7.同舟

【これまでのあらすじ】

・ジーク・シィングは米印を中心とする国際軍事組織・PRTO派遣軍の兵士であり、アフガニスタン戦線で超重装甲機〈ヘルファイア〉を預かるパイロットである。

・休暇中、偶然訪れたジャラーラーバードで出会った少女を成り行きで強盗から助けたジーク。しかし少女の正体は彼が復讐を誓った高性能Mech、〈シャングリラ〉のパイロットたるジナイーダだった。


◆   ◆   ◆   ◆


「――本当にコーヒー一杯分の代金だけでいいんですか?」

「キャラメルナッツパフェでも奢ろうってのか。お嬢さんが大の男に」

「伝統的なジェンダー観をお持ちで?」

「プライドと常識の問題だ」


 冷房の効いた喫茶店のテーブル席に、白髪の少女と両義手両義足の男は向かい合って座っていた。

 二人の前にはそれぞれグラス入りのレモネードとコーヒーカップが置かれている。落ち着いたBGMが流れる店内にはアメリカ風の調度が揃えられており、いかにも資本主義的なチェーン店といった様相である。


(路地裏で女を助けて茶の御礼か――下らない)


 まるでさっき買ったパルプ・フィクションだ、とジークは思った。



 あの後――路地裏からジナイーダを連れ出して、ジークは手近な巡回警察官に事の次第を話した。「すぐ見回りに行く」とは言っていたが明らかに及び腰な反応だった、あまり期待はできまい。

 ジナイーダが礼を申し出たのはその直後――ジークが立ち去ろうとした時だった。

 

「本屋さんと今とで御恩が二つもできたのですから、何も言わずにお別れしたら私の沽券に関わります」

「知るか」

「そう仰らずに。……私はあなたとお話をしてみたいのです。駄目ですか?」


 ここで無視して立ち去らなかったのが間違いだった。仮にこの女が詐欺やハニートラップの仕掛け人なら、さぞ自分はいいカモに見えていることだろう――内心で十数分前の自分の惰弱を呪いながら、ジークはカルダモンの香りがするコーヒーを啜った。

 

 ◇


(……『三つ目』のパイロットがこの人で、しかもターニャと同じ義手義足とは。事実は小説より奇なり)


 人当たりのいい微笑を浮かべたまま、ジナイーダは目の前の男を探るように見つめた。


 最初に話しかけた時、彼女は相手が『三つ目』のパイロットだと知らなかった。

 何もなければそこで別れて終わりだったのだろうが、その直後にたまたま路地裏で強盗に襲われ――実際のところは自力で撃退する寸前だったわけだが――想像以上にお人好しだった相手がこちらを追いかけてきて、助けた。


 正体を知った後でなお声をかけたのは単純な興味である。

 不完全な状態だったとはいえ、自分と〈シャングリラ〉を追い詰めた『三つ目』の乗り手。自分を気圧した相手がどんな人間なのか、彼女は知りたくなったのだ。


 ――このジーク・シィングを生かしたこと、必ず後悔させてやる! 

 ――地獄の果てまで追い詰めて、その首落とすからなァァァァァッ!


 先の戦いで自分に咆哮めいた大音声を浴びせかけた相手と、今日は安穏とした町中でコーヒーブレイクに興じている。その事実が何だかおかしくなって、ジナイーダはくすりと笑いを零した。


「何がおかしい」

「いいえ。……私は東欧の出ですけど、シィングって南アジアの苗字ですよね」

「ネパールだ。階層ジャートChhetriチェトリ

「インドのカーストみたいなものでしたっけ」

「大体はな。チェトリはあっちで言う刹帝利クシャトリヤにあたる」


 そうしているうちに店員がホットサンドを持ってきて、やや怯えたような表情でジークの前に置いた。ジナイーダは飲み物のほかは何も頼んでいない。

 

