chapter3 交わる干戈、交わる線

Interlude.野獣は死すべきか


「17時だ。諸君、終礼にしよう」


 T-Mech特務小隊――『マント付き』の出没に伴い、正式にT-Mech試験班から改編された――の執務室オフィスでサムエルが宣言すると、そこに詰めていたスタッフが作業の手を止めて彼の方へと向き直った。特務小隊は基地司令部の直下に属する小規模な部隊であり、更に構成員の大部分がガレージでの作業員と核融合炉の整備点検要員であるため、オフィス要員の数は少ない。


「日報を送信した者から終業とする。諸君らが早く帰ってくれないと私が夕食抜きになってしまう、協力してくれたまえよ」

「了解。お二人も今夜一杯どうです?」


 冗談交じりに部下に指示を出すと、オフィスに詰めていた壮年の下士官の一人がタブレットPCを閉じつつ冗談を返した。サムエルが目元を僅かに――隣に座るディナ・サンドバルしか気付かないほど僅かに歪め、それから一歩遅れて快活な笑みを浮かべる。


「私は弱くてね。二日酔いで会議に出るわけにも行かんからな、代わりにシィング中尉でも誘ってやってくれ」

「御冗談を。楽しい飲み会が殺人現場になっちまいますよ」

「キレないにしても暗い奴だし……」

「ハッハッハ! 違いない!」


 サムエルが心底愉快そうな風を装って高笑いを上げた。その様子を見た他のメンバー達もくすくすと笑いながら帰り支度を始め、オフィスの中に和やかな雰囲気が広がる。


(またやってる)


 ディナが無表情で隣の兄を見た。

 半月前に着任した、このフランクで自信家な指揮官を本部要員の多くはすっかり気に入っており、また人食い虎ジーク・シィングに対して一歩も引かない人物として尊敬もしていた。着任初日に起きたガレージでの一件については断片的な情報しか広まっておらず、いつも通りジークが何かで突っかかったのだろう、程度に考えていた。


 しかし仮に真相が広まっても、恐らく何も変わるまい。そのくらいにはサムエルは集団を掌握していたし、ジークは集団から排斥されていた。

 あの装甲義肢で武装した人間不信の男について、本部スタッフのほとんどは何も――人格、行動理念、価値観――その全てについて知ることも考えることも避けていた。他ならぬジーク本人が彼らとの接触を避けていたからだった。

 彼らが触れるのはジーク・シィング名義の報告書であって彼自身ではない。単機による後方攪乱を主任務とするT-Mechの性格上、戦場でのジークの姿を誰一人知らないこともその隔絶に拍車をかけていた。


(……こうやって独りぼっちになるのも彼の望んだことだったのかな。その割には幸せそうに見えないけど)


 既にその日の作業を終えたPCを終了させつつ、ディナが思考を巡らせる。


(期待も信頼もしていないから、人に心を許さない――兄貴とよく似てる)


 ただ、集団の力を利用するために自分を偽れるかどうか。一見すれば正反対なこの二人を分かつものはその一点だけだと、ディナは今日までの十数日間で察していた。


 ◇


 ディナ・サンドバルがサムエルを思い出そうとすると真っ先に脳裏に浮かぶのは、家中に響く声で母を怒鳴りつける兄の姿だ。


 サンドバル兄妹は父親が違う。母とサムエルの父はお互い学生のうちに子供を作って、父は認知せずに母から逃げた。再婚相手だったディナの父も数年後には交通事故で死んだ。

 貧困の中で二人の子供を養う重圧に追い詰められた母に全ての不幸の原因を求められる中、サムエルは烈火の如き攻撃性と反抗心、異常な上昇志向を育て上げた。


 外では余裕に満ちた自信家の振りをして派閥を作り、しかし内心ではいつも苛ついていて、家では母と頻繁に衝突して大声で怒鳴り合う。自分以外の人間を衆愚と嫌いながら、その衆愚が生み出す集団の力を利用してきた狡猾な捕食者。羊を率いる狼――ディナにとってサムエル・サンドバルとはそういう男だ。


 故に着任初日のガレージでああして苛烈な攻撃性を剥き出しにしたこと自体は、彼女にとってはそれほど意外でもなかった。

 確かに抜け目はないし、頭の回転も速い。しかし兄の本質は陰謀屋ではなく、あくまで衝動のままに他者に喰らい付く捕食生物なのだ――そういう人間が見様見真似で社交家の振りをしたところで、いずれ化けの皮が剥がれるのは自明の理である。


(でも14年たせた化けの皮を自分で剥がすほどだったかな)


 むしろディナにとって疑問なのは、ジーク・シィングのどこがそこまで兄の怒りに触れたのか、という点だった。

 サムエル自身は「出稼ぎの貧乏人」呼ばわりされたことを挙げていたが、恐らく本質はそこではない。気性の激しい人間も多いPRTO派遣軍のこと、他者から人種や家庭環境に触れられることも初めてではないだろうし、サムエルが当たり障りのない対応を用意していなかったとも思えない。恐らくはもっと動物的な、存在の根源のところで癇に障る何かがあったのだ。


「……おい。何を考え込んでいる。明日のミーティングの資料はもうできているんだろう」


 そこまで考えを巡らせたとき、急に不機嫌そうな顔になった――実際は単に素に戻っただけだが――サムエルが尋ねた。気が付けばオフィスはディナとサムエルの二人だけになっていて、窓の外では日が落ちかけていた。


