14.連鎖爆燃反応

【これまでのあらすじ】

・反政府組織パシュトゥーニスタンの都市攻撃を阻止すべく出撃した〈ヘルファイア〉と〈ピースキーパー〉。

・敵の新型量産機〈スヴェジー・スネッグ〉と規格外機〈ジャハンナム〉、そして別方から乱入してきた〈ヴァルハラ〉〈アズガルド〉の二機をも撃退し、ジークらは街を守り切った。だが敵の規格外機の撃破までは至らず、再襲来を受ける危険が残った。


◆   ◆   ◆   ◆


桜花先生ドクター・オーカから聞いた話だけどさ、日本にゃ賽の河原(Children's Limbo)って俗信があるんだと。死んだ子供が石を積むんだが、そのたび悪魔がやってきて崩していくらしい。整備の仕事も似たようなもんだな」


 キャンプ・ビッグボードのガレージで、技術主任ロック・サイプレス准尉が虚ろな目で言った。彼の目の前には出撃前より手酷い損傷を受けた〈ピースキーパー〉と〈ヘルファイア〉が整備台に乗せられており、整備員たちが疲れ切った様子でその周囲で作業に取り掛かっている。数時間前までの作業がほとんど無に帰したのだ、無理もない。


「俺が嫌味を聞く男だと思うか? いつ完全な状態に戻せる、パーツはあるんだろ」

「そうだな、新しく入ったスタッフも慣れてきたから……〈PK〉は5日、〈ヘル〉は最低でも一週間だな。〈ヘル〉は人工筋肉の組み方が複雑だから、パーツごとに組み立てて後から繋げるわけにもいかない。〈ヨコヅナ〉もそうだが、あの人の設計はちと職人気質が過ぎるんだよな」

「そのぶん高性能だ」


 ジークが自分の装甲義手をガチャガチャと鳴らしながら言い返した。


「とにかく日程は解った。改修は役に立ったがいくつか追加で要望をつけたい。またこの後ドキュメントで送る」

「気軽に言いやがって……。あんまり大がかりなのは無理だぞ。ゴールディング基地指令から可能な限り早く直せってご命令だ。方面軍の大増員がもう始まってるから、あまり長いこと寝かしとくのは都合が悪いんだとよ」

「解ってる、できるところだけやってくれればいい。――おい、〈ピースキーパー〉はどうなんだ」


 ジークが振り向き、後ろで壁にもたれて電子タバコを燻らすディナに尋ねた。彼女は血圧の低そうな表情のまま首を振った。


「……こっちの改修パーツは合衆国ステイツから送られてくるよ。マイクロ・レールガン以外にも色々頼んであるって。兄貴が」

「最新鋭機はいいご身分だな」

「今日は大物の相手してもらえて助かった。苦労かけたね」

「全くだ。――サムエル・サンドバルは?」

「また報告会に出てる」

「ふん。……ま、〈ピースキーパー〉が小物の群れを抑えていた分、楽ではあった。〈ヘルファイア〉はタイマンに強いが制圧射撃は得意じゃない。適材適所だ」

「ありがと、助かるよ。……あいつら、パシュトゥーニスタンなのかな」


 ディナが世間話でもするように言った。あいつら、というのは乱入してきた二機のT-Mech――〈ヴァルハラ〉と〈アズガルド〉だろう。話が終わったことを察したロックが作業に戻っていく。


「中身は知らんが、機体は奴らの独自開発じゃない。順当に行けばロシア軍だが」

「そうは思ってないんだ」

「そこまでじゃないが……露骨すぎる。まず装備が突飛だ。ビーム兵器もレーザーもだが、まるでコンセプトカーだ。ロシアの支援に増強傾向があるのは事実だが、わざわざあんな物を送りつけるものかな」

「案外ロシア以外の国だったり」

「どうかな、あれだけの機体を持ち込むには相応の設備がいる。それを稼働させる電力も必要になる。奴らに発電所をゼロから建てる馬力はないから、必然的に都市の近くに配置するだろう。そうなればロシアの目に留まる。――どうであれ、PRTOこっちからすれば部隊を増派する絶好の機会に違いはないだろうがな」