「それで」

「はい?」

「俺と何の話をする気だ。戦況だの情勢だのが聞きたいなら基地の広報官に聞くか、PRTOアフガニスタン支部の公式発表を見ろ。俺は何も話さん」

「守秘義務を聞き出そうとは思ってませんよ。たちの悪いマスメディアじゃないんですから」


 不服そうに唇を尖らせ、ジナイーダはストローからレモネードを啜った。

 勝手に話してくれるなら聞くが、話さないならそれでもよい。本来情報収集はジナイーダの仕事ではないのだ。たかだか将校一人から得られる程度の情報のために、スパイを疑われるような動きをする気はなかった。


「ただ――そう。本の話をしたかったんです。周囲に活字に親しむ方があまりいないものですから」

「俺は批評家じゃないぞ」

「私だって違いますよ。何を買ったんです?」

「一山いくらのパルプマガジンだ。漫画に小説、下らん与太話」

「面白そうです。私が買ったのは――」

「『虎よ、虎よ!』だろ。130年前のワイドスクリーン・バロック小説。さしずめあんたはオリヴィア・プレスタインか」


 ジークが立て板に水を流すように答えると、ジナイーダはカラーコンタクトを着けた両目を意外そうに見開いた。


「捲れる紙なら何でもいいなんて仰ってましたけど、やっぱり本がお好きなんですね。――確かにアルビノの女ではありますが、私はむしろソール・ダーゲンハムに親近感を覚えます」

「昔の話だ、今はもう大して読まない。――あの電磁波人間にか? まぁ、いい」


 ジークはため息をつき、紙袋から本を出した。



「ううん――古典SFも好きですが、大衆小説や漫画にも違った良さがありますね。お兄さんは普段からお読みに?」

「最近は本自体ほとんど読まない。……昔はよく読んだよ。今思えば出来がよくないのも多かったが、誰だってああいうのから読書に入るもんだ」

「先ず隗より始めよ、ですね。同感です。ええ、同感ですとも」


 ほとんど成り行きで始まった茶飲み話は――実際のところ、読書マニアによる教養のラッシュ比べという方が近かったが――2時間近く続いた。既に料理の皿は片付いており、ジークの前には何杯目かのコーヒーが置かれている。


「――ふぅ」


 ジナイーダがグラスを置き、満足げに息をついた。


「こんなにお喋りができたのは久しぶりです。普段は友達と一緒にいるのだけれど、その子は全然付き合ってくれないんです。むっつりしてて可愛い子なんですけどね」

「釣り合いが取れていいんじゃないか。そいつもこの街に?」

「ふふふ! いいえ、今回はお留守番です」


 ジナイーダは人と話せるのが楽しくて仕方ないといった様子で、終始機嫌よさげに笑いながら話し続けていた。


 少しばかり衒学的なきらいはあるが、どういう人生を送っていればこれほど愛嬌を振りまけるのだろうか――善意を向けられることに対する不信感は未だあったが、ジークとしても目の前の少女と話すのは不思議と悪い気分ではなかった。波長が合う、というのはこういう事なのかもしれない。


「お兄さんはアフガニスタンに来てから長いんですか?」

「それなりにな。……NGOと言っていたが、何をしてる団体なんだ」

「医療と教育への支援です。内戦が長引きすぎて、今や政府の統治地域でも不十分になりつつありますから。ここの塀外もそうです」

「それで当の支援対象に刺されそうになった訳だ」

「そうですけど……あの人だって、きっとやりたくてやったわけではありません。適切な生活支援の整備が追い付いていないから、困窮した人はああして犯罪に走るしかなくなるんですよ」


 ジナイーダは口元に曖昧な微笑を作って言うと、まだ半分ほど残っているレモネードをストローから啜った。


「事実ではあるが、NGOってのは何でも先進国と政府のせいにしたがるな」

「やむを得ない部分があるのは承知していますが……部外者の立場としては、現政権がパシュトゥーニスタンとの戦闘をこのまま続けても、今のような膠着がずっと続く中でただ国だけが荒れていくように思えます」

