3.世界の屋根裏にて

【これまでのあらすじ】

・ジーク・シィングは米印を中心とする国際軍事組織・PRTO派遣軍の兵士であり、アフガニスタン戦線で超重装甲機〈ヘルファイア〉を預かるパイロットである。

・アフガニスタンには大きく分けて二つの勢力がある。PRTOの支援を受ける現地政府と、ロシアの支援を受けるパシュトゥーニスタンだ。

・しかし最近になって眼鏡の男アリスタルフを首領とする謎の第三勢力が動き出した。〈シャングリラ〉を初めとする高性能機を複数擁する彼らの正体とは?


◆   ◆   ◆   ◆


 西暦2082年。内戦状態にあるアフガニスタンであるが、主だった戦闘はもっぱら北東部から東部地帯で発生している。


 まず――西洋的価値観を拒絶し、原理的なイスラム主義と民族主義を謳う反政府勢力『パシュトゥーニスタン共和国』はアフガニスタン東部とパキスタン西部、隣接する両国北部に跨る形で勢力圏を持っている。

 武装蜂起以前から『パシュトゥーン人の土地パシュトゥーニスタン』と呼ばれていたこの一帯が、民族意識で結束している彼らにとっての「国土」である。


 そして――PRTO派遣軍アフガニスタン方面軍の根拠地たるキャンプ・ビッグボードもまた同国東部、ナンガルハール州ジャラーラーバード付近に存在する。

 T-Mech二機を含む最新鋭の装備、世界各地に散ったPRTO派遣軍の中でもアフガン方面軍は質・量の両面で最大規模を誇る。これらの要因が重なって、アフガニスタン東部は同国内で最も激しい戦火が燃える場所となっていた。


 

 その一方――ほとんど戦乱の影響を受けていない場所もある。ナンガルハールからかなり北に移ったバダフシャーン州、ワハーン回廊と呼ばれる場所がそうだ。アフガニスタンを地図で見た時、東に向かってひょろりと飛び出したように見える東西200km、南北15kmの高原地帯である。


 『世界の屋根』ことパミール高原を東西に貫くこの回廊はかつてシルクロードの一部であり、今でも北のタジキスタン、東の中華人民共和国、南のパキスタンの3国と同時に接する地政学的な重要地点である。にも関わらず、100年近い戦禍に苛まれ続けるアフガニスタンにおいて唯一、この地はほとんど被害を受けていない。

 

 理由はその環境の過酷さにある。回廊の平均標高は4500m、年間300日以上は氷点下の気温が続く。人口はせいぜい1000人強で、大部分はキルギス人の遊牧民である。寒冷すぎて農業ができないため、彼らの多くはヤクや羊を飼って暮らす。

 道は急峻な山道ばかりでガスも電気もほとんど通っておらず、自動車や民間用Mechの類もあまり使われない。かつては道路敷設の計画も立てられていたが、結局は実施されなかった。平均寿命も短く赤子の死亡率も高い。


 こういった環境のため、この地は政治的にも軍事的にもほとんど空白地帯であった。一世紀前のソ連によるアフガニスタン侵攻、その後の内戦、タリバンによる支配、そして昨今のパシュトゥーニスタンによる『独立闘争』、いずれの戦火もこの雪に閉ざされた回廊には届かなかった。


 しかし、その間隙を突くかのように――マント付きの飛行Mech〈シャングリラ〉を擁する地下基地はこの回廊の更に奥、少数の遊牧民以外には立ち寄る者もない峻険な山地に建設されていた。



「――人間らしさヒューマニティ。かつては獣性に対する人間の理性とか効率性とかを指す言葉でした。それが時代の変化と共に感情や創造性を指すようになった。しかし今はAIがチェスも指せば小説も書く時代です」


 ジナイーダが身じろぎすると、彼女の雪のような白肌と白髪を浸す湯がちゃぷ、と音を立てた。――「雪のように」は比喩ではなく事実だ。


 彼女が浸かっているのは基地最下層の自室の隣、基地の廃熱を利用したバスタブ付きのバスルームである。半年前にこの基地にアリスタルフに要望して取り付けたものだ。上層にはシャワー室しかない。