「大義名分ができたから?」

「ああ。ロシアからの批判に言い返せる」


 ジークが頷いたとき、ちょうどガレージの外でジェットの轟音が鳴り響いた。ビッグボードのあだ名の由来にもなった大型滑走路に輸送機が着陸したのだ。


「早速。インド辺りからかな」

「この音は熱核ジェットだ。アメリカからの直通輸送機だろ」

「そっか」


 ディナがそこで言葉を切り、スティック型の器具を咥えてニコチン入りの水蒸気をゆっくりと吸った。

 ジークが彼女の喫煙する姿を見たのは今日が初めてだった。ディナは元々感情的になるタイプではないし、今も表面上は普段通り血圧の低そうな無表情を保っている――だが悪化しつつある現状には、彼女もまたストレスを感じているらしかった。

 

「……T-Mechも一騎当千の戦術兵器って触れ込みだったけど、世の中うまくいかないね。『マント付き〈シャングリラ〉』に『バイク乗り〈ジャハンナム〉』、『猛獣〈ヴァルハラ〉』と『黒兜〈アズガルド〉』、あの見えない『ステルス〈ティル・ナ・ノーグ〉』も多分そう。この一ヶ月で数が増えた」

「すぐに減る」

「何で」

「俺が全部叩き潰すからだ」


 ジークが断言した。あまりに確信的な言い様に、ディナが無表情を崩して半ば呆れたような表情を浮かべる。


「それ、楽観的なジョークって奴?」

「冗談は嫌いだ。パシュトゥーニスタン、『マント付き』、今日出てきた奴ら。全員殺す。〈ヘルファイア〉は死なない、必ず殺しきってみせる。お前らは雑兵どもの相手をしてりゃいいんだ」

「……ふ、ふ。いいね、それ。よろしく」


 ディナが口角をわずかに吊り上げて笑った。同時に横合いでドアが開き、タブレットと書類を挟んだバインダーを小脇に抱えたサムエルがガレージに入る。ジークがにわかに殺気だち、左右の高機能義眼が複眼式カメラを一斉起動して黒一色に染まる。


「ディー、そいつを図に乗らせるな。――追い立て役の猟犬が思い上がるなよ。狩人は俺の〈ピースキーパー〉で、貴様はそれに従う立場だ」

「従う? 小物を相手に粋がっておいて、大物には尻尾を巻いて猟犬の陰に隠れるお前にか。恥知らずめ」


 ジークはサムエルの言葉に舌打ちを返すと、そのまま更に当て擦りをぶつけた。

 彼は義理堅い男であるが、同時に仇は決して忘れず、許さない。先程ディナに言った「適材適所」という言葉は紛れもない本心だったが、サムエルの前で同じことを言ってやるつもりはなかった。


(アホくさ)


 お互い実力行使は自重しているだけ、初めの頃よりはマシかもしれないが。ディナは口から溜め息混じりの白煙を吐くと、不毛な口喧嘩を止めようと口を開いた。


「そういえば街で何してたの。私はご飯行くとこだったけど。兄貴と」

「そう言えばそうだったな。守備隊が不甲斐ないせいで予約席の代金が無駄になった。まったく不愉快だ」

「お前の懐事情なぞ知ったことか。……人と話してた」


 ジークがそう答えた途端、サンドバル兄妹が共に意外そうな――例えるなら、根暗なクラスメイトがSNSで威勢よくしているのを知った時のような――表情を見せた。そこに何となく気に入らないものを感じ、ジークが眉根を寄せる。


