11.火種、燻って

【これまでのあらすじ】

・ジーク・シィングは米印を中心とする国際軍事組織・PRTO派遣軍の兵士であり、アフガニスタン戦線で超重装甲機〈ヘルファイア〉を預かるパイロットである。

・反政府組織パシュトゥーニスタンの機甲部隊を狙った強襲作戦において、ジークらは謎の高機動Mech〈シャングリラ〉と遭遇。善戦するも手酷い損害を負わされる。

・一方、遠く離れた山上では〈シャングリラ〉の搭乗者ジナイーダと、彼女の妹分ターニャが駆る完全ステルス機〈ティル・ナ・ノーグ〉が合流していた。先進国の最新鋭機と渡り合える機体を複数擁する彼女らの正体とは?


◆   ◆   ◆   ◆


 高性能のレーダーを搭載した〈ピースキーパー〉が目となれば、敵との接触を最小限にしつつ勢力圏を脱するのはそう難しい事ではなかったが、中破して帰ってきた2機の姿はキャンプ・ビッグボードに多大な衝撃を与えた。中でも〈ヘルファイア〉の頑強さを知るロックら整備班は、右腕を失くし左肩を打ち砕かれた三眼の怪物を見るや否や唖然と口を開けて固まってしまったほどだった。


「――マッハ15の砲弾を跳ね除け、戦闘機並みのスピードでジグザグに飛び回る機体か。おまけに複合装甲を一刀両断……〈ピースキーパー〉の記録映像が無ければ正気を疑うな。情報部の誰もあんなものの情報は知らん。倒せていればまだよかったのだが」

「……申し訳ありません」


 帰投直後に開かれた緊急のミーティングの席でゴールディングが呟くと、サムエルが神妙な顔で――腹の中は煮えくり返っているだろうが――俯いた。


 会議室にはゴールディングとその幕僚、情報部の上級将校までが出席している。もともと会議室の構造ブロックは高い防音処理が施されているが、今回は更に部屋の外に警備を置いて、誰も近寄らせないようにしていた。


「例のマント付きがロシアの送り込んだ刺客だとして――上は確実に動くだろうが、迅速に、とはいかんだろうな。アメリカは積極的介入を望むだろうが……日本はいつもの我関せずだろうし、東南アジアの連中はアフガニスタンのゴタゴタになんぞ首を突っ込む気もあるまい。意見をまとめるのに時間がかかる」

「だいいち通常戦力を送ってどうにかなる相手ではありませんからな。戦車やMechでは機動力が違い過ぎるし、航空機は地形に隠れた敵を追えない。ですから……」

「……どっちみち俺たちがやる他ないってんでしょう。今日まで〈ヘルファイア〉が無敵だったように、T-Mechをどうにかできるのは同じT-Mechだけだ」


 ずっと沈黙を保っていたジークが吐き捨て、チタン装甲の代わりに肌色に塗られたプラスチックカバーで覆われた右腕を不愉快そうに動かす。その腰には普段は着けていない50口径の大型自動拳銃が吊り下げられており、右腕の装甲が無くなった分の威圧感を補っていた。


 コックピット内で金具に挟まれた右腕は機体から降りるときに根元からカッターで切り離しており、代わりに基地の医務室に常備してある通常仕様の筋電義肢を取り付けていた。

 BMIではなく皮膚の表面筋電位を受け取って動く義手は普段使いの品に比べて反応が鈍く動きも固い。義手でなければ腕が捩じ切れていたとはいえ、利き腕が思うように動かないのはジークにとってストレスだった。


「シィング中尉、君はこちらが訊いたことにだけ……っ!?」


 情報部の男がそう言いかけて、ジークの真っ黒に染まった双眸に睨まれて黙り込んだ。


「威圧するな。ただでさえビッグボードは荒くれの巣窟だと思われているんだぞ」

「見ただけで脅したことにされたらたまったもんじゃないですね、司令」


 ジークが悪びれずに答えて、義眼の複眼式カメラを戦闘形態から元に戻す。真っ黒になっていた彼の両目に白目と黒目の区別が戻るのを見て、ゴールディングは苦虫を噛み潰したような顔で溜息をついた。


「まったく……だが、そこの乱暴者の言う通りだ。我々の目的がアフガニスタンの治安維持とパシュトゥーニスタン撃滅であることに違いはない以上、障害となるなら潰す以外の手段はない」