「何をもって人間とそれ以外は区別されるのか。俗に言う知性や自意識を持つアンドロイドやエイリアンは人間たりうるか。手垢のついた思考実験です、区別しようとすること自体が傲慢なのだという考え方もあります——しかし私にとってはアイデンティティに関する実用的な問題なのです。この私は何者か、自己をどう定義すべきか。貴方はどう思う?」

「どうでもよろしいかと」


 浴槽の中、ジナイーダの向かい側に体育座りで浸かるターニャが機械的な無表情で返した。

 小柄な彼女の肌にはジナイーダと違って生物的な血色が宿っているが、総合的な外見はジナイーダ以上に怪物じみている。両手足が根元から切断されており、代わりに工業用ロボットアームめいた4本腕の義手と獣脚型の多関節義足が接続されているのだ。


「共に戦います。それで十分です」

「ターニャは優しいね。……シンプルに考えられるって羨ましいわ」


 ジナイーダが寂しげに微笑して湯船のふちに腰かけ、糸のように閉じていた目を見開いた。黒い眼球に真紅の瞳、近紫外線から遠赤外線までを捉える邪眼が宙に視線を泳がす。


「お姉様と〈シャングリラ〉は我々の要、司令も認めています」

「それはいいんだけどさ——いえ、話題を変えましょう、何かある?」

「戦術研究を。敵の規格外Mechの」

「いいですよ」


 ジナイーダは微笑して妹分の提案を受け入れ、伸ばした脚を組んで肩まで湯に浸かった。

 若い娘が風呂で話す話題には到底思えないが、二人の話は大抵最終的には戦術研究か作戦の相談になる――ターニャが自発的に話せる話題がそのくらいしかないからだ。ジナイーダも本を貸してみたり外出に誘ってみたり色々と試みてはいるのだが、今のところ成果はあまりよくない。


 了承を得たターニャが義手の1本を湯船の外に伸ばし、3本指のマニュピレータでスタンドに立てられた軍用タブレットを掴み取る。


「既に司令に提出したデータですが」


 それから一つ二つの操作を加え、ヒンドゥークシュ山脈周辺の広域地形図を表示。次いで十数本の赤い線――PRTOの『三つ目』、〈ヘルファイア〉の移動ルートの記録がその上に重なって表示された。


「〈ティル・ナ・ノーグ〉が先んじて稼働を始めてから、3ヶ月分の偵察結果です」

「向こうも気付いていないでしょうね。……まぁ、こんなにも」


 赤い線の軌道を見たジナイーダが顔をしかめた。

 線はどれもパシュトゥーニスタン勢力圏の外から始まっており、勢力圏に入ってしばらくの間はほとんど戦闘を行わずに直進していた。そこから抵抗の薄い後方に抜けると急激に動きを活発化させ、監視拠点や補給基地を襲撃――数時間かけて後方を荒らしまわった後は迷わず退却に転じ、入ってきたのとは別の箇所を突破して離脱している。

 

「在りし日のモンゴル騎兵ね、まるで。戦線を突破して浸透、防衛側が浮き足立っている間に後方を荒らして脱出。洗練された遊撃戦だわ」

「『三つ目』は時速500km以上で動き続け、5分以上同じ場所には留まりません。敵部隊との交戦時は奇襲か、偽装退却からの逆襲を多用します。追いつけるとすれば航空機ですが」

「それもペゼンタの飛行場が破壊された今では飛び立てない。あの装甲と機動力ではアンブッシュで捕まえて殺しきるのも難しい。……状況が許せば私が叩っ切りに行きますけど」

「アリスタルフ司令は〈シャングリラ〉抜きでの戦闘を考えています。お姉様をMech一機にかかずらわせる訳にはいかないと」

「そんな悠長に言ってられるものかな」


 彼女自身にも確証が持てないのか、ジナイーダの声色はどこか頼りない――予想外の損傷を負わされたことが彼女を弱気にしているのだろう、とターニャはひとまず認識した。


「……ま、そうせよというなら仕方ありません。あの規格外機のコンビを相手にするなら、まず各個撃破は大前提。先に『四つ脚』を奇襲して武装を潰した後、複数機で『三つ目』を相手するのが一番確実かと」

