chapter2 黒雷は干天に轟く
1.サムエル・サンドバル
【これまでのあらすじ】
・ジーク・シィングは米印を中心とする国際軍事組織・PRTO派遣軍の兵士であり、アフガニスタン戦線で超重装甲機〈ヘルファイア〉を預かるパイロットである。
・不和が続いていた上官を殴り倒した後、新たに着任した上官サムエル・サンドバルとも殺し合い一歩手前の諍いを起こしたジーク。互いのプライドを賭けた模擬戦の末、彼はサムエルとその妹ディナとの不本意な共存を強いられる。
・それと同時期、反政府勢力「パシュトゥーニスタン」が政府・PRTO連合軍と争う裏で、暗躍する謎の組織の存在があった。
◆ ◆ ◆ ◆
「――では、ジーク・シィングは普段食堂は利用しないのですか?」
「しませんね。奴は他の士官とはほとんど顔を合わせないし、話もしません。昔上官にリンチされて人間不信になったとかって……出撃して、帰って寝て、また出撃です。――そういえば聞きましたよ、サンドバル少佐。あの人食い虎と渡り合ったんですって?」
「いやぁ、そう褒められたものでは」
「何の、何の。奴の怒鳴り声にはみんな辟易してたんだ。君が奴に立ち向かって
「そうそう」
朝。ピークになる時間帯を過ぎ、閑散とし始めた士官用の食堂――兵士用の食堂よりややメニューが豪華で、内装も質が良い――の二人用テーブルで食事をするサムエルの周囲には、数日前の「新入りの大立ち回り」に興味津々の将校たちがいた。テーブルに置かれたホットドッグはすっかり冷めていたが、まだ半分までも減っていない。
「――あまりにしつこく突っかかってきたものだから、『お前はまるで思春期の少女みたいに繊細だな』と」
「それでシミュレーター戦で鼻っ柱を折って見せたってんでしょう?」
「よく命があったもんです。前に走るミニジープの上からからかった奴がいましたが、取り付いてジープごとひっくり返したんですよ、あいつ」
「あの義肢、戦闘用Mech並みの出力という話ですからな。アクチュエータ工学の権威に金を積んで作らせたと聞きましたが、あんな性格の奴が持っていい代物じゃない。よくMech勝負に持ち込めたものだ……それで勝てなかったというのだから、奴もお笑いだ!」
「荒くれの相手は慣れておりますから。ああいうタイプは人間関係に対して過敏になっていることが多いので、一度力関係をはっきりさせた上でモラルをもって接することが重要だと考えています」
サムエルが意図的に自分に不都合な部分だけを隠しつつ事のあらましを話してみせると、周囲の士官たちはグリズリーの首を持ち帰った猟師を見るような、感心と畏怖が混じった視線を彼に送った。
(本人に正面から言ってやればいいものを、陰口ばかりよく叩きやがる。PRTO最大の激戦区にもこの手の臆病者はいるということか)
――内心で散々悪辣に罵られているとも知らずに。
サムエルはおよそ友情というものを知らない男だった。
何かを好くということをしない男だった。
たとえ笑顔を浮かべていても、その下には常に地獄のような怒りと憎悪だけが渦巻いていた。上を見れば嫉妬、下を見れば軽蔑、横を見れば対抗意識を抱く上昇志向の塊がサムエル・サンドバルである。
しかしそうした本性の大部分は笑顔と話術の仮面で隠されて、どす黒い内心を知るのは妹ただ一人――のはずだったのだが、ジーク・シィングに対してはそうもいかなかった。彼もサムエルと同様、人の善性への疑いを隠そうとしないタイプの人間だったからだ。
(にしても、擁護する者の一人もいないとはな。真実を知る者が誰もいないから、俺の言葉がそのまま真実になる。ますます惨めなことだ)
サムエルが心の中で皮肉を吐いた。