「政治的な問題はありませんか? 現に今回、『マント付き』はこちらのT-Mechを撃破せず撤退しました。これはPRTOとの決定的な対決を回避しようとしたとも取れます。こちらから敵のT-Mechを攻撃対象とすれば、無用にロシアを刺激することになるのでは……」

「それは上層部が考えるべき領域であって、現場の我々が忖度することではない。何かしら命令が来るまではあくまで現在の目的に沿って動く」


 幕僚の一人の質問を、ゴールディングはそう切って捨てた。


「それに奴らはロシア軍を名乗ってはいない。故に政治的にロシアを責めるのは無理だが、裏を返せばロシアも『マント付き』を政治的に守ることはできん。最低限の言い訳は立つ」

「しかし、可能なのですか? その……実際に、というか」


 気を取り直した情報部の男が訪ねると、ゴールディングは即座に「前提が違うな」と首を振った。


「やらねばならんのだ。そのために今何をするかを話している。……今のキャンプ・ビッグボードには超大型の3Dプリンター施設も、ナノパウダー原料の備蓄もある。ある程度の改修作業であれば外部からの輸送を待たずとも行えるはずだ。問題は乗り手だが」


 ゴールディングが控えていたサムエル、そしてディナに視線を遣った。基地の上層部を前にアピールするチャンスを見つけたサムエルが勢いよく席を立ち、続いてディナが静かに後に続く。


「敵の機動性に不覚を取りましたが、敵を分析して戦術を研究すれば〈ピースキーパー〉の性能で対抗可能です」

「失敗した人間の言う事か?」

「7年前、中将閣下が少将であった時に参加された攻勢作戦は失敗に終わったと存じております。――しかし派遣軍規模増大までの4年間を耐え凌ぎ、そこからの3年で現状まで戦況を立て直した功績は紛れもなく偉大であります」

「一方的な見方はしてほしくないというわけか」

汚名挽回・・・・の機会を頂けるのであれば、自分は次こそ失敗を雪ぐ覚悟です」

「ほう、面白い」


 サムエルが研鑽を積んだ舞台役者の如く、大仰だが不自然には見えない立ち居振る舞いで宣言し、ディナがそれを無言で肯定した。

 実際のところ、その迫力は半分が演技で、もう半分は今後の進退への危機感に起因していたのだが――それを知らない周りはそれを戦意や使命感と受け取ったのか、ほう、と感心した様子で目の前の若い佐官を見つめていた。


 一言でその場の期待を集めてみせたサムエルの隣で、ジークが(こいつはこうやって他人を騙くらかして生きてきたのか)と内心で余計に苛立ちを募らせる――しかし、ゴールディングはひょいと片眉を上げ、何気ない調子で口を開いた。


「ならば部下との付き合いをもう少し重視することだな。戦場での連携はそれなりに上手くやっていたようだが、私はちょくちょくガレージにも顔を出すぞ」

「……!」


 言外に釘を刺され、サムエルが表情を動かさないまま目元だけを凍り付かせる。隣のディナがさりげなく溜息をついた。ゴールディングの方もそれ以上追及する気はないようで、ふいと表情を戻して話を続ける。


「では〈ピースキーパー〉の2人には今後も働いてもらうとして、だ。……中尉、貴様はどうだ?」

「俺ですか」

「貴様がいつも名乗っていることだろう、〈ヘルファイア〉のジーク・シィング。至近距離でマント付きと殴り合ったお前の意見を聞きたい。奴に勝てるか?」

「その名前2つをご存知なら、答えなぞ解り切っていることだ」


 ジークが言い放ち、サンドバル兄妹と入れ替わるように立ち上がる。


「確かに奇怪な動きをする相手だったが、〈ヘルファイア〉は奴についていけた。奴の手の内が読めた以上は、もうヘマはしません」

「戦意だけでは勝てんがな。……もし基地内施設でも自給できん部品があったら申請を出せ、核融合炉でもない限りは取り寄せよう。むざむざこちらを生かして帰したことを後悔させてやるがいい」

「言われなくとも。――奴らを真っ黒焦げのスクラップにして、ここまで引き摺って帰ってやりますよ」


 復讐心に燃える目でそう答え、ジークは立ったまま周囲を睨みつけた。サムエルの時とは違い、周囲から彼に注がれる視線には畏怖や嫌悪感が混じっていたがーーしかし、それは確かに期待であった。