「分断して1対1で相手をするのは?」

「あなたと〈ティル・ナ・ノーグ〉なら『四つ脚』には問題なく勝てます。『三つ目』も相手取れるでしょう――ただ一対一で安定して勝つのは不可能です。推奨はできません」

「私より強いと?」

「敵は〈シャングリラ〉の触手6本で競り合うのがやっとの馬鹿力、多少の砲撃も通じないし。『四つ脚』の解りやすい火力に惑わされて『三つ目』から注意を外してはいけませんよ」

「了解」

「〈ティル・ナ・ノーグ〉のレールガンか〈ヴァルハラ〉の頭突きなら有効打を出せるでしょう。問題は……ん?」


 ジナイーダの講義は途中で打ち切られた。タチアナが持っていたタブレットの画面が突如切り替わり、無機質な着信音を鳴らしたからだ。

 この部屋に電話してくる人間など、この地下基地の司令アリスタルフ・アルハノフ以外には有り得ない。(何の用やら)眉をひそめるジナイーダをよそにターニャが腕の一本を伸ばし、鳴り続ける電子機械を取って差し出す。

 

「何か御用ですか?」

「入浴中かい。もうすぐパシュトゥーニスタンへの出向組が戻った、報告会をするから司令室まで来たまえ。そのあと食事会もする予定だが」

「私達は部屋で食べます。……誰が来るんです?」

「シャミルとゼリムハン」

「了解、了解」

 

 その名前を聞いたジナイーダが溜息をついて通話を切り、タブレットをターニャに返した。休日に上司から呼び出された会社員のようなうんざりした表情で湯から上がり、タオル置きから白いバスタオルを3枚取って2枚を投げ渡す。すかさず4本の機械義肢がバネ仕掛けめいてそれをキャッチした。

 

「ゼリムハンはともかくシャミルだってさ。私も戦闘服にしておこうかしら」

「賢明かと」


 4つの手で身体を拭き終えたターニャがタンクトップのインナーを着込み、その上からポンチョめいた厚手の黒ケープを羽織る。本人は気にしていないようだが、特殊構造の義肢のために通常の洋服が着られないのだ。


 一方のジナイーダが身に纏うのは、背中に大型のコネクタを備えたライダースーツ状の黒装束である。下着はなく肌に直接着る。

 本当は洒落た着心地のいい服を着たい。スキニーも黒も嫌いではないが、このパイロットスーツは普段使いには物々しすぎる。しかし高導電性のCNT繊維を織り重ねたこのスーツでなくては、この忌々しい特異体質—―最大で1テラワットにも達する放電に耐えられない。少し本気で放電しただけで絶縁破壊を起こして黒焦げだ。


「行きましょう」

「はい」


 身支度を整え終えた二人が廊下に出る。換気装置の重々しい唸り声が響く地下通路は雪山の地下とは思えないほど温かい。給湯システムと同じく廃熱を利用した暖房が働いているためだ。

 こうしたインフラ設備の建造・維持に使われるエネルギーもジナイーダが供給している。周辺勢力の目が届かぬワハーン回廊に拠点を築くという反則技を成し遂げられたのは、偏に彼女の功績であり、故に彼女はアリスタルフから特別の待遇が与えられていた――制限と監視とともに。


「食事会って何が出るんでしょうね」

「外で羊の解体を見ました。ジジック・ガルナッシかと」

「塩茹での羊肉ね。もうちょっと手の込んだのがいいなぁ」

「腹に入れば同じです」

「凝らなくていい部分に凝るというのも……」

「ヒューマニティ」

「そうです。ええ、そうですとも」


 上階との唯一の繋がりたるエレベーターに乗り込むと、ワイヤーの巻き上げが始まって二人を載せたカーゴが地上へと吊り上げられる。



 彼女らの所属組織は『シスコーカシア戦線』。

 かつてはその名の通り北コーカサスシスコーカシア――チェチェン、ジョージア、アブハジアといった政情不安が続く国々で反ロシア闘争を行う武力組織であったが、現在ではその目的も半ば形骸化し、単に各地の内戦で武力をひさぐ傭兵部隊と化しつつある。


 その一派閥であるジナイーダらの保有戦力は、現状わずか5機。

 

 ――単機で一軍を脅かすT-Mechが、5機である。

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