2.具足を外す時
【これまでのあらすじ】
・ジーク・シィングは米印を中心とする国際軍事組織・PRTO派遣軍の兵士であり、アフガニスタン戦線で超重装甲機〈ヘルファイア〉を預かるパイロットである。
・反政府組織パシュトゥーニスタンへの強襲作戦で遭遇した謎の高性能Mech〈シャングリラ〉について、PRTO上層部はパシュトゥーニスタンを支援するロシアの差し金だと推測した。次の戦いに備えて敵機の分析と戦力増強についての会議が行われる中、ジークは次の戦闘が近づいていることを感じ取る。
◆ ◆ ◆ ◆
前線に近い大規模基地であり、PRTO派遣軍の対パシュトゥーニスタン作戦における要衝でもあるキャンプ・ビッグボードには厳しい警備体制が敷かれている。
許可を得ていない一般人は基地のゲートを潜ることすら許されず、偶にジャーナリストなどが基地を訪れた時も原則的に出歩ける範囲が制限される。少なくとも屋外で見かける人影は、皆カーキ色の野戦服を着ていると言っていい。
故に――ステッキとキャリーバッグを手にして宿舎にやってきた黒服の人影は、砂埃が舞う風景の中ではひときわ異彩を放って見えた。
「お疲れ様です、桜花先生」
「暑い中で待たせてごめんなさいね」
「平気です。慣れてますから」
宿舎の前で待っていたジークが胸の前で合掌して立礼した。インド文化圏の挨拶である。
普段の彼からは想像もつかない丁寧な仕草を受け、人影――先の報告会に出席していた女性技師である国綱桜花が、
〈ヘルファイア〉の設計に携わった一人であり、またジークの義肢の設計者でもある彼女とはビッグボード基地に来る以前からの知り合いだった。テスト走行中の事故で両手足と両目を喪失したジークに、義肢と義眼の移殖手術の話を持ち掛けたのも桜花である。また、渋々ではあるが――〈ヘルファイア〉へのBMI装置の導入と調整にも協力してくれていた。
「しかし……俺は郵送で良いとメールしたでしょう。後方とはいえ戦地ですよ。敵の自称首都のアサダーバードと90kmしか離れてないんです」
「だって貴方、用がない時はメールの一つも寄越さないんですもの。それに渡航許可も出ていますし、現地の使用者の様子から新しい知見を得ることもあるでしょう――入っても?」
桜花が黒手袋をした手で宿舎のドアを指すと、ジークが扉を開けて彼女を招き入れた。
「さっきの御二方は? サンドバルとかって」
「留守です。早く済ませましょう」
「あらあら、はいはい」
サムエルは改修に伴う補給部署との折衝、ディナはロックと〈ピースキーパー〉の修理に関するスタッフ間の打ち合わせにそれぞれ出席している。ジーク自身は既に己が乗機に関する情報共有を済ませ、週明けまでの休暇を取得していた。
したがって、今宿舎にいるのはジーク一人である――如何にしてこのタイミングで他人を遠ざけようか考えていた彼にとっては、僥倖だった。
◇
T-Mech試験班、将校用宿舎の談話室――シャワーとトイレを覗けば唯一の共有スペースであるこの部屋にはテーブルとソファとテレビ、空っぽの棚と帽子掛け、壁で仕切られた簡易的なキッチンだけがあった。最低限の義務としてジークが掃除だけはしているが、規定外の娯楽品の類はほとんど置かれていない。
「相変わらず殺風景な部屋だこと。観葉植物でも置いたらどうです?」
「面倒です。他の世話なんてやってられません」
ジークがソファに座って上着を脱ぎ、間に合わせに取り付けていた筋電義手を外す。他の手足と違って胴のアシストスーツに繋がれていない義手はあっさりと取り外され、そのまま無造作に机の上に置かれた。
彼の右上腕の切断面を覆うピンク色の皮膚と、その中心から突き出す金属のジョイントが露わになる――このジョイントは単なる固定具のみならず、脳と信号を相互伝達する受発信装置の役目も担っていた。ここに義手側のコネクタを接続し、同時に切断面全体をソケット状の付け根で覆うようにして固定するのだ。
「それじゃ、右腕から取り付けましょうか」
「自分でやります」
「やってあげるからじっとしてなさい。そんなに私が信用なりませんか?」
「ぐ……」