彼のジークに対する悪感情の源は、何も人種と家庭環境への強烈なコンプレックスを突かれたことだけではない。アジテーションとコミュニケーションの違いを理解しないサムエルは、ジークのような人間に何の価値も見出す事ができなかった。他者への不信感が強く、耳ざわりのいい言葉を並べても靡かず、精神的に孤立している――そう言った人間は取り入るのが面倒だし、そうするだけの旨みもない。
「あなたのような人が来てくれて心強い」
「あの猛獣を黙らせてやってくださいよ」
「みんな奴には迷惑してますからね」
「若輩の身ですが、全力を尽くします。もう大きな顔はさせませんとも」
しかし結果論ではあるものの、ジークとの決闘はサムエルにとって有利に働いた。大抵の場合、他者との対立はその背後にいる集団との緊張や敵対を招くものだが――ジークと対立したことで自分に反感を抱く者は、この基地にはほとんどいないようだった。
このことは彼が基地内で致命的に孤立していることの証左でもあったが、サムエルは「奴が共通の敵になってくれたおかげで取り入りやすくなった」という感想しか持たなかった。
「……失礼」
それからサムエルがにこやかに談笑するふりをしていると、人の輪の外で涼やかな女声が響いた。ウェーブがかった茶色の長髪と小麦色の肌を持つ美女、副官にして実妹ディナ・サンドバルの声である。
「ああ、副官です。妹でもありますが。座れよ、ディー」
サムエルが声をかけると、ディナはサラダとチリコンカンとコーンブレッドがどっさり乗ったトレーを携えたまま、涼しい顔で人の間をするりと通り抜け、彼の向かい側に座った。
囲んでいた士官のうち数人――いずれも若い男だった――が、思わずといった形で彼女を見る。ディナの整った顔立ちと軍服越しでも解るボディラインは、嫌でも男の視線を惹き付けた。――サムエルとしてはあまり面白くない話だったが。
「少佐、もうすぐ始業時間です」
「解っている。……失礼、皆さん。聞いての通りですので、この辺で自分の食事を片付けてもよろしいですかね? このままでは私の分まで食べられてしまう」
サムエルが最後に冗談を言って、周囲の士官たちを解散させた。テーブルの周りにいるのが自分と妹だけになったところで、サムエルが人好きのする笑みを消して素の仏頂面を浮かべた。その眼前でディナが軽く指を組み、キリスト教式の短い祈りを捧げてから、ハイペースで山盛りの食事を口に運ぶ。
「美味しい。ミャンマーの基地とは違う味だけど」
「それは良かった。……俺がいない間、何もされてないだろうな」
「誰に?」
「あの社会不適合者に決まっているだろう。奴は食堂を利用しないそうだ」
「ふぅん。……さっきの人達、仲良くなったの?」
「相手はそう思っているかもな。陰口しか能のないクズがこの俺に自己投影して憂さを晴らしていると思うと、反吐が出るが――ある程度の能力と立場はある連中だ、取り入っておけば利益がある。それが枯れるまでの付き合いだ」
心から不本意そうに吐き捨てると、ディナはスプーンを動かす手を止め、いつもの感情の読み取り辛い表情で向かいに座る兄の顔を凝視した。
「私とも?」
ディナが何気ない調子で言い放つと、サムエルは無言のまま数秒間硬直した。
「馬鹿を言え」
それから言葉少なに否定して、冷めかけたホットドッグを齧る。明らかにショックを受けた様子の兄を見て、ディナも「だろうね」と話題を打ち切る。
「もう私も自分の分くらいは稼いでるんだし、母さんの医療費ももう要らないんだから、そこまで出世に熱心にならなくても」
「他人の事には」
サムエルがディナの言葉に被せて言った。
「とやかく言わない主義なんだろう、お前は」
「……そうね。――またシミュレーター使っとくから」
「任せる。初実戦で操縦ミスは御免被るからな。……先に出るぞ」
あっという間にホットドッグを食べ終えて、サムエルが午前の仕事に向かうべく――あるいは、妹と向かい合う事から逃げるように立ち上がる。その背後からディナが「兄貴」とぼそりと声をかけた。