「よかろう――やってみろ。責任は私が取る」


 ◇ 


「何だかんだ信頼されてるんだ」

「誰が誰に」

「あなたが基地司令に」

「それなりに長い付き合いだからな。少なくとも口だけじゃない男だ」


 結局会議は解散となり、T-Mech部隊は機体が修理されるまでのあいだ戦術研究と休養に努めるものとされた。各方面へのメール連絡だの打ち合わせのアポ取りだのがあるというサムエルを残し、ジークとディナは暗くなった空の下を宿舎に帰り着いていた。

 

 T-Mech試験班――もはや試験部隊ではなく一つの実戦部隊となりつつあるが――が駐留する第13宿舎は最小限の居住ブロックを組み合わせた簡素なマンションのような二階建ての建物で、部屋も将校用の個室が4つだけ。つい最近まではジーク一人が寝泊まりしていた。


「ともあれ、機体が直るまでは開店休業。のんびりできそうね」

「呑気なことだな。今日あんなことがあったってのによ。……桜花の奴にメールを出して、義手を新調しなきゃならん」

「私は戦うために生きてるつもりはないし、イラついて機体が直る訳でも対策が立つわけでもないでしょ」


 ジークが眉をひそめたが、ディナは気にした風もなく階段を上り――登りきったところでふと思いついたように顎に指を当てた。


「……兄貴にサンドイッチでも作っといてやるか。軍用スーパーマーケットPXってまだ開いてる?」

「あと一時間だが、ガキじゃないんだからフードコートなり何なりで済ませるだろう」

「兄貴は食事とか面倒がるから、放っておいたらご飯食べずに寝ちゃいそうなの。――好きなんだよ、ピーナッツバターとチョコレートのトーストサンドイッチ」

「子供舌なんだな」

「子供っぽい人だから。あなたは嫌い?」

「どっちだっていいだろう。……行くならさっさと行けよ」


 ジークが邪険に言って自室の鍵を開け、やや乱暴に扉を閉めた。背後でディナが自分の部屋――窓際の部屋はサムエルで、その手前がディナ。兄妹とジークの間には空き部屋一つ分の緩衝区域がある――に駆け込み、少し後に軽やかな足取りで階段に戻ってくる音が聞こえた。着替えるなりなんなりして向かったのだろう。


「何もあんな奴のためにそこまでしなくてもいいだろうに」


 ジークが野戦服の胸ポケットからドライバーに似た金具を取り出し、左腕の義肢を覆うチタン合金の装甲カバーを外すと、シーリングカバーで覆われた人工筋肉部が剥き出しになった。

 旧型の筋電義肢とは違う、Mech用の高出力CNT人工筋肉と高強度フレームで出来た特注のBMI義肢――装甲はジークが後から改造して取り付けたものだ。元々あった樹脂製カバーをチタン鋼で作った外殻に置き換えているだけなので、こうして工具を使って外すことができた。


 同じ要領で両脚の装甲も外し、義肢同士をつないでいた防弾装備を兼ねるアシストスーツを脱ぎ捨て、ジークが5分足らずの間に数十キロの減量に成功する。

 コンクリート壁を砕く正拳や人間離れした跳躍をするにはアシストスーツが必須だが、日常動作程度なら義肢のみの装着でも十分にこなせる。――逆に言えば、本来基地内でまでスーツを着込む必要はないのだ。にも関わらずその習慣を続けているのは、ひとえにジークの人間不信ゆえだった。


「義肢の新調と……機体の改設計についても話を聞かなきゃ駄目か」


 外れた装甲カバーを丁寧に机の上に並べた後、ジークは部屋の隅に置かれたベッドに座り込み、タブレットを立ち上げた。本のように畳まれた端末を広げると、見開き状になった二つのタッチパネルの片方に画面が、もう片方にキーボードが映し出された。パネルを操作してメールウィンドウを開く。


「日本との時差が4時間半。――さて」


 3Dプリンターが普及した2082年現在では、ゴールディングの言葉通り3Dデータと材料のパウダー、そして十分な容量の3Dプリンターさえあれば大抵のものを作ることができる。

 できるからこそ――3Dデータはライセンス元によって厳重にブラックボックス化されており、おいそれと個人レベルで複製することはできない。PRTO派遣軍がライセンスを買い取っている軍用Mechの部品ならともかく、民生品である機械義手を手に入れるには現物を取り寄せる必要があった。 