向かい側に座った桜花がキャリーバッグを開き、取り出した機械の右腕――表面が肌色の樹脂製カバーで覆われたサイバネ義手――を右腕のジョイントに嵌め込み、アシストスーツと繋いだ。
それから上腕部カバーを開いて内部の電源スイッチを操作、義手に内蔵された制御コンピュータを起動。胸椎のBMI装置から脳波信号を受け取って、機械の腕が動き出す。
「ぴったり嵌まりましたね。ちゃんと自己管理しているようで何より」
「ガワは要らないとも言いましたよ。どうせ装甲に付け替えるんだ、もう用意もしてある」
「あーあー、聞こえません。――反応はいかが?」
「まだ少し硬いが、軍医の寄越した量産品よりはずっといい。この義手じゃなきゃ〈ヘル〉に1、2回乗っただけで歪んじまうし」
ジークが手を握ったり開いたりを繰り返し、腕が思いのままに動く感覚を噛み締める。皮膚表面の筋電位ではなく脳が発する電気信号を直接受け取っているため、その動きは先ほどまで装着していた筋電義肢より遥かに滑らかで敏感だった。
「この一週間不便で仕方なかった。料金はいつも通りに」
「毎度どうも。……サービスで左手と脚のアクチュエータも換えてあげましょう。鎧を外しなさいな」
「はい」
ジークが素っ気なく言って胸ポケットからドライバー状の器具を取り出し、左腕を覆う装甲板を外し始める。ガチャガチャと音を立てて積まれていく装甲板の山を見て、桜花が呆れたような表情を見せた。
「そんなものを着けているから余計に不便になるんですよ」
「ついでに銃でも仕込みたいくらいです」
「そういう余計なカラクリ仕込みは私のポリシーに反しますわね。――あのサムエルとかいうアメリカ人との間に何があったか、会議の前に聞きましたよ」
「誰から」
「トニー・ゴールディングです。あれこれ人の事にうるさく言いたくないけれど、ね」
「……」
幼子を窘めるような口調でやり込められて、ジークが無表情を装って黙り込んだ。その姿に小さな溜息を洩らし、桜花がそれ以上の追及を止めて話を仕切り直す。
「——それで、今度の隊長さんはどんな方なの?」
「さっきの会議ではどう見えました」
桜花がうーん、と指を顎に当てて考え込んだ。
「貴方と同じスタンドプレー気質? 幾分かは社会性がありそうでしたけど」
「ラスベリ(※ベンガル地方の甘い菓子)よりも甘い評価だ。他人を利用して利益を得ることしか頭にない奴です。社会正義もスポーツマンぶった態度も全部他人を都合よく使うためのお為ごかしだ。薄汚れた寄生虫、虱集りの犬畜生」
「相手の悪い面にばかり目敏いのは貴方の悪い癖ね。……左手」
ジークが左腕をテーブルに置いて電源を落とすと、桜花が「さて」と呟いて両手の黒手袋を外した。
「この作業、蟹を剥く時みたいよね。やったことある?」
「いえ――俺は食われる蟹ですか」
「共食いね。ふふ」
桜花が露になった右手をカチャカチャと動かし、気だるげに微笑した。彼女の右腕はジーク同様、肩の付け根からBMI操作のサイバネ義手に置き換わっていた。
細身の義手は人間の肌を精巧に模した軟質カバーで覆われていて、生身の左手と並べてもほとんど区別がつかない――それどころか指先のセンサーで触覚や温感を感じることすら可能である。高出力のCNT人工筋肉が内部に機器を仕込めるだけのサイズ的余裕と、実用的な出力を両立しているのだ。
その手が左腕を覆うシーリングを剥がし、そこにぎっしりと詰まった十数本の縄状の物体――燃料電池一体型のCNT
「それで、案の定サンドバル氏とも不仲なのね?」
「あいつの本性を知れば誰だってそうなります。今は妹が間に入っているから膠着していますが、いずれ決着を着けなきゃなりません。奴を殴り飛ばして叩き出す」
「乱暴ね。そんなに嫌な人ばかりなら、いっそ軍隊なんて辞めたらどうです?」
「……さっきの会議を聞いてたんですか? 面倒な敵が出てきたばかりです」
「それは組織の問題でしょう。私が話しているのは貴方の人生について」
ジークが声を低くして彼女を睨みつけると、桜花はアルカイック・スマイルのまま
「T-Mech乗りの場合は知らないけど、少なくともあと半年で一旦任期満了でしょう? 雇用契約を終わらせて国に帰ることも除隊することもできます。何でしたら再就職のお世話もできますけど」