「何だ?」
「今度、ご飯行こうよ。町に行けばレストランくらいあるでしょ」
「……良い店を調べておく。財布は持ってこなくていい」
「期待しとく」
妹の気遣いにそう返すと、サムエルはそのまま背を向け、一度も振り返らずに立ち去った。
内心では人を人とも思わぬサムエルだが、ディナ・サンドバルだけは別だった。父が違い、歳も7つ違う妹こそが、サムエルが人間関係において強く出られない世界でただ一人の相手だった。貧乏なシングル・マザーの労働者だった二人の母は2年前に病死したが、それよりずっと昔から、彼にとって家族とは妹ただ一人だったからである。
◇
「……じゃあ、XTM-1の――」
「〈ヘルファイア〉だ」
「――〈ヘルファイア〉の瞬間的な回避機動は、AIが自動的にやってるってこと?」
「そうなる。発砲を見た瞬間に回避機動に移れるのは、OSに組み込まれたAIが自動的に反応して避けているからだ。障害の多い地上で高速巡航ができるのも同じ要領だ」
同じ日の昼前、ガレージに設けられた休憩室にジークとディナがいた。
二人とも机の上で支給品の軍用タブレットを開いており、画面には士官の承認を必要とする事務書類が複数表示されている。彼らは午前中のシミュレーター訓練を終えた後、事務作業のついでに互いの機体について情報交換を行っていた。
〈ピースキーパー〉はサムエルとディナの二人乗りだが、サムエルには試験班の責任者としての仕事がある。故に書類上の機体責任者は妹のディナであり、普段の整備状況の確認などは彼女が行うことになっていた。
つまり階級の差こそあれ、役職上はジークとディナが同格で、その上に――ジークとしては不本意きわまりないことだが――サムエルが部隊長として君臨する形である。
「自分の体が勝手に動くようなものじゃないの、それ。……ごめん、この書類のフォーマットどこ? 見つからないんだけど」
「それはフォーマットが無い。いちばん番号が若いファイルをコピーして、整備班の作業報告書から――いや、いい。今から作って共有しておく」
「ありがと。……で、どうなるの。AIとあなたの判断が食い違ったら」
ここ数日におけるジークの仕事は、先任としてディナに仕事を教えることだった。
といっても場所によって微妙にやり方は違うが、前線士官の仕事内容はそれほど変わるものではない。彼女も前線で働いていただけあって手慣れている。業務に慣れる日もそう遠くなさそうだった。
「そういう時は人間が優先されるが、そもそもAIが学習してるのは俺の操縦データだ。大抵は一致する。BMIを使ったことがない奴に説明するのは難しいが……操縦感覚は車というより馬が近い。それ自体が意思を持つが、乗り手の意思を汲んで、従う」
「そうなんだ」
ディナが無表情で言うと、そのまま考え込むように口元に手を当てた。
ジークは最初、彼女に対しては好印象も悪印象も抱いていなかったが、話してみると兄貴よりは遥かに付き合いやすい相手だった。
沈黙が苦ではないのか、自分から話しかけてくることは少ないが――決して何も考えていないわけではなく、案外に気が回る。それでいて面子やプライドにとんと拘りを見せない。肌や髪の色だけでなく、中身まで兄と正反対に思えた。
「だがAIによる動作補助自体、Mechじゃ珍しいことじゃないだろう。性能の大小こそあれ、〈ヨコヅナ〉はおろか〈マロース〉だってAIで操縦を補助してるんだぞ」
「そもそもMechにそこまで詳しくない」
「Mech乗りの癖に」
「ヘリ部隊からの転向だから。前に乗ってた
大真面目な顔で話すディナを前に、ジークが呆れながら何から話すべきかと考え始めたとき、ちょうど休憩室の扉が開いた。
「よぉ、お疲れ。〈ヘル〉の修理終わったぞ」
「案外遅かったな」
「3Dプリンター班に予約がしこたま入っててな。骨格フレームの出力が遅れた」