「人? お前の頭の中のイマジナリー・フレンドか」

「ぶっ殺すぞ」

「いちいち混ぜ返さないでよ。……知り合いと?」

「成り行きで一緒になった相手だ。これ以上の詮索はするな」

「ふぅん。楽しかった? 話すの」


 そう聞かれて、ジークは少し考えてから口を開いた。


「……まぁな」

「そ」


 ディナがそれだけ答えて頷いた。もともと大した意図があっての質問ではないのか、ジークのテリトリーに踏み込まないように慮ってのことか。


「災難だったね、そっちも。――口喧嘩しかやることないなら解散でいいでしょ。もう食堂閉まってるから軍用PスーパーXで何か買って食べよ。ほら」

「それを決めるのは……おい、服を引っ張るな。ディー!」


 サムエルを引きずってガレージを出ていくディナを横目に見ながら、ジークは今しがた自分が言った言葉を反芻した。


「楽しかった、か。……楽しかったのか、俺は」


 仏頂面で独りごちると、ジークは整備台の〈ヘルファイア〉に視線を向けた。全幅の信頼を置く三眼の怪物は、当然ながら何も答えてはくれない。

 だが、ともあれ――今必要なのは敵と戦い、勝つことだ。自分は〈ヘルファイア〉の乗り手であり、恐るべき人食い虎なのだ。下らない感傷にかまけている暇はない。ジークはそこで思考を脇に退けると、改修希望をまとめるべくタブレットを持って自室に向かった。



 ◇



 パシュトゥーニスタン共和国「首都」、アサダーバード。

 かつては一地方庁舎に過ぎなかった建物は現在では「パシュトゥーニスタン人民議会議事堂」へと改称され、実際に組織の意思決定機関としての役割を持たされていた。ただし制空権の喪失以後はPRTOによる航空爆撃に備え、実際の行政区間は地下へと移されている――その一角に設けられた会合室に、トール・ギルザイはいた。


「……技術部によると〈ジャハンナム〉の修理には一ヵ月近くかかるそうだな。予定外だが、それまでの間は予備の二号機を使う。……まったく、これほどの大型機を簡単に運用するのだから、先進国の工業力とは凄まじいものだ」

「――うっ、うっ。うぉおおおおおおおおっ……!」

「ギルザイ中尉。パシュトゥーンの男がそう泣くものではない」


 机に突っ伏したまま屈辱に耐え切れず滂沱の涙を流すトール・ギルザイに、ターバンを巻いた老人――パシュトゥーニスタンの指導者アフマド・ハーンは老爺が孫にするような優しげな口調で言った。


「アフマド・ハーン。俺は……俺は、自分が情けないのです! 兄の仇を殺し、その血で一族の不名誉を雪ぐと誓っておきながら――無様に敗北し、機体はこの様! 仲間も大勢死にました。なのに自分はおめおめと生きて戻るなど……」

「君まで死んでいれば事態はより厄介になっていた。君は自分の都合よりパシュトゥーニスタンの勝利を優先したのだ。君のような者こそがこの国の次世代を担っていくべきだと私は思う。君の兄も先祖も君を誇りこそすれ、恥じはすまい」

「アフマド・ハーン……」


 豊かな顎髭を撫でながらアフマドが言うと、トールは小刻みに震えながら熱狂した目で老人を見つめた。老人が穏やかなアルカイック・スマイルを浮かべた。


「我々は自分自身の手でハサン政権を撃滅し、真の独立を掴まなくてはならない。ロシアの傀儡に落ちることも、あの無責任なチェチェン人の傭兵どもに国を荒らさせることもあってはならんのだ。引き続き〈ジャハンナム〉の乗り手として研鑽に励んでくれたまえよ」

「ははーっ……! 必ずや! ハサン政権の犬共の屍を積み上げ、あの『三つ目』のスクラップとともに御覧にいれます!」

「ほっほ! その意気だ。――君に五日間の休暇を与えるように陸軍に命じておいた。街のクリケット場ででも気分転換をするがいい。……さ、行ってきなさい」


 意気揚々と退出していくトールを見送って扉を閉めた後、アフマド・ハーンはテーブルに置かれた甘い冷茶を一杯飲み干して溜息をついた。


 トールに対する怒りや失望はない。彼は〈スヴェジー・スネッグ〉への慣熟訓練を受けた者の中で最も優れた成績を収めた兵士であり、自分への忠誠心も高い。ローリスクで切れる手札を失わずに済んだのは僥倖だった。

