10.山上に揺らぐ幻影
【これまでのあらすじ】
・ジーク・シィングは米印を中心とする国際軍事組織・PRTO派遣軍の兵士であり、アフガニスタン戦線で超重装甲機〈ヘルファイア〉を預かるパイロットである。
・〈ピースキーパー〉の過激な援護もあり、謎の高性能機〈シャングリラ〉をあと一歩まで追い詰めるジーク。しかし何処からか飛んできた支援砲撃に最後の一撃を阻止され、再び窮地に陥る。
・しかし〈シャングリラ〉はそこで戦闘を放棄し、彼らを置いて戦線を離脱した。屈辱に怒り狂ったジークは復讐を決意する。
◆ ◆ ◆ ◆
戦闘が起きた地点から北東へ――遠く、遠く飛んだところで、低空を飛んでいた〈シャングリラ〉が手近な尾根の上に着地する。
「……レーザーアレイは壊されずに済んだけど、コンデンサのカバーにヒビが入っちゃった。マントもぼろぼろだしスラスターも取り換えなきゃ……まったく手酷くやられたな。マルーシャさんに謝っておかないと」
股間部――子宮の位置にあるコックピットが開き、獲物を絞め殺すアナコンダのようにジナイーダを縛っていた触手型の拘束具が緩んだ。
「よっ、と……ふぅ」
ジナイーダが猫のように飛び降りて着地、背伸びしながら機体の周りをぐるりと一周歩いて損傷を確かめる。
〈シャングリラ〉の骨格フレームは強靭だが、人工筋肉部を覆うエアロカウルはほとんど装甲としての機能を持たない。それを護るテンタクラー・マントは鉄壁の防御力だが、同時に大気の整流装置、弾性翼としての機能を持つ空中機動の要でもある。攻撃を貰えば貰うほど防御力と機動力が落ちていくというのは、〈シャングリラ〉の明確な弱点の一つと言えた。
「
ジナイーダが傷ついた〈シャングリラ〉の胴体を見て独り言を呟きながら眉根を寄せた。――次の瞬間、後ろから聞こえてきた重々しい足音と規則的な振動に気付いて振り返る。
「ターニャ? あなたね?」
「規格外Mech部隊の撤退、確認しました」
誰もいない空間から声が響いた次の瞬間――ジナイーダの目の前、地上から3、4メートルほどの高さで空間の一部が下にスライドし、操縦席とBMI装置を備えたMechのコックピットがぽっかりと口を開けた。
目の前に透明な大型Mechが鎮座している――その機体の全容を知っているジナイーダでなければ、その事実に辿り着くのに少し時間を要しただろう。
そう思わざるを得ないほど、眼前の機体――ターニャの規格外Mech〈ティル・ナ・ノーグ〉は完璧に周辺の景色に溶け込んでいた。
「非戦闘時であれ機体を出るのは危険かと」
「いいでしょ、偶には日の光に当たっても。アウトドア派な気分なんです」
「そうですか」
空中に開いたハッチの中からがこん、と何かが外れる音が響いた直後、黒髪を肩で切りそろえた小柄な少女――ターニャが顔を出した。その服装はぶかぶかした丈の長いケープがついた普段着から、ノースリーブと半ズボンに仕立てられた専用の野戦服に着替えられている。
――それによって、普段はケープとスカートの中に隠されている手足――アクチュエータとフレームが剥き出しになった左右四本の戦闘用義手と、四足獣の後ろ足を思わせる逆関節構造の義足が露わになっていた。
ジーク・シィングのそれよりも更に非生物的な外見の義肢は、相互に人工筋線維を束ねた外骨格型の補助装置で繋がれていて、まるで巨大な昆虫が辛うじて人間に擬態しているかのような様相を呈している。
「最後の射撃支援には助かりました。……格好悪いところ見せちゃったね」
「致命的な損傷ではありません。パシュトゥーニスタンの残存機甲部隊は全て地下拠点へ避難しました。相手もあの損傷では追撃はできない、任務達成です」
