだよ。カロリーとか脂質とか」

「前も思いましたけど、いい機械義肢ですよね」


 ジナイーダが横から話に食いついた。


似たような物を・・・・・・・着けている人を知っていますが、そこまで精巧に動くのは初めて見ました。どこのメーカーです?」

「日本のアクチュエータ技師が作ったオーダーメイドだ。国綱って人なんだが」

「何処かで聞いた名前……ああ、PRTOの軍用Mechを作っている方」

「よく知ってるな。なかなか過激なところもあるが――いい人だ。軍用Mechの方が本業だと思われているのが心外だと言っていた」

「兵器設計の傍らで義手も作っていれば、死の商人とも思われるだろうさ。もっとも肝心の義肢もロクな活用をされていないようだが」


 サムエルが茶々を入れ、大して美味くもなさそうに瓶入りのビールを飲んだ。少しばかり酔いが回ってきたのか、妹に比べて色の白い顔には赤みがさしている。ジークが剣呑な視線で彼を睨んだ。


「俺の恩師だ。悪口は許さない」

「貴様が私の何を許すというんだ? 何故貴様の許しを貰わなきゃならん」

「許さないのは俺だ。お前の言い分など知ったことか!」

「こちらの台詞だ」

(――本当にこの険悪ぶりでシャミルとゼリムハンを押し返したのかしら)


 言葉のナイフによる殺し合いじみた応酬を前に、ジナイーダが驚きと呆れが入り混じった思考を巡らせた。


 ゼリムハン・バスタエフとシャミル・クロフ。

 〈アズガルド〉と〈ヴァルハラ〉のパイロットであり――シスコーカシア戦線において一派閥を率いる長と若頭である。ヨーロッパ系企業へのコネクションを始めとした政治力で力を伸ばしたアリスタルフ派に対して、ゼリムハン派は文字通りの傭兵稼業で紛争地帯を渡り歩く武闘派として知られていた。


 ジナイーダ個人としては粗暴なシャミルとは反りが合わず、ゼリムハンからは距離を置かれているが――事実として二者とも幾度もの修羅場を超えてきた熟練者であり、パイロットとしての技量も高い。〈ヴァルハラ〉と〈アズガルド〉の性能も決してPRTOのT-Mechに引けをとるものではない。だというのに――二機とも手酷く損傷を負わされた。


「……お二人はいつもこんな感じなんですか?」

「バカなのよ。どっちも」

「ああ……難儀ですね」


 曖昧に濁しながらジナイーダがステーキにナイフを入れた。

 銀色の刃が焼き目のついた肉の表面を断ち切ると、ほとんど生の断面が露出して赤みがかった肉汁が染み出した。


「お三方は会って長いんですか?」

「まだ1ヶ月くらいだよ。キャリアもバラバラだし」

(『四つ足』の出現時期と一致する。……つまりこの二人のどちらか、もしくは両方がパイロット。複座機とすれば後者かな)


 ジナイーダが得られた情報を分析した。

 ――ディナを迂闊と責めることはできまい。そもそも彼女がここにいること自体、奇跡的な偶然の重なりなのだ。偶然路地裏で強盗に絡まれ、偶然直前に会話しただけの男がそこに駆け付け、その正体が先に交戦した『三つ目』のパイロットで――思いのほか気が合ったから探してみたら、偶然また会った。事実は小説より奇なりとは言ったものだ。


「意外ですね。皆さんいかにも歴戦という雰囲気ですから。相当のベテランなのかと」

「まぁ間違いではないね。私は17で基地の下働きを始めた。翌年に試験を受けて下士官候補生になって、20歳で前線行き――そこから11年かけて少佐だ。6階級昇進した形になる」


 指を折って数字を示しながらサムエルが誇らしげに言った。下士官候補生になるのはそれなりに狭き門である。そして下士官から尉官に上がるのはそれ以上の難関で、そこから佐官に上がるのは更に難しいのだ。――無論、彼は今の地位で満足するつもりなどないが。


「下士官から佐官まで? 凄いスピード出世ですね」

「組織の拡大期で椅子も空いてたから。……私は18から22まで士官学校行ってたから、まだ2年かな。前線にいた期間はもっと短いけど」

「ご兄妹揃って軍隊に入ったんですか。軍人のご家系とか?」

「単にお金がなかっただけ。母子家庭で親が病気で――よくある話」

「あ……」

「ディー、余計なことは言わなくていい」


 サムエルが咎めたが、ディナは気にした風もなくワインで唇を湿らせて続けた。兄と同様酔っているのか、今日の彼女は珍しく饒舌だった。


「ま、人生いろいろあるよ。兄貴とか見てたらいい大人の癖におかしいって思うでしょ。でも生きてれば普通は何処かしらおかしくなるんだよ。皆気付いてないだけで、皆壊れてるんだよ……壊れた機械ジャンク壊れた機械ジャンクを笑うなんておかしな話じゃない……。それをどう受け入れるかっていうのが人生哲学なの、多分ね」