 ただ――各陣営がT-Mechを導入してきた今、〈ジャハンナム〉ではコストに見合うパフォーマンスが発揮できないかもしれないという危惧は感じていた。ほとんどオーダーメイドで建造される金食い虫T-Mechの存在が成り立つのは、それに見合う戦果が期待できるからだ。〈スネッグ〉部隊と組んでもなお敵のT-Mech二機に追い返されたというのでは、投資分のコストを回収できない可能性がある。


(通常兵器相手なら使えもしようが――敵の規格外機が残っている間は傭兵に頼らなければならんか)

 

 考えながら、アフマドがガラスのコップに二杯目の冷茶を注いだ。今のところパシュトゥーニスタンはロシア軍の進駐を許していないが、もし反ロシア団体を国内に置いている事実を知られれば面倒事になる。つまりシスコーカシア戦線は存在そのものが火種なのだ――だが現状を打開するには、その火種の力に頼らざるを得ない。

 

「まったくもって、人生というのは儘ならんものよ」


 ゼリムハンはまだいい。良くも悪くも政治に興味のない男だ。適切な対価さえ払っていれば付き合うのはそう難しくない――問題はその後ろにいる別派閥の長、アリスタルフ・アルハノフだ。

 ゼリムハンの話では、アリスタルフの派閥は自分たちと違って強固な政治的思想を持ったグループなのだという。またアフマド自身も数年前、ワハーン回廊に基地を作りたいと交渉しに来た彼と会ったことがあった。黒ケープの少女を供に連れた優男だったが、立ち居振る舞いは油断ならぬ策謀家のそれだったのを覚えている。基地の建設予定地にわざわざ秘境中の秘境であるワハーン回廊を選ぶのも、妙だ。

  

(放っておけば何をしでかすか解ったものではない。できるだけ早く手切れに持ち込まなくては……)


 アフマドは決意を固め、二杯目の茶に口をつけた。

 トールのような者には難しい話はしない。兵士には余計なことは考えさせずに戦わせておけばいい――だが実際、独立戦争とは敵を全滅させればそれで済むような単純な話ではない。

 国家を国家たらしめるのが周囲からの承認である以上、考えなしに敵を排除しても自分たちは野盗扱いのままだ。多くの勢力と繋がりを(母屋を取られない程度に)保ちつつ、最終的には穏当な形に着地しなくては、新たな政府を樹立したところですぐに潰されてしまう。


(そのためにも余所者の独断専行は防がねばならない。この戦争の主体はロシアでもシスコーカシア戦線でもなく、我々パシュトゥーニスタンだ)


 アフマド・ハーンは空になったコップをテーブルに置くと、瞑想でもするかのように目を閉じて椅子に背を預けた。

 

 

 ◇



 アフガニスタン北東部、ワハーン回廊。


「おやおや。これはまた、えらくやられたじゃあないか」


 雪山の地下に建造された隠し基地、ゼリムハンらのために空けられていた第二ガレージでアリスタルフ・アルハノフが苦笑した。その眼前では半壊した〈ヴァルハラ〉が横たえ、外装を剥がされて修復を受けている。


「ンだと――」「やめろ」


 ゼリムハンが食って掛かろうとするシャミルを制した。


「ガレージを貸してもらえてありがたい。パシュトゥーニスタンの設備では大掛かりな補修は如何ともしがたいのだ、最新テクノロジーの弊害だな」

「なに、3Dプリンターとパーツの元データが揃ってるんだ。大した手間じゃないさ……〈アズガルド〉も直せるけど?」

「構わん。片腕程度ならどうにでもする」

「ならいいんだがね。――にしても、アフマド・ハーンも大概だ。事前に言ってくれれば、こちらも足並みを揃えられたものを。事を急くように攻撃を始めた」

「こちらが幅を効かせるのがそれだけ気に食わんのだろう。T-Mechに通常兵器はまず太刀打ちできんし、政治的象徴としても目立つからな。……ところで」


 禿頭の巨漢がそこで一旦言葉を切った。


「事後承諾といえば、お前も俺に言うべきことがあるはずだな。リスターシュカアリスタルフよ」

「何かな」

「とぼけるな。……タチアナ。お前、あの時いつからいた」


 ゼリムハンが低い声で呼びかけると、アリスタルフの脇に控えていたターニャが振り向いてこてん、と首を傾げた。

 黒いケープをまとった少女の体躯は年齢にしても小柄で、身長二メートル二十のゼリムハンからすれば片手で捻り潰せそうな体格差だ――だがその四肢を置き換えるサイバネ義肢は凄まじい頑強さとペンチのような握力を備えている。仮に戦えば首を捩じ切られるのはゼリムハンの方だろう。