「帰る場所も行く宛もない。ここが俺の縄張りだ」
ぶっきらぼうなジークの言葉に桜花が笑みを消し、作業を一時中断して指を組んだ。
「友人として忠告しますが、今の貴方には安らげる環境と自分を見つめ直す時間が必要です。自分に合わない環境での暮らしは不幸を呼びますよ」
「〈ヘルファイア〉から離れる気はない」
「相変わらずあの失敗作に随分ご執心のようで。……まったく」
ジークの意固地を目の当たりにして、桜花が溜息をついた。
「……この談話室で、最初の隊長さん……ええと」
「アルジュンです。バラモンの」
「そう、インドの方でした。――その方が、この部屋で、貴方に古臭い
「……それも、ある」
ジークが唸るように言った。無感情な白と黒の疑似瞳孔、桜花のそれより堅牢だが外観再現性に欠けたハイテク義眼に憤怒の炎がちらつく。
「5人いた。ペゼンタの飛行場を潰した次の日だ。奴らは友好を装って俺を酒で酔わせようとした。断って部屋を出ようとしたら本性を出して、そこの壁際に俺を押し込んで鼻面を殴った。同時に連中が掴みかかってきた……」
ジークの指が壁の一ヶ所を指した。無機質な白と黒の瞳が一杯に見開かれた次の瞬間、眼球全てが黒く染まる。疑似瞳孔の白目の役割をしている液晶カバーが透過し、その裏に配された複眼カメラがフル起動したのだ。
「……咄嗟に殴った。フルパワーでだ。一人目の顎が割れた。二人目にボディーブロー、腹が陥没して床をのたうち回った。三人目を突き飛ばして椅子で殴った。椅子と奴の肩甲骨が同時に砕けて、悲鳴が上がった。逃げようとした四人目を掴んで、そこの窓に投げつけた。窓が割れて部屋に風が吹き込んだ」
目に憤怒を宿したまま、無表情でジークが続ける。
「アルジュンが血相を変えて拳銃を抜き、俺に止まるように言った。こんな事をやらかしたお前は軍法会議だぞ、と言うわけだ。奴はこの私刑を一種のレクリエーションだと思っていた――気に入らないパイロットを殴る、パイロットは従順になる、周りの奴らも鬱憤を晴らして満足する、無事に部隊がまとまる――俺が一番嫌いな思考回路だ! 無視して突っ込んだ、脚に二発弾を貰った、だが俺は奴の拳銃を握り壊して、顔が凹むまで殴った! ……最初からそうしておくべきだった!」
「貴方が義手に
桜花が整備を終えた左腕をシーリングで覆い直しつつ、至近距離からジークを見つめた。その右目は視覚機能を持つ高性能義眼へと置き換えられていた。もしこの場に形成外科に長年携わる者がいれば、顔にうっすらと残る皮膚移植の痕までが見えたはずだ。
アクチュエータとBMIの権威である女性技術者は、自身も義肢の着用者である。彼女は7歳の時に事故で右目、右腕、右脚を喪失しており、そしてテクノロジーでそれを補っていた。
高性能義肢の開発、研究費稼ぎの副産物である軍用Mechの数々、全ては自身の現状を克服するための行動の結果だった。その克己心と形振り構わず目標に向かう執念がジークの信頼と尊敬を引き付けていた。――故に。
「それならそれでいい。〈ヘルファイア〉が俺の全てだ。ここを離れる時はジーク・シィングが死ぬ時だ」
数秒の沈思黙考の後、彼は本音を言った。
「いいか、先生。シェイクスピアじゃないが世の中どいつもこいつも阿呆ばかりだ――倫理とか公平さとかを建前として掲げておいて、自分たちの事は当たり前のようにその埒外に置く。そういうダブルスタンダードができる面の皮の厚さを『社会性』って呼ぶんだろ。――俺は奴らの同類にはなれない。奴らに忖度するのも、もう止めた!」
ジークが憎々しげに言いながら、ズボンの大腿部を一周するように取り付けられたファスナーを引いて裾を分離した。両義足を覆うCNT強化チタンの装甲板が、室内灯の光を反射して鈍く光った。
「そんな道理が通ると?」
「〈ヘルファイア〉が通す。奴らに取り込まれるのも尻尾を巻いて逃げるのも御免だ。安全圏から石を投げているつもりになってる奴は、残らず引きずり出して這いつくばらせる。基地の奴ら、サムエル・サンドバル、パシュトゥーニスタンに『マント付き』、全てだ!」