「――『あなた方はみな奇形なのです。しかしいつでも奇形だったのです。人生は奇形です。だからこそ』……何だっけ」

「『だからこそ、それこそがその希望であり栄光なのです』」


 ジークが引用を引き継いだ。いまいち意味が解っていない様子のサンドバル兄妹の前でジナイーダがクスクスと笑う。


「それでした。――ちなみにディナさんの人生哲学は?」

「摂理を弁えること、かな」


 ディナが視線を手元のグラスに落として言った。その表情は暗くも明るくもなく、目は据わっている。それを見たジナイーダがターニャのことを想起したが、凪ぎ切っている自分の妹分とは違って、ディナの中では小さな感情の波がぐるぐると渦巻いて見えた。


「摂理?」

「どうせ皆死ぬってことよ。善い事しても悪い事しても、泣いても笑っても最後は死ぬの。そう思えば……腹も立たないよ」

「なるほど。少佐殿はどうです?」


 話を振られたサムエルがニヒルに笑って肩を竦めた。彼は先程以上に酔いが回っていた様子だったが、それでも周囲をちらりと見渡して基地の人間がいないか確認することを忘れなかった。


「ディーはいちいち悲観論が過ぎる。私の人生論は至極シンプルさ。支配・勝利・拡大――愚鈍な人間の方が多数派であるというのは素晴らしいことだ。蒙昧なる大衆を扇動し、制御し、利用する。馬鹿なインテリの理屈など民主主義の前には無駄なことよ」

「教科書は『我が闘争』か? ファシストが」

「何とでも言え、マオイストの息子め」

「なかなか両極端ですね。そうして得た力をどう使うんです?」

「……どう使う?」


 サムエルが怪訝な顔で首を傾げ、低く笑った。持っていたステーキナイフが皿と擦れてギリリ、と音を立てる。


「どうでもいい。俺が勝利し、俺が支配し、俺が資産と権力を拡大する。それだけが重要だ。お嬢さんは社会保証とか弱者保護とか、そういう下らん話がしたいのかね? 俺は自分が稼いだ金を他人に取られるのが嫌いだ。弱者死すべし、知恵も能力も無い者が生きていようというのがそもそも烏滸がましいのだ」

(……『飢えた犬は肉しか信じない』)


 ジナイーダが内心で痛烈に呟き、それから隣のジークへと向き直った。


「お兄さんはどうお考えで?」

「――どうでもいい。気に入らない奴をぶちのめすだけだ」

「その心は?」

「前も言ったが、生き物の本質はエゴを力で押し通すことだ。ディベート名人を黙らせる一番楽な方法は何だと思う? 銃でブチ殺すことだ。理屈や主義は結局外装でしかない。いちいち付き合っている間に財産と尊厳を搾取されて、終わりだ」


 ジークが一旦言葉を切り、手元の鶏肉を音もなく切り分けて口に運んだ。


「……重要なのは――この世には俺を捻じ伏せて搾取しようとしてる奴らが大勢いて、俺はそいつら全部と戦わなきゃならないってことだ。下らん理論武装に興味はない。奴らの建前を剥ぎ取って叩きのめす。俺が死ぬか、奴らが死ぬかだ」

「ケダモノめ。それで暴力沙汰の常習犯になっていれば世話はないな」


 サムエルが店員が運んできた二本目のビールを開けつつ冷たく言い放った。


「俺は一人で生きて一人で死ぬ覚悟を決めた。お前のように7つも下の妹に母親代わりをやらせて、ベタベタ甘えるような真似はしちゃいない」

「私は出世頭、貴様は嫌われ者の落ちこぼれ。重要なのはそこだろ」

「大概にしなよ」

「事実を言ったまでだ、ディー。そこなお嬢さんがこいつの所業をどれだけご存知なのか、是非とも確かめてみたいところだな」

「結構です。――が、お兄さんの言い分には思うところが」


 糸めいて細めていた目を僅かに開き、ジナイーダが楽しそうに続けた。


「第一に、社会に未だ弱肉強食的な一面が残されているのは事実ですが、ほとんどの国で人の尊厳と平和を守るべく法が規定されているのもまた事実。人類社会の歴史は野性の超克の歴史でもある。ヒトは動物ですが、同時に人間でもあります」