「まったくだぜ。同志だのどうの言っといて、自分等だけコソコソやりやがって。もっと早く援護してりゃ俺の〈ヴァルハラ〉もこう・・はやられずに済んだろうがよ!」

「そうですか」


 便乗して詰め寄るシャミルに対して、ターニャが無感情な声で答えた。

 先の会合では激発した彼に冷徹な罵声を浴びせたターニャだが、彼女自身はシャミルに何の感情も抱いていない。感情を見せないのではなく、感情自体が鈍麻しきっているのだ。彼女の心中にあるのは、猟犬のごとき忠誠心ただ一つである。


「誤解だよ、シャミル君。援護が遅れたのは悪かったが、こちらも偵察中の〈ティル・ナ・ノーグ〉を向かわせて『四つ足・・・つのがやっとだった・・・・・・・・・んだ。連絡をしなかったのも連絡系統が未完成で、敵に傍受される危険があったからだ」


 アリスタルフが真剣そのものの表情で言った。真っ赤な嘘であった。ゼリムハンらは知らぬことだが、彼らが到着する直前に〈ヘルファイア〉を制止したのは、紛れもなく〈ティル・ナ・ノーグ〉のレールガンである。


「けッ、誤解もゴカイもねぇんだよ! どこまで本当だか解りゃしねぇ!」


 シャミルが堂々と毒づく。ゼリムハンも内心ではアリスタルフの態度に不信感を抱いていたが――しかしここで突っ込んでも水掛け論にしかならないので、小さく眉を寄せるにとどめた。


「お前がそう言うのならそうなのだろう。……だがシャミルの疑いももっともだ」

「困ったな。どうすれば信じてもらえるんだい?」

「こいつらの不信感の原因は、要するに情報の不均衡にある。お前達は一方的にこちらの位置を把握していた。俺達は対等のはずなのに、いいように手駒にされている――そう感じる者もいるだろうな」


 ゼリムハンが含みを持たせて言うと、眼鏡の基地司令が涼しげに頷いた。


「なるほど。それで?」

「……次からそいつの位置情報を俺達にも共有しろ、それが妥当だろう」

「解った。大急ぎで秘匿回線を新設しよう。準備はもうしてあるんだ」


 アリスタルフが心底ほっとしたような表情を作り、ゼリムハンの要求を受け入れた。


「ならばいい。それで〈ヴァルハラ〉は直せるのか?」

「うちのマルーシャは優秀さ。〈シャングリラ〉ももう直った」


 眼鏡の基地司令がワックスで整えられた黒髪を撫でつけ、作業の指揮を執る中年の女整備班長に視線を向けた。当のマルーシャはアリスタルフがいて落ち着かないのか、時折彼らの方をチラチラと見ながら作業員に指示を出している。


「ということは、ジナイーダも?」

「呼び戻すつもりだよ。今回の攻撃で情勢にも火が入ってきたようだから。それで、機体が直ったら持っていかせようかい?」

「……いや。また別の者に取りにこさせよう。俺たちはもう戻る」

「おや。もてなしの準備をするところだったんだが」

「いつも俺ばかり良い目を見ては部下どもがうるさいのでな。行くぞ、シャミル」


 ゼリムハンがそう言ったきり踵を返し、シャミルを連れてガレージを出た。その背後でアリスタルフが肩を竦めた。


「――ゼリム。やっぱよォー、俺あいつらと組むの気に入らねぇぜ。自分らのが上だと思ってやがるだろ、あのクソメガネ」

「口を慎め。頭脳労働者ホワイトカラーというものはああいうものだ。気に入らん相手とも上手く付き合うのが処世術だぞ」

「俺はそういうの解んねぇよ。殺して食って犯して寝る、それが男の生きる道よ」

「一人で山に籠って暮らすつもりか? いい加減に損得勘定そろばんを覚えろ。――機体を壊されたのはあくまでこちらの不手際。にもかかわらずアリスタルフは援軍を差し向け、修理と支援の約束までしてくれている。ここまで手厚い雇い主はそうはいない……鼻先に人参をぶら下げられた馬の気分だがな」