無表情を崩さないままターニャが言う。冷たく突き放しているようにもとれるような態度だったが、ジナイーダは気にした風もなくクスクスと笑った。目の前の相手がそうした態度しかとれなくて、それでも自分を慮ろうとしてくれていることを知っているためだった。
「慰めてくれてありがとう。弾頭は何使ったんです?」
「徹甲弾ではコックピットを貫く恐れがあったので、鉄製の模擬核弾頭をフルチャージで撃ちました。どうせ無用な代物ですから」
「素晴らしい! 狙いも完璧でした」
「私の技術と〈ティル・ナ・ノーグ〉のメタマテリアル・カモフラージュは完璧です。……レモネード飲みますか。持ってきました」
「さすが。できた妹分を持てて幸せ者です」
「ありがとうございます」
ターニャが座席――〈シャングリラ〉と同じようなレイアウトだが、固定具は触手型のCNT筋線維の塊ではなく、機械義肢を想定した金属の拘束具に換装されていた――その脇のコンテナから薄黄色の炭酸飲料が入ったペットボトルを二つ取り出してコックピットを飛び降りる。
細身の義足が大きく折れ曲がって衝撃を吸収し、がしゃん、と小柄な体に見合わぬ重く硬質な音が響いた。胴に対して明らかに長い獣脚型の多重関節義足は彼女の体型をアンバランスに見せていたが、本人は特に不自由そうな様子も見せずにすたすたとジナイーダに歩き寄っていく。
「どうぞ」
「どうも。ターニャも本当に気が利くようになりましたね。最初は寝ろって言わなきゃ一晩中立ったまま起きてたのに」
「ありがとうございます」
ターニャが二本目の右腕でボトルを放り投げると、ジナイーダがそれを芝居がかった仕草でキャッチして開封し、石と砂ばかりの地面に座って豪快に炭酸入りのレモネードを呷った。その隣にターニャがちょこんと手足を折り畳んだ体育座りで座り込み、自分の分をちびちびと舐め始める。
「やはり炭酸はいいですね。こんな体ではどうにも刺激不足になりがちで」
「――外部から受けたエネルギー、摂り入れた質量を吸収して電気エネルギーに変換する特異体質。……金属や石からでもエネルギーを得られると聞きましたが」
「どうしたの、いきなり?」
「私はお姉様が通常の飲食物以外を摂取しているところを見たことがありません」
「そりゃあできるかできないかで言えばできますけど、実際にやるかどうかは別問題でしょう。ブリア=サヴァランって知ってる?」
「知りません」
ターニャが即答する。ジナイーダもそれを承知の上で尋ねたようで、そのままほとんど間を置かずに続きを語り始めた。
「『食生活が人格を作り上げる』といった趣旨の言葉を残した人です。私も人格とは環境と習慣によって定義されるものだと思います。好き好んでネジだの石ころだのかっ食らいたくないですし、そんな事をしていたら性格まで人間離れしていきそうじゃないですか? ヒューマニティですよ」
「ヒューマニティ」
ジナイーダがレモネードを豪快に呷り、それから少し気取ったような微笑を浮かべてターニャに向き直った。漆黒の眼球の中に浮かぶ真紅の瞳孔が、ターニャの不気味なまでに静止した黒い瞳と見つめ合う。
「日光の温かさ、レモネードの味、
「解りかねます。私は意図的に共感性を抑えられていますから」
「答えに困るといつもそれね。ふふふふふっ」
鉄仮面を被ったような無表情を保ったままのターニャを見て、ジナイーダが何が可笑しいか笑い声をあげ、その頭を抱きかかえて撫で繰り回した。
ジナイーダ自身10代後半ほどの外見でそう背が高い方ではないが、ターニャの身長は――普段の長い義足を畳んでいる状態においては――それより更に頭一分低い。可愛がられるターニャの側が一切表情を変えていないこともあり、戯れる姿は姉妹というより人形遊びか何かのように見えた。
「――それで、どうでした」
「何が?」
「敵です」
「ああ、あの二機? そうですね……」