「……どうも」
「ああ、サンドバル大尉。これはこれは」
入ってきた整備班長ロック・サイプレスがディナに挨拶するのを見て、諸々の面倒事を押しつける相手を見つけたジークが「ちょうどいい」と呟いた。
◇
「――で、Mechについての講義をしろと。まぁ良いでしょう」
ロックが咳払いを一つして話し出す。
「MechはMechanized Armorの略語です。基本的に歩兵の能力拡張を目的としています。初期型は関節部のモーターで動いてましたが、今はだいたいCNT人工筋肉で動いてます」
「カーボンナノチューブ、あちこちで聞く単語」
「あちこちで使われてますからね。重量はアルミの半分、強度は鋼鉄の20倍。おまけに電導性も熱伝導性も高い。大昔は長さ数センチのを作るのが精いっぱいでしたが、製造法が確立した今じゃ何にでも使われてます。例えば〈ヘルファイア〉の場合、人工筋肉に基礎フレームの高強度複合材、配線ケーブルやデータ回路にも。ここまでは?」
「そこまでは」
「結構。CNT人工筋肉は、簡単に言えばCNTを撚った人工筋線維の束を電解液に浸してパックしたもので、電流を流すと縮みます。これがPRTO製Mechの基本的な駆動機関です。〈ヘルファイア〉は関節にモーターも併載してますが」
「だからあのパワー」
「そういうことですな」
愛車を褒められたかのように、ロックが嬉しげに頷いた。彼は元々ジークと一緒にアバディーンから移籍してきた人材である――パイロットであるジークほどではないにせよ、古馴染みである〈ヘルファイア〉には結構な愛着を持っているようだった。
「操縦方式は?」
「モノによります。〈マロース〉なんかの小型機はたいていモーショントレーサーを使ったマスタースレイブ方式です。体を動かせば機体がそれに追従するだけだから、動かすだけなら素人でもできます」
次にロックが窓の外に視線を遣り、そこを歩いていたずんぐりした体型のMechに視線をやった。大きさは3mと少し、手足も胴体も太く、一見すると肥満体にも見える体型で、両手持ちの大型対Mechライフルを携えている。PRTOの正式採用機である日本製の〈ヨコヅナ〉である。
「あそこの〈ヨコヅナ〉みたいな大型機だとコックピットの収まりが中途半端になりますから、パイロットの動きを何倍かに増幅して反映させるセミ・マスタースレイブが基本ですな。こちらは多少の慣れが要ります」
ディナは無表情ながら、感心したように頷きながら話に聞き入っていた。
「Mechの利点は歩兵の強みはそのままに、機甲の打撃力と防御力を付加できることです。たいていのMechは歩兵用の銃火器をそのまま使用できるし、走れば自転車くらいの速度を出せる。装甲はまちまちですが〈マロース〉でも銃弾ぐらいは止めるし、〈ヨコヅナ〉なら30mm対Mech砲まで防御できます。次の課題は単独走行で機甲部隊に追随することでしょうな」
「彼の機体は?」
「アレはT-Mech、コストも性能も桁外れの規格外品です。普通のMechとは蟻と象、それこそ歩兵と戦車くらいの違いがあります。……そうだよな?」
ロックがジークに視線をやると、ジークは面倒臭そうな顔をした後、渋々といった様子で話し出した。
「〈ヘルファイア〉は敵地への単騎侵攻を目的とした戦術兵器だ。だから
「うん」
「本来は〈ヘル〉を使って機動データを蓄積した後、それを踏まえた新型を作る予定だった――だがその試作機が高速走行テストで転倒して、俺はこの体だ」
装甲で覆われた機械義肢をガチャガチャと動かしながら、ジークが無表情で言った。
「それで計画はお釈迦だったが――それで黙っている俺じゃない。義肢の操作用に
「よくそんな話が通ったものね」
「事故の経緯と内容をネットとマスメディアにぶちまけると言ったら快く了承してくれた。データを取りたかったのも事実だったようだし……」