 足音がゴツゴツと反響する中、ゼリムハンがシャミルの発言を言外に肯定した。

 このワハーン回廊の基地は重要設備の中こそ綺麗にコンクリートで舗装されているが、通路の多くは掘り抜かれた岩壁がほとんど剥き出しになっている。そこまで整える資材も時間もなかったためだ。天井に導熱パイプが通っているため、雪山の中でも寒くはないが――その熱のもとになっているのはあのジナイーダが引き起こす放電現象だ。妖怪の腹の中にいるかのような感覚だった。


「にしてもさ、あの女気味悪ぃぜ」

「ジナイーダか?」

「いや、ターニャターニャって可愛がられてる方だよ。ジナイーダに比べりゃ――胴体だけ見りゃ――まだ人間らしいのに、いつも目ぇかっ開いて黙りこくってやがる。あいつもクソメガネが拾って手懐けたのか?」

「タチアナの方か。……アレは、奴の実の娘だ」

「はァ?」


 シャミルがぎょっとした様子で目を開いた。ゼリムハンは巌のような無表情を保ったまま、黙々と薄暗い地下通路を歩いている。時折向こう側からやってきた作業員が彼らを見て一瞬警戒した表情を見せ、そのまますれ違っていった。


「ンであんなことになってんだよ。インテリのガキってのは過保護に育つもんだろ」

「ある意味では過保護かもな。薬物投与で感情の発達を抑制して、それから外科手術で手足を切り取った――らしい。俺も別の派閥の奴から伝え聞いただけで、どこまで本当かは知らんが」

「ただのハッタリだってのか?」


 シャミルが訊くと、ゼリムハンが不愉快げに「知るか」と吐き捨てた。


「だが、だとしても驚かんな。『愛とか友情はすぐに壊れるが、恐怖は長続きする』と言ったのはスターリンだったか。ルールの穴を突く頭がある奴は、時として反倫理行為ルールハックを躊躇わない」

「ケッ、そのくせお上品ぶってんのかよ。……俺はあんなのと一蓮托生になるのはごめんだぜ。マジでよォ」

「何度も同じことを言わせるな。奴が余所で何をしていようが知ったことではない。つるんでいれば旨味がある、それで十分だ――そうである・・・・・間は付き合うさ」


 有無を言わせない調子でゼリムハンが答え、シャミルを黙らせる。しかし――その言葉には少なからずアリスタルフへの皮肉が込められていた。





「……帰国勧告?」


 戦闘があった翌日。ジャラーラーバードの中央街に建つホテルの一室で、ジナイーダが本を閉じて言った。目を糸のように細めたその表情は固く、怪訝げである。


「まだ正式じゃありませんが、近いだろうって噂で持ち切りです。パシュトゥーニスタンの攻撃がありましたから。……それと……オーナーから、貴方を帰らせるようにとの連絡が」

「そうですか。――ふぅん」


 向かい側に座る女性――アリスタルフが経営する国際援助NGOのチームリーダーである――の言葉に物憂げに答えると、ジナイーダが窓から外を見た。絹糸を束ねたような純白の長髪がさらりと流れる。

 先日の戦闘についての公式な発表はまだ出ていないが、襲撃があったことは既に多くの市民の知るところとなっている――誰に聞くまでもなく、両軍による砲爆音がジャラーラーバードまで聞こえてきたからだ。街はまだ表面上平静を保っているが、心なしか行き交う自動車の数が普段より多い。おそらく政府の勧告を待たずに街を出るつもりなのだろう。

 