ジナイーダがあっさりとターニャを解放し、それからボトルに少しばかり残ったレモネードを一気に飲み乾した。すかさずターニャが右腕のうち一本を差し出し、空になったボトルを受け取ってそのまま握り潰す。
「四脚の方は撃ち合いさえしなければどうとでもできる相手ですが、逆に言えば撃ち合いの火力が尋常じゃないです。真っ先に無力化することをお勧めします」
「はい。三つ目の方はどうでしたか」
ターニャが訪ねると、ジナイーダはぴたりと動きを止め――「うーん」と数秒間唸った後、複雑そうな表情で口を開いた。
「数十分前の自分の失敗を思い返すのもあまりいい気持ちじゃないけど……負けるかも、と思ったのは初めてですよ。咄嗟の反応速度なら私たちより上かもしれません。こっちの動きに対して的確にカウンターを入れてきます。それに――」
ジナイーダがそこで一旦言葉を切り、不貞腐れた様に両手で頬杖を突いた。それを見たターニャも両腕に二人分の空きボトルを持ったまま、もう二本の手でその仕草を真似る。
「……狂暴です。装甲越しに感情は読めませんが、距離を開けての射撃戦と違って白兵戦は乗っている人間の心理が機体に出ます」
「それで」
「勇猛と言えば聞こえはいいですが、修羅道に堕ちたような戦い方でした。自分が傷つくことなんかお構いなしで……単純な勢い任せというよりは、何かの強迫観念に囚われているような……ちょっと気圧されました」
そう言って神妙な表情を浮かべるジナイーダに対して、ターニャは僅かに瞳孔を開いて首を傾げ――。
「? ……仰っている意味がよくわかりませんでした。相手の精神状態がどうであれ、襲ってくるのは同じでは? 何故気圧されるのです?」
無遠慮に「否」の見解を突きつけてきたので、ジナイーダはがっくりと肩を落として「うーん」と唸りながら困ったように笑った――いつもの事とはいえ何でもかんでも一言で切って落とされてしまうのでは、どうにも話し甲斐がない。
ターニャの方もそれを察したのか、申し訳なさそうに――表情は全く動かないので、あくまで雰囲気の話だが――しながら頭を下げた。
「申し訳ありません。私は……」
「いいのいいの、結局は私の直感だから。また帰ったら部屋でゆっくり教えますから、そのあいだ自分なりに考えてみなさいな」
「……はい。努力いたします」
「ん」
ジナイーダが満足げに頷いて、それから決心したように立ち上がる。
「じゃあ、帰りましょうか。そろそろアリスタルフがサボりを疑いだす頃です」
「特に問題はないかと思いますが」
「道草は適度にやるから楽しいんですよ」
〈シャングリラ〉のコックピットに乗り移るジナイーダを見て、ターニャも逆間接の義足を折り曲げてバッタのように後ろへ跳躍。四本腕を後ろ向きに広げて機体に取り付き、空中にぽつりと浮かんで見えるコックピットの中へと戻った。それから座席の神経伝達ケーブルを胸椎部にインプラントされたコネクタに突き刺し、両手足を拘束具に固定して通信を開く。
「こっちで運んであげてもいいんだけど、例のサブスラストシステムで来たのよね」
「はい。近くに待機させてあります。――また『回廊』で」
「そうね。帰ったらマルーシャさんにお詫びを入れて……アリスタルフに外出許可でも取りましょうかね。監視付きなら多分通るでしょう」
思いついたようにジナイーダが呟くと、ターニャが数秒間無言になった。
「どこで何をするおつもりです?」
「お化粧品とか?」
「はい?」
「うっふふふ……回廊で!」
向かい合った形で駐機していた二機が同時にハッチを閉め、〈シャングリラ〉が雷鳴を轟かせて北東へ飛び立つ。
それからしばらくの間、動く物が何も見えなくなった山上にがしゃん、がしゃんと重い足音が響き――やがて、それも聞こえなくなった。
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