「兄貴とジークは似てるなって」

「嫌がらせか?」

「何でも悪い方に取るところなんかよく似てるよ。……純粋な疑問なんだけど、どこがそんなに嫌いなのさ」

「無価値なだけならともかく有害だ。俺の役に立たない人間はいらない」

「そうかな。優秀な戦力だし、事実私たちも助けられた。戦う以外に何もできないバーサーカーってわけでもない。何だかんだゴールディング中将の覚えもいい。普段の兄貴なら何としても取り入りそうなものなのに」


 サムエルがキーボードを無意味にパチパチと叩きながらしばらく考えた後、如何にも憎々しげな表情でぽつぽつと言葉を紡ぎ始めた。


「奴は20を越えているくせにまだ思春期をやっている。いちいち他人の言動に過敏で、すぐに人に噛みつく。集団を円滑にするために自分を抑えようという姿勢がない。社会性の生き物として出来損ないだ。甘ったれてるんだよ。汚らわしい」

「うん」

「その上すぐに暴力に頼る。言葉だけで相手を納得させる自信がないから、力で脅しつけないと人と接することができないんだ。奴は自らを強く見せようとして、逆に自分の弱さを暴露している。他の奴らはそこまで考えが回っていないようだがな」

「なるほど」

「〈PK〉と違って〈ヘルファイア〉は奴以外に替えの人材がいない。機体側のコンピュータに接続するためのBMI装置を手術で取り付けなきゃならないからな――奴はその立場を利用している。無頼気取りで孤独に生きているつもりだろうが、実際は周りに迷惑を押し付けて甘い汁を吸っているだけだ。本当に目障りだ!」

「同族嫌悪ね。彼を通して自分の醜さを直視するのが嫌なんだ」


 心の中の澱んだものを吐き出すように矢継ぎ早に放たれるサムエルの罵詈雑言を、ディナがたった一言で切り捨てた。サムエルが忌々しそうに唸り声を上げる。


「兄貴も彼も被害妄想に囚われすぎなんだよ。気を抜いたら周り全部が牙を剥いて襲ってくると思ってるでしょ」

「随分肩を持つな。奴を新しいボーイフレンドにする気か?」

「4人目の? 兄貴みたいなのは兄貴だけで十分だよ。……話を逸らさないで」

「もういい。この話は終わりだ」


 うんざりしたようにサムエルがかぶりを振る。


「まだ彼を部隊から追い出すつもり?」

「終わりだと言った!」


 サムエルがすっかり機嫌を損ねた様子で立ち上がり、がちゃん、と乱暴にPCを閉じて鍵付きのロッカーに仕舞いこんだ。

 これ以上は何を言っても聞く耳を持つまい――ディナも肩をすくめて荷物をまとめ、それから二人連れたって部屋を出る。


 砂塵対策に二重になった本部棟のドアを開けるとびゅう、と冷えた埃っぽい風が吹き、ディナのウェーブロングの茶髪を揺らした。


「涼しいね。ちょっと寒いくらい。これからもっと冷え込むってさ」

「そうか」


 士官用食堂への道を歩きながらディナが話を振った。アフガニスタンは砂漠と高地の国であるため、夜間は放射冷却で大きく冷え込む。10月ともなれば気温は15度を下回ることもあった――サムエルが面倒くさそうな仕草で上着を脱いで肩の階級章を外し、ディナの頭からばさりと被せる。 


「煙草は吸うなよ。臭いがつく」

「自分で着せといて。晩御飯も奢ってよ」

「食堂は給料から天引きだろう。俺宛てに請求書を書くつもりか?」

「冗談だって」


 彼女にしては珍しく、くすくすと笑い声を挙げながらディナが兄の上着に袖を通す。


 上着一つ。サムエルにとってはこれが(打算的な社交辞令でない)精一杯の気遣いのつもりであるというのは妹としては情けなかったが、自分に対しては猫を被らない――自分は兄の中で他人や道具ではないという事実は嬉しくもあった。


(……私も兄貴に甘いな)


 母が癌で働けなくなった時、サムエルは家族を放って一人で生きていくこともできたが、結局はハイスクールを中退してPRTO派遣軍へと働きに出た。ほとんど家にも帰らず、帰っても母とは一言も口をきかず――しかし黙々と送金を続けた。


 これを「親孝行」の一言で片付けることはできない。サムエルにとって家族関係とは呪縛だった。14年間続いた送金の帳簿は家族愛ではなく、憎みに憎んだ親を切り捨てられなかった屈辱の証だ。兄は攻撃性と野心を身に着けて鎖を引きちぎる猛獣になろうとしたが、終ぞ母親に対して決定的な反抗をすることができなかった。


 しかし――不本意であれ、兄が自ら家族を捨てなかったことはある意味で救いでもあっただろう。兄の過去は悲劇だが、もし望み通りに家族を捨てていれば――きっと兄にとっても、もっと酷い悲劇になっていたはずだ。


 これまで報われなかったぶんだけ兄を可愛がってやりたい、というほど傲慢な考えではないし、常に自分よりサムエルの都合を優先する気もない。そういう断固たる態度は時として諍いを生むので、ディナの忌避するところだ。

 ただ――もうしばらくの間くらいは兄の面倒を見ていようかと、ディナ・サンドバルは今のところ考えていた。

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