 送信時間を数時間後に設定、片手のタイピングで連絡先からアドレスを呼び出す。

 宛名は『国綱桜花』。フリーランスのアクチュエータ技士であり、〈ヘルファイア〉の機体レイアウトを設計したMech設計者であり――ジークの機械義肢の制作者でもあった。用件だけを短い文面に纏め、送信してメールウィンドウを閉じる。


(ゴールディングの前では啖呵を切ったが、また戦術と機体構成を練り直す必要がある。……もう、無敵じゃいられない)


 次にうまく動かない右腕の指を使い、ドキュメントファイルを立ち上げた。


 パシュトゥーニスタンは装備ではPRTOより遥かに劣っているが、決して馬鹿や無能の集まりではない。バリケードで脚を止めた瞬間に足元で1トン爆弾が起爆した時、対Mechライフルでスラスターノズルを潰されて取り囲まれた時、対地攻撃機が一個小隊で飛んできた時――このアフガニスタンの戦場で窮地に陥ったことは何度もあった。


 しかし――これまでのパシュトゥーニスタンの対〈ヘルファイア〉戦術は如何にしてこちらの機体性能を発揮させないかということに重点が置かれており、逆に言えばこちらが機体性能を十全に発揮できれば負ける要素は何もなかった。


 反応するのがやっとの機動力と、こちらの装甲を紙のように切り裂く攻撃力を併せ持つ敵。大多数の凡人による群ではなく、圧倒的な個の強さ。そのような相手が存在することに、ジークは無意識のうちに恐怖を感じていた。


(あのマントをどうにかしなきゃ土俵にも立てない。貫通じゃ駄目だ、一発の威力より手数が要る。――高熱攻撃は有効だったが、ミサイルやロケットの類はレーザーにやられる。あの高出力では弾頭の鏡面加工も無意味……だが、次こそは……)


 ぶつぶつと呟きながら、ジークが思いついたことを片っ端からタブレットに片手で打ち込んでいく。明日になったらすぐロックのところに顔を出して対「マント付き」の戦術を練り直さなくてはならない。簡易的なキッチンを備えた一階の談話室から調理音が響いていたが、ジークの耳には入っていなかった。


 単に見逃されてプライドを傷つけられたということも、ある。

 あるが――それ以上に絶対の信頼を置く愛機〈ヘルファイア〉が脅かされ、しかもその脅威は健在のままヒンドゥークシュ山脈に残っているという事実への恐怖。あらゆる獲物を喰い殺してきた虎がふと己の老いに気付いた――そんな焦燥が、彼を突き動かしていた。


 敵を叩き潰し、抑圧に逆襲する。13年前の内戦で家族を失って以来、ジークにとっては闘争と勝利こそが恐怖を捻じ伏せる唯一の手段であり、少なくともこれまではずっとそうしてきた。


 彼にとって〈ヘルファイア〉は鎧であり、無二の友であり、自分そのものだった。

 何よりも速く疾る速力、あらゆる砲火を跳ね除ける装甲、戦車すら軽々と投げ飛ばす膂力。自身とBMIで繋がれた、誰にも奪う事のできない半身。

 今はガレージで骨を休める三眼の怪物の生き方は――それが神秘でも何でもない、単なる技術的優位の上に成り立つものだと知っていても――まさしくジークが理想とするそれだった。しかし今となっては、それも揺らぎつつある。


「機体の反応でも負けていた。装甲を削るか……いや、奴に出くわす前に死んだら意味がない。射撃兵装も欲しいがFCSの性能がついてこない……ペイロードはまだ余ってるってのに、ソフト面の拡張性が足りない……」


 老いた虎はいずれ飢えて死ぬが、しかし牙を研ぐことを止めはしない。獲物に食らいつく以外の生き方などできはしないからだ。


 考えが煮詰まってキーボードを意味もなく叩き始めた頃――ゴンゴンと無遠慮なノック音、というよりドアを足で蹴る音が響き、ジークは反射的にベッドから飛び上がって机の上の50口径を取った。


「まだ起きてる? ごめんなさい、両手ふさがってて」

「……ああ」


 ドアの向こうからディナ・サンドバルの気怠げな声が聞こえて、ジークは一部警戒を解いて銃の安全装置を確かめ、無造作にベッドの上に置いた。


 どうやら相手はドアの前で待っているらしい――何のつもりか訝しみながら、ドアノブを捻って少しだけドアを開くと、皿とコーヒーカップが乗ったトレーを両手に持ったディナがポーカーフェイスでそこに立っていた。