「話はここまでだ」とジークがディナを見るが、彼女は不可解そうに首を傾げていた。軍服の襟の隙間から、首から両肩にかけて彫られた、炎を思わせるトライバル・タトゥーがちらりと覗く。
「何でそこまで?」
「どういう意味だ」
「後方勤務にだって移れたはず。補助金も出てるでしょ」
「お前がそう思うのは、〈ヘルファイア〉に乗ったことがないからだ」
ジークが即答した。
「かつては乗りこなせなかったが、〈ヘルファイア〉は最強のMechだ。何より一人で戦況をひっくり返せるってのがよかった――それを事故一回でスクラップにされるのが我慢ならなかった。お前には理解できない話だろうがな」
「性能に惚れ込んだってこと?」
「そうだ――例外って意味じゃお前等の乗機だってそうだろう。手もないし、脚もあってないようなもんだろうが。歩けるのか?」
ジークが〈ピースキーパー〉の武装を満載した胴体――単に砲塔と言った方がより正確である――が四脚と車体の上に乗った、この世のどの生物にも似つかない異形を思い浮かべながら言った。
「歩けるけど、のたのたしてる。モーショントレーサーも積んでないし」
「それでもMechかよ」
「〈PK〉は手足はほとんど動かせないからな。アプローチの方向性はどうあれ単独侵攻が目的なのは間違いないし、〈ヘルファイア〉の系譜ではあるんだろうが」
「にしたってな。アメリカらしい力技というか何というか、武器を持ちつつ作業をするためにマニュピレーターがあるんだろうに本末転倒だろうが」
ジークが否定的な見解を述べた瞬間、再び――ただし、今度は勢いよく――休憩室のドアが開いた。
「――私の〈ピースキーパー〉が本末転倒なんだって?」
入ってきたサムエルが不遜かつ不機嫌そうな顔で言った。ジークが一瞬で殺気立った表情を浮かべて舌打ちすると同時に、義眼が戦闘状態に移行して全マイクロ・カメラが起動し、たちどころに両目が真っ黒に染め上げられる。
「〈PK〉の武装構成に隙は無い。そもそも私に言わせれば、戦闘機械が手で武装を持つこと自体が非効率の極みだ。ましてや単独進攻が目的のT-Mechで土木工事をするわけでもあるまい。……ましてや持つ武器もロクに無いのに手指だけあってもだな! ハッハハハ!」
「人の姿をした汚物が、懲りずにつけ上がりやがって!」
ジークが怒鳴って隣のパイプ椅子を投げつけると、サムエルはあっさりとそれを躱した。そのまま萎縮するどころか自身による攻撃の成果を認めたかのように笑みを深め、大袈裟に肩を竦めてみせる。
「懲りる? 私が何か反省するようなことをしたか? ん? 貴様の中では自分に都合の悪い事は全部相手のせいになっているらしいな」
「鏡なら洗面所だぞ、クソ野郎が!」
「兄貴」
「うちの妹は優しいよなぁ! 庇ってもらえて嬉しいか、ジーク・シィング君!」
「そうやって悠然とした振りをしているが、お前の本性はルサンチマンの塊だ! 人を虚仮にして自分のコンプレックスから目を逸らすことしかできない卑劣な臆病者め!」
「勘違いするなよ!」
ジークがナイフで滅多刺しにするがごとくサムエルを弾劾するが、サムエルはその一切の発言を無視して続けた。
「チョコあげる」
「ディーは貴様のようなクズも差別しないが、仕事だからだ。マトモな神経の人間なら誰だってお前のような奴とは関わり合いになりたくないさ。貴様は――むがっ」
「あ・げ・る」
煽りの言葉が最高潮に達する直前、ディナがずかずかと距離を詰め、サムエルの頭を押さえて口に食べかけの板チョコレートをぐりぐりと突っ込んだ。
不本意この上ない顔でチョコレートを咀嚼する兄の前で、ディナが呆れ顔で腰に手を当てる。
「で、何の用」
「……弾薬と砲身の予備が届いて〈PK〉を実戦に出せるようになったというのが一つ。それに合わせて強行殲滅作戦が通達されたというのが一つ。明朝出る」