どす黒い呪詛めいた言葉を吐き出して、ジークが義足をジョイントから外して机の上に置いた。すぐさま桜花がオートメーション化された作業機械のように点検と
「貴方はストレスで視野が狭くなっているようね。何もかも敵視して何になるのですか? 幸福は執念の果てではなく執念の外側にあるものです」
「先生は俺を安っぽいプライドに拘る馬鹿だと思っているんだな。だがその安っぽいプライドを支えに俺は今日まで生きてきたんだ! 妥協で手に入れるまやかしの幸福に何の価値がある!」
ジークが声を荒げ、着け直した義足で床を強く踏みつけた。靴底がリノリウムの床と衝突し、彼の意固地を表すかのように硬い音を鳴らす。
「何を言っても無駄ね、これは」
桜花が目元を苦々しげに歪めて姿勢を崩し、ひじ掛けにもたれて頬杖をついた。その物憂げな面持ちは辟易しているようでもあり、自身の過ぎ去った時に思いを馳せている風でもあった。
「いいですか、ジーク・シィング――かつての私も貴方と同じように考えていました。自分なりに考えて決めたことを子供の癇癪のように扱われるのは、不愉快です。確かに」
「ええ」
「でも耳障りの良い言葉をかけて見殺しにする気もないわ。理屈に筋が通っていようが、今の貴方のやり方はすごく迷惑で非生産的です。それを解りなさいよ――あなたは本来、ただ感情任せに暴れるだけのお馬鹿さんではないはずです」
桜花が肘掛けに立てかけていた黒いステッキ――機械義足を着けていれば無用な代物だが、本人曰く『お守り』らしい。テクノロジーに頼れなかった時代からの習慣――を取ってソファから立ち上がった。
「あんたは結局その説教がしたくて来たんだな。……覚えてはおきますよ」
「そうなさい。……もうすぐ定期便の時間だわ」
「送ります」
見送るべく自らも立ち上がったジークの前で、桜花が帽子掛けからクロッシュを取って被り直した。当然、その色も黒である。
「この後は?」
「カブール国際空港へ。ちょうど今夜飛行機があるので、そのまま日本に帰ります。姪っ子を匿っているから長い事空けていられませんの」
「姪っ子? いくつの?」
「
思い出したように短い世間話をしながら、二人が談話室を出て宿舎の外に向かう。ドアを開けると冷たく乾いた風が頬を撫でた。既に日も落ちかけている。
「ここまでで結構ですわ」
「そうですか。……いつも、わざわざすみません」
「貰うものは貰っていますし、好きでやっている事です。……今日言った事、忘れないでくださいね。では、また」
小洒落た仕草で軽く手を振って、桜花が一仕事終えた表情で宿舎の前から歩き去る。
行き先はビッグボードの名前の由来である大型滑走路。毎日朝と夜に軽輸送用の小型機を使った定期便が発着するのだ。ビッグボードと外部を行き来する上ではもっとも速く安全な移動手段である――暗くなりつつある風景の中、彼は小さくなっていく黒ずくめの背中を見送った。
◇
桜花が去った後、ジークは踵を返して二階の自室に戻った――右腕を再び装甲化するためだ。客観的に見ればそこまで急ぐことでもないが、片腕の非装甲を好機と見た何某が襲撃をかけてこないとも知れない。最重要事項だ。
鍵付きのロッカーから予め用意しておいた装甲パーツ――〈ヘルファイア〉の破損した骨格フレーム、その廃材から削り出したものだ――を机に並べ、右腕の機械構造を覆う軟質の樹脂製カバーを外す。
(やはり
一瞬針でつつかれたような罪悪感が頭をよぎり、ジークは一人顔をしかめた。恩師が相手とはいえ、面と向かって説教されただけで決意を鈍らせるなど無節操な根性無しのやる事だ。自分は他人からの怨嗟を恐れるような腰抜けでもなければ、搾取される弱者でもない。思うがままにエゴを突き通すのだ。――そうあるべきだ。そうあらねばならない。どこか矛盾した思考を抱きながら、ジークは装甲を新品の右腕に取り付ける。
パーツ同士はきっちりと噛み合った。重厚なガントレットめいた装甲パーツはガタつきもずれもなく、義手の本体に完璧にフィットした。左右の重量も釣り合っている――にもかかわらず、彼本人の気分はどうにも釈然としなかった。
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