 皿にはコーヒーと、焼き目のついたパンで甘い何かを挟んで半分に切ったものが3つずつ乗っていて、片方の皿はパンにワックスペーパーが巻いてあった。訝しげな雰囲気を更に深めるジークの前で、ディナが装甲がついていない義肢を見て驚いたのかひょいと片眉を上げてみせる。


「それ、外せたんだ」

「外せちゃ悪いのかよ。……それは?」

「ピーナッツバターとチョコレートのトーストサンド」

「そんなことは見れば解る」

「前に兄貴が酔って帰った時は解んなかった」

「奴が馬鹿なんだ。それで片方は俺の皿とでも言うつもりか?」


 警戒と困惑が入り混じったジークの言葉に、ディナがあっさりと頷く。


「あなた嫌いなら嫌いってはっきり言いそうだったし、勝手に作ったよ。パンが12枚入りしかなかったから、半端な数余らせるのも嫌だし」

「は? 奴に3枚、お前に3枚でちょうど半分だろうが」

「兄貴が3枚、私が6枚よ。3枚余るでしょ」


 何を当然のことを言っているのか、といった顔のディナを前に、ジークはそれ以上あれこれ言うのが面倒になって、そのままトレーに視線をやった。


「その包み紙」

「素手で食べるの嫌かなって。私らは気にしないけど」


 そう言ってディナが自分の機械義手を指さすのを見て、ジークは黙り込んだ。もう片方の皿にはペーパーがついていない――ということは、普段からペーパーを巻いているわけではない。

 となると、ジークのためにわざわざPXで包み紙を買ってきたことになる――彼女の意図がますます解らなくなり、ジークの仏頂面に僅かな困惑の色が混じった。


「……兄貴に俺を懐柔するように指示でもされたか」

「今日のお礼と労いのつもりだけど」

「どっちみち奴はこっちを撃墜する気はなかった」

「それでも〈PK〉は手も足も出せなかった。……要らないなら私が食べる」


 機嫌を損ねた、というよりは単純な遠慮が入った言葉を受けて、ジークがぴた、と一瞬動きを止めた。相手の善意を疑ってしまったことへの罪悪感と、そう思わせてこちらを陥れるつもりかもしれないという疑念が相殺し合ったからだった。一瞬の迷いの後、ジークが結論を出す。


「……貰う」

「食器、談話室の備品だから適当に洗っといて。……いちおう言うけどさっさと寝なよ。疲れた時に出る考えなんて大抵ろくなものじゃないから」

「ああ。……悪いな」

「うん。お休み」


 そのままジークが扉を閉め、後ろ手に鍵をかける。それから机の上の装甲をどかしてトレーを置き、パンを開いてサンドイッチの中身を確かめてから齧りついた。


「……パンがバターで半分揚がってやがる」


 ピーナッツバターと砕いた板チョコレートを挟んだサンドイッチは疲れた体に染み渡るがごとく甘く、一皿で1500キロカロリーに届くほど重い食べ応えだった。考え事をする時のエネルギー補給に食べるようなものではない。

 

「さっさと寝ろ、か。……妙な所で聡い女だ」


 ジークがコーヒーを啜りながら――こっちにもそれなりに砂糖が入っていた――タブレットのドキュメントファイルを閉じて、代わりにネットTVの国際ニュース番組を開いた。


 国内各所で民族独立の動きが燻る中国、小康状態ながら民族同士の対立が続くミャンマー、クーデターの成功後も貧困問題が続くベネズエラ、民族独立を巡って今なお続くチェチェン共和国の紛争状態。


 制御のしやすさとエネルギー産出量において核分裂炉に勝る核融合炉の普及により、民間用自動車の動力は多くがバッテリーに代わり、原子力発電は真の意味で「夢のエネルギー」となった。少なくとも先進国におけるエネルギー問題はほぼ解決していると言っていい――しかし民族対立や経済摩擦による問題は未だ続き、世界は変わらず平和から程遠い。


 今にこれらのトピックにアフガニスタンの更なる騒乱が加わることだろう――そんなジークの予想は、ほどなくして的中することになるのだった。

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