「実戦ね。――仕事の話」
ディナがジークの方へと振り向き、意見を求めるように視線を送った。今日のうちに出撃に向けての点検と補給を済ませる気なのだろう、針の筵だったロックが立ち上がって休憩室を出ていく。
「ふん。場所と作戦目標は?」
「戦線から北北東115km。こちらの巡航偵察無人機が一個旅団規模の機甲部隊を発見、追跡を試みたが防空に引っかかって撃墜された。これを再補足し撃滅、奴らの金と苦労を水泡に帰す」
「……機甲部隊? 奴らが!?」
「如何にも。まとまった数の
サムエルの言葉を聞いて、ジークが深刻な表情で唸った。
MBT――すなわち戦車である。重装甲と高い機動力、強力な火砲を併せ持ち、敵陣の横腹に穴を穿つ機甲戦力の花形である。山岳地の多いアフガニスタンとの相性はあまりいいとは言えないが、それでもいるといないとでは任務の難易度が段違いに変わる。たとえ最新式の対戦車ミサイルがあっても、地に足を付けている限り戦車の撃破は容易な仕事ではないのだ。
ただ――それ故に高価で、燃料弾薬の他にも輸送車や整備車両など、運用コストはMechなどより圧倒的に高い。パシュトゥーニスタンは「国内」で徴収した「税金」に加えて、周辺のムスリム資産家からの密やかな資金援助やヒンドゥークシュ山脈で産出される鉱物資源を密売した金を活動資金にしているが、それでも一個旅団規模の機甲部隊など、一民兵組織がおいそれと所有できるものではないのだ。
「ロシアからの供与、もしくは購入だろうな。何をどれだけ切り詰めたのやら……空撮映像を見る限り第五世代MBTのT-48だ。型落ちとはいえ軽量で90km/hは出るし、125mm砲の威力は本物だ。コストパフォーマンス的にも妥当なチョイスだろう――真っ向から当たって耐えられるのか?」
サムエルが「客観的な意見を寄越せ」と付け加えると、ジークは心外だと言わんばかりに彼を見た。
「〈ヘルファイア〉はガチガチの重装機だ、ビクともするものか。まして機動力に圧倒的な差があるんだから、狭路の多い山岳地ならどうとでもできる」
「結構。他に
「IFVにもMechが乗り込んでいると見ていい。ロシアの小型Mechは野戦じゃ雑魚だが、機甲部隊との連携が本領だ」
「考慮しよう。ま、〈PK〉のレールガンには第5世代戦車の装甲だろうがビスケット同然だ。その『ガチガチの重装機』とやらも撃ち抜くからな。ハハハッ」
サムエルが皮肉を込めて言った。〈ヘルファイア〉自慢の正面装甲を遠距離から半壊させた一撃の威力を想起し、ジークが面白くなさげな表情を見せる。
「……シミュレーターでの威力を現実でも出せるならな」
「出せるとも。トップアタックなら榴霰弾でも戦車を貫通できる。〈PK〉の射程範囲で30秒生きていられる奴はいない」
「模擬戦がどうなったかも忘れたか? お前くらいおめでたい頭してりゃあ人生さぞ楽しいことだろうな」
「黙れ。お前は先行して偵察と雑魚の掃討、好きに暴れろ。忠実さは最初から期待していないから安心するがいい」
「頼まれても嫌だ。――アーヴィングのように下らない隠し事でもやってみろ、寝込みを襲ってでもブチ殺してやる」
「殺す殺すと、できもしないくせによく吠える犬だ。このサムエル・サンドバルは私情で戦力を減らすような愚はやらないし、役立たずをいつまでも抱え込んでおくような真似もはしない。せいぜい気を引き締めておけ」
最後にもう一度皮肉を言った後、「ブリーフィングは午後2時から第一会議室で。遅れるな」と言い残し、サムエルはふんぞり返ったままかつかつと靴音を立てて帰っていった。
◇
「――馬鹿にして! あの差別主義者! 性根の卑しいドブネズミめ!」
「兄貴は誰にでもああだよ。ここまであからさまなのは初めてだけど」
怒り狂うジークに対して、ディナが興味なさげな無表情で答えた。