「勧告が出たら素直に帰るんですか?」

「そりゃ、勧告といっても実際のところは指示とか命令ですから。戦争に巻き込まれたら堪ったもんじゃないし、拠点オフィスも首都のカブールあたりに移します」

「なるほど、承知しました。――あの」

「はい?」

「よろしければ帰るまでの間、何か手伝いましょうか? この街で使われている言葉は一通り話せますし、数合わせくらいにはなれますよ」


 遠慮がちな微笑を作り、ジナイーダはそう提案した。この数日で欲しい物は大方買い揃えることができたし、職員という名目でグループに入れてもらった以上は、自分も何かしなければ決まりが悪い。そういった心理からの言葉である。

 しかし――チームリーダーは本社役員に無茶を言われた現場責任者のような困り顔で黙り込んだ後、恐縮したように首を振った。


「いいえ、人は足りているので大丈夫です。ゆっくりしていてください」

「……はい。じゃ、そうします」


 頼むから何もせず大人しくしていてくれ、という言外の意図を感じ取り、ジナイーダも同じく困り顔を浮かべて場を取り繕った。


「出発は明後日です。郊外に出てる人たちの手続きや、移動先での準備もありますから。ジナイーダさんは途中で別グループに合流してタジキスタンに戻ってください」

「お手数をおかけします。――ああ、最後に一つ確認を」

「何です?」

「明後日までの間、引き続き外出しても構いませんか? 如何わしい場所には行きませんから」


 チームリーダーが僅かに眉を顰めて数秒考え、それから頷いた。


「中央街の中であれば構いません。誰か案内につけましょうか」

「そこまで図々しくはないですよ。ありがとうございます」

「外に出る時はくれぐれも気を付けてください。それでは」


 話が終わるや否や忙しげに部屋を出て行った女性を見送った直後、ジナイーダは大きな溜め息をついてベッドに仰向けで倒れ込んだ。


「……解ってはいたけれど、基地の外でも腫れ物扱いか」


 目の前の女性はシスコーカシア戦線の内情はおろか、自分たちの団体が反政府武装組織の手足として使われていることも知らない。ジナイーダについてもコネを使って物見遊山にやってきた意識の高いお嬢様、くらいの認識でいるはずだ。帰るまでお客様扱いで封じ込めておこうと考えるのも無理はない。

 ただ――それはそれとしても、ジナイーダとて解脱者ではないのだ。自分の扱いについて思うところはある。


「昔からだし慣れてはいるけど、何だかな」


 そこまで言いかけたところで、ジナイーダは負の方向に振れかけた思考を中断した。何にせよ、今考えるべきはアリスタルフからの召集命令についてだ。単に機体が直ったからというのもあるだろうが、恐らく彼はこの機会に乗じて事態を大きく動かすつもりだ。――自分と〈シャングリラ〉を使って。


(そうなったら、たぶん前みたいな軽装備での局地戦にはならない)


 手足4基の小型ビーム・フューザーのみで〈ヘルファイア〉と切り結んだ記憶が彼女の脳裏に蘇った。

 ジナイーダは平和主義者ではないが、特に戦闘を楽しむ趣味があるわけでもない。自分と〈シャングリラ〉なら大抵の相手は殺すも殺さないも思いのままにできるからだ。余裕をなくすほど追い詰められたのは数えるほどで、それも味方とのシミュレーター戦だけの話だった。

 故に、〈ヘルファイア〉との戦闘では――彼女にとってはあまり誇るようなことではないが――血が沸いた。もう一度戦って勝利したいという気持ちも起こった。ジーク・シィングと直接会って話した今でも、それは消えていない。

 

 しかし――本来の〈シャングリラ〉は決戦用の戦略兵器・・・・・・・・であり、敵のMech一機に掛かり切りになるような機体ではないのだ。その『本来の役目』のための武装も既に用意されている。


「……〈シャングリラ〉の最終兵装。天地を灼き尽くす雷――殲滅浄化装置ピュリフィケイター、とうとう使う時が来ますか」


 ジナイーダが疎ましげに目を細める。カラーコンタクト越しにぼう、と虚空を見つめる赤黒の邪眼の奥では、3兆6000億kWhの電気エネルギーが解放を求めるかのごとく渦巻いていた。

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