「俺はそうは思わない」

「本当かしら。……第二に、お兄さんは理論に興味がないと仰いますが、実際は誰よりも理論武装に熱心に見えます。『理論の放棄』より強力な理論武装はありませんもの」


 糸のごとく細めていた眼を僅かに開くと、ジナイーダはゆっくりとジークの方を向いた。その見透かすような視線がジークの対抗心を掻き立てた。


「俺にだけ妙に突っ掛かるな。何が言いたい」

「つまり――不愉快だったらごめんなさい。何だか真面目な人が自分を偽って野蛮なフリをしているように見えるってことです。私も羞恥心ゆえに道化になるたちだから解りますけど」

「俺は嘘は好かない。重要なのは嘘を避けることだ。一切の嘘を、特に自分自身に対する嘘を。――勝手に俺を解釈するな」


 ジークが仏頂面で言い放った。彼の心中の半分は人前で自分の威風に疑いをかけられた怒りと、他人の内心を想像して消費する行為への不快感で占められていた。


 もう半分は――どこかジナイーダの言い分を否定しきれない自分への苛立ちであった。自分がどうかは知らないが、両親は真面目で教育熱心な人間だった。自分もその影響を受けていないとは言えまい。だがその両親が積み上げてきた全ては、他でもない暴力によって理不尽に破壊されたのだ。

 ジナイーダの言葉が真実なら、自分は「真面目な人」が報われなかったこの世に憎悪を抱いているのだろうか。ただ怒りのままに暴れ狂う猛獣になろうと――。


(馬鹿馬鹿しい)


 彼は溜め息をつき、空になった皿の上にナイフとフォークを置いた。自分が選んできたことだ。今さら過去を持ち出して悲劇の主人公を気取る気はない。


「とにかく俺の話は終わりだ。――で、あんたはどうなんだ」

「どうとは?」

「人に好き放題言った以上、あんたも何かしら言うのが筋ってものだろう。あんたの人生哲学とやらを査読してやる」

「なるほど。確かにそうです。哲学と言えるほどかは解りませんが……」


 ジナイーダは少し表情を翳らせると、追加で頼んだジンジャーエールで喉を潤した。


「私は人と人は協調すべきものだと思います。奇形であれ、ジャンクであれ。それこそが人間らしさヒューマニティの根本ですから。――まあ、要するに仲間が欲しいってことになるんでしょうか。一人で生きるのは辛いことだし、一人で死ぬのは怖いことですから」

「可愛がられたいならまず何でも議論にしたがる癖を直すべきじゃないかね。人間関係は支配者と被支配者から成り立つ、従順でない人間が愛されるとでも?」

「…………」


 サムエルが横槍を入れた途端、ジナイーダが微笑を浮かべたままビシリと表情を硬直させた。同時に四白眼になるほど見開かれた瞳がぐり、と動いて彼の方を向く。


「そうとも限りません。ええ、限りませんとも」


 口元だけを動かしてそう言い切った直後、ジナイーダは再起動した機械人形めいて再び目を細め、にっこりと笑った。――しかし騎士物語の乙女めいた清楚さの裏に激情が走るさまを、ジークのサイバネ義眼は確かに捉えていた。


(こいつもこういう顔をするものか)


 ジークが片眉を上げた。取り繕っていた化けの皮が剥がれた、というのとはやや違うが――後天的に身に着けた振る舞いとは別の、ジナイーダという人間の地金を垣間見た気分だった。


「しかし実のところ、成果はあまり芳しくないのです。見た目がこうだからか、少佐殿の仰る通り理屈っぽい女だからか――とにかく余所余所しく扱われるか、何か神秘的なものを期待されることが多くて」

「叩き出せばいい。そういう奴はお前のことが嫌いか、好きになる可能性がゼロだ」

「何事も暴力で解決するのは良くないと思います。その点については平行線ですね」

「俺にはあんたこそ理論武装に躍起に思えるな。……何やかんやと理由をつけて、報われもしない善人やってんだ」

「……それは……」


 ジナイーダが虚を突かれたように黙り込み、如何に返答すべきか考え始める。


 ――店の扉が開いて騒がしい一団が入ってきたのは、ちょうどその時だった。




◆   ◆   ◆   ◆




※『あなた方はみな奇形なのです。しかしいつでも奇形だったのです。人生は奇形です。だからこそ、それこそがその希望であり栄光なのです』

…アルフレッド・べスター『虎よ!虎よ!』の一節。同書は3章6話でジナイーダがジークに譲ってもらったタイトルである。


※「飢えた犬は肉しか信じない」

…アントン・チェーホフ『桜の園』の一節。

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