「だったらどうするべきだと?」

「政府より彼らの方が支持を得ている地域も沢山あります。いっそ相手を受け入れて、共存の道を探るべきではないか、と。月並みですが」

「……箱入り娘の理想論だ」


 ジークが無表情で言い捨てた。和やかだった雰囲気がふっ、と吹かれた蝋燭の火のように消えた。相手の心中に突如冷えきった怒りが湧き上がったのを視て、白髪の少女が目をわずかに細めて姿勢を正す。


「と、言うと?」

「あんたは冷静で俯瞰的で、ひどく上から目線だ。自分が絶対安全だと思ってる。生きるか死ぬかで必死になって殺し合ってる連中を愚かだと思ってるだろう。――ネパールのラプティ県、俺の故郷。2069年に何が起きたか知ってるか」


 ジナイーダが少し考え、答えた。


「……第二次ネパール内戦ですね。親中国のマオイスト政権と、インド寄りの国王派の武力衝突。直接の原因は政府による言論弾圧で、最終的には国王派が勝利した」

「その通りだ。俺の父親は警察官で、出動先で火炎瓶に焼き殺された。母親は官営住宅地への爆弾テロで家ごと潰れた。残ったのは俺一人……」


 ジークがカップを傾けて喫茶店の窓の外を見た。彼は窓の外に広がるジャラーラーバードの景色の中にかつての故郷を見出していた。分断と内戦、なすすべなく荒廃していく街と生活。不愉快な既視感。


「今のネパール新政権は『悪政が倒れた』と宣伝してる。自分たちは市民を弾圧する政府から国民を解放したと。確かに事実かもしれん。だがな」


 ジークが一旦言葉を切った。


「それは俺にとって『お前の親は死んで当然だった』と言われるのに等しいんだ。――惨めだよ。俺が国に居場所を失った一方で、故郷じゃ親を殺した連中が善良な一般市民として大手を振って歩いてる」

「その痛みを知りながら戦いに身を投じる。それでいいんですか?」

「そういうのが上から目線だってんだ。……俺の親が死んだのは戦いの結果であって、主義主張が間違っていたからじゃない。そもそも生命というのはエゴイスティックなものだ。自分の生存のために他者を殺す、そこに善悪や正義論が介在する余地はない。戦いが始まった以上、敵を叩き潰す以外に生きる道はないんだよ」

「極論ですよ。人間は何世代も前から……その――何というか――」


 ジナイーダが慎重に言葉を選びながら続けた。


「そういう弱肉強食とか、野生の掟みたいなものを乗り越えてきたのが人間の歴史だと思います。闘争だけが真実で、傷つけあうだけが全てだなんてさみしいですよ」

「乙女チックなことを。……あんたが羨ましいよ」

 

 ほとんど無意識にジークは言葉をこぼした。皮肉ではなく本心からだった。


 13年前の内戦がなかったら、自分は祖国で物書きでも目指しながら、似たような青臭い理想論を語ったのだろうか。あるいは――目の前の少女も酷い目を見て心身を擦り減らせば自分と同じようなことを言い出すのだろうか。


 そうなってしまえと思った。同時にそうなってほしくないとも感じた。ジークは目の前の少女に決定的な隔絶と、奇妙なシンパシーとを並行して感じていた。

 久々に昔の――まだ軍人ではなかった頃のことを話したものだから、どうもノスタルジーを刺激されたらしい、と彼は自己分析した。


「ああっと――ごめんなさい。御礼に呼んだはずが変なことばかり言ってしまって」

「いや……俺が悪かった。あんたに喧嘩を売りたかったわけじゃないんだ」


 彼にしては珍しく、ジークが素直に謝罪を述べた。

 軍の身内相手であれば口が裂けても謝らなかっただろうが、目の前の少女に対して敢えて対決姿勢にこだわる理由はない。端的に言えば毒気を抜かれたのである。


 再び二人の雰囲気が弛緩したその時――椅子にかけてあったジークの上着から、無機質な呼び出し音が鳴り響いた。


「俺らしい。出るぞ」

「どうぞ」


 彼が怪訝な顔で端末を手に取ると、画面には「Samuel Sandoval」の文字が表示されていた。ジークの眉根にみるみる皺が寄る。


「おい、クソッタレの恥知らず。休暇中の俺に何の用だ」


 ジークが開口一番に罵倒をぶつける――サンドバル兄弟が着任してからの一ヵ月間、二人のコミュニケーションはほぼ例外なく罵倒のぶつけ合いから始まっていた――しかし帰ってきたのは罵倒の応射ではなく、冷たく張り詰めた声だった。