「パッと見は自信家に見えるけど、本当は行き場のない怒りを常に抱えてると言うか……いつもイライラしてるの。何かを攻撃して怒りをぶち撒けないと気が済まないのよ」
「本気で救いようがないな。止めようとは思わないのか」
「いちいち止めてたら身が持たないし……面倒」
ジークが舌打ちと共に吐き捨てると、ディナは憂鬱そうに長いウェーブがかった茶髪を掻き上げた。ほのかにウッディムスクの甘い匂いが漂う。
「コンプレックスを突かれたのを根に持ってるみたい、今もあなたを共通の敵に仕立てて他の将校に顔を売ってる。本当のところはそうそう広まらないだろうね――兄貴だけじゃない。事の真相なんてどうでもよくて、あなたの悪口を言えればそれでいいみたい。私はそういうの、人間が馬鹿だって証明してるみたいで好きじゃないけど」
「奴の口車に乗る程度の奴に何を言われようが知った事じゃないし、少なくともゴールディングは奴が思ってるほど間抜けじゃない。――お前は違うのか。言っちゃなんだが……」
「私の方がヒスパニックらしい見た目してるって?」
「はっきり言えばな」
「別に」
ディナが特に腹を立てた風でもなく答え、鞄から二つ目のチョコレートを出して齧り始めた。
白い肌と金髪のサムエルと違って、彼女は濃い小麦色の肌と波打った茶髪を持ち、顔立ちも兄とはそれほど似ていない――ジークが初対面の際に親戚という可能性を考えもしなかったのは、そういう理由からだった。
「どうせ皆死ぬ。金持ちも貧乏人も、ネパール人もWASPもヒスパニックも最後は死ぬの。それで全部お終い」
「色即是空か」
「そんなとこ。私はどっちにも味方しないよ。片方に味方してもう片方からあれこれ言われるのはうんざり。……お昼ね」
ディナが言いながら腕時計を一瞥すると、時刻は正午をやや過ぎていた。
「食堂行く?」
「俺は利用申請してない」
ジークが野戦服のポケットに義手を突っ込み、英語とヒンディー語の派手なロゴが描かれた棒状の固形食品を取り出した。
「足りるの?」
「それは俺の問題であってお前の問題じゃない」
「それもそうね、色々ありがとう。――ハイスクール中退して、私の学費と母さんの医療費をずっと稼いでくれてたの。あんなんでも悪く言わないでやって」
「それも俺の問題だ」
「うん。じゃあまた午後」
ディナがタブレットを取ってすたすたと歩き去り、休憩室にはジーク一人だけが残った。
装甲義手の指先でラベルを剥がし、ねっとりした飴状の塊に齧りつく。両手足が機械化されたジークの身体は一日に1500kcalも摂取すれば十分だし、食事中に他人と顔を合わせるのが嫌だったので、普段の食事は基地内のPX(軍用スーパーマーケット)で買い置きしたこの固形食品で済ませるのがジークの習慣だった。
(奴の考えはただのニヒリズムだ。生きながら死んでいるようなものだ)
ライスパフの入ったシナモン味のバーを機械的に嚥下しながら、ジークが思考する。
究極的には全てが無に帰すからこそ、生を思い悩む必要はない――ディナの論理は優しく自己肯定的だが、ジークには無防備すぎるように思えた。
突き詰めれば――「生」とは殺して食うこと、「死」とは殺されて食われることだ。他人は獲物か、敵か、敵になり得る存在である。油断して背中を見せれば牙を剥いてくるものだから、生きていたいならこちらから相手を喰い殺すしかないのだ。
「俺を馬鹿にする奴は、みんな殺してやる」
――そうすれば、他人の悪意に命を脅かされることもない。
エネルギー源を胃袋に放り込み終わると、ジークは食べ終わった包装袋をくしゃくしゃに丸め、部屋のゴミ箱に投げ込んだ。
その思想の根底にあるのが恐怖であることに、彼はまだ気づいてはいない。
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