『今どこで何してる。アルコールは入っていないな』

「耳ついてんのか? 何の用だって聞いてんだろうが」

『今すぐ基地に戻ってガレージで待機しろ』

「――何があった?」

『コード・レッド。俺とディーも今基地ビッグボードに戻ってるところだ』

「……!」


 その単語を聞いた瞬間、ジークの表情が強張った。

 コード・レッド。普段は使われず、できれば一度も用いられるべきではない部類の符丁である。PRTOアフガニスタン方面軍ではもっぱら最重要地点への敵襲、またはそれが予想される事態を意味する。


 この周辺でコード・レッドの対象となる目標といえば、ジークらの根城であるキャンプ・ビッグボード自体か――ここ、ジャラーラーバードである。


 どちらであれ、恐ろしい話だ。前線の守備隊は何をしている? 

 まさか……再び『マント付き』が現れて、機動力に任せた一点突破を仕掛けたのでは? 〈ヘルファイア〉が普段そうしているように。もし相手が市街に到達すれば、あらゆる意味で致命的な損害は避けられまい。

 

「すぐ戻る」


 手短に答え、ジークは通話を切った。

 状況は比喩でなく一分一秒を争う。ただならぬ雰囲気を察した様子のジナイーダの前で、彼は財布からドル札を数枚抜き出して机に置いた。


「何かあったんですか?」

「無能の尻拭いだ。悪いがそれで会計しといてくれ。――どこを宿にしてるか知らないが、今日はさっさと帰って大人しくしてるんだな」

「解りました。……私、あと一月くらいこの辺りにいます。またお話しましょう?」

「期待はするな。あばよ」


 ジークが席を立って早足で――『マント付き』の乗り手がそこにいるとも知らず――歩き去る。

 彼のサイバネ義眼はその無機質さに反し、溢れんばかりの闘志と殺意を映し出していた。無言の気炎を上げて闊歩するジークの表情は既に〈ヘルファイア〉の、パシュトゥーニスタンを脅かす三眼の怪物の操り手のそれへと戻っていた。



「存外複雑というか、一人で延々考え込んで煮詰まりきったような人だったな。――でもああいう人とはけっこう気が合っちゃうんですよね、私って」


 残されたジナイーダが独りごちた後、残ったレモネードを一息に飲み干す。

 本来なら胃腸に入って消化吸収されるはずの液体は、その一歩手前で質量ごと消失し、E=mc2の式に従った量のエネルギーとなってジナイーダ自身にも感知できない領域へと消えた。彼女の新陳代謝は化学反応による消化吸収ではなく、対消滅と対生成によって賄われていた。


「……さて」


 彼女は自分も立ち上がり、机に置かれたドル札を数えた。二人分の会計を支払って釣りがくる額だった。

 ジナイーダはそこにレモネードとコーヒー一杯分の料金を自身の財布から付け足し、レジに持っていって会計を済ませた。

 レシートを控えておいて、また後で釣りを返せばいいだろう。彼女は己のルールに対して厳格な女だった。

 

(何かの動きがあったみたいだけど、シスコーカシアの計画ではない。ゼリムハンの独断専行でもないはず。となればパシュトゥーニスタンの独自行動――結局アリスタルフの予想通りか)


 ジーク・シィングが動くのであれば、おそらく『三つ目』も動くのだろう。

 何事もなければいいのだが――そこまで考えたところで自分が敵の心配をしていることに気付き、彼女は調子が狂ったような表情で店を出た。


「――次も平和的に会えたらいいのだけれど」

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