10.山中に響む雷

【これまでのあらすじ】

・ジーク・シィングは米印を中心とする国際軍事組織・PRTO派遣軍の兵士であり、アフガニスタン戦線で超重装甲機〈ヘルファイア〉を預かるパイロットである。

・模擬戦を終えてもなおサムエルと争いを続けようとするジークだったが、彼の妹ディナ・サンドバルが割って入ったことで殺し合いの再開は回避された。サムエルはそのままジークの上官の座に収まり、互いにとって不本意な共存が始まったのだ。


◆   ◆   ◆   ◆

 

 2082年、アフガニスタン。

 ――山の中を刳り貫いて作られた、ほとんど要塞といっていい地下施設の一室。


「……朝か」


 ジナイーダ。自分自身にそう名付けた少女はひとり目覚めた。


 整った――あらゆる人種、あらゆる民族から美とされる要素だけを抽出して作り上げたような、人種的特徴がほとんど読み取れない顔つき。隠すものもなく晒された白磁の如き肌と、背中まで伸びた純白の直毛。

 大理石の裸体像がそのまま動いているかのようで、神秘的な美しさと非人間的な不気味さ、完成されたものに特有の氷のごとき雰囲気を同時に内包していた。


 部屋には簡素だが質のいいベッドと小さな箪笥が一つ、テーブルが一つに椅子が二脚。それと小さな読書灯。壁には天井にまで届くサイズの本棚が二つ置かれていて、大部分が英語とロシア語の本で埋まっている。

 

 ジナイーダがベッドから降りて動き出す。一つの窓もない室内は足元も見えない暗闇に覆われていたが、彼女は目をほとんど閉じたまま――起きている時でもほとんど目を開けないのは彼女の癖だった――迷いのない足取りでベッドの横の衣装掛けの前まで歩き寄った。


 彼女は二つ特異な体質を持っていて、そのうちの一つがこの特殊な視野だった。ジナイーダは2000オングストロームから1ミリの電磁波、すなわち上下ともに人間の可視領域を大きくはみ出した、近紫外線から遠赤外線までの範囲をその目で捉えることができた。


 脇のハンガーにかけられた仕事着――導電性の高いCNT筋繊維で編まれたパイロットスーツを着込んで長い白髪を三つ編みに結い上げる。白と黒のツートン・カラーに塗り分けられたスーツはボディラインにぴったりと沿う構造で、背中には太いケーブルに対応した大口径のコネクタが設けられていた。


 とんとん、とドアを叩く硬質な音が響く。


「どなた?」

「ターニャです」

「どうぞ? 着替え中ですけど」

「失礼します」


 ジナイーダが外からの声に――見た目から受ける印象よりもずっと気さくな調子で――答えると、部屋のドアノブが回転し、黒髪をボブカットにした少女が恭しい動きで部屋に参入した。


 ターニャと呼ばれた少女はジナイーダより4、5歳下、13か14ほどに見えた。丈の長いケープ付きのゆったりした服装に身を進んでおり、首から上以外はほとんど肌が露出していない。

 カフカース系の端正な顔つきをしているが、その目は機械じみた無感情さをもって見開かれている――しかしその小柄な体躯から滲み出る赤外線の揺らぎが、彼女が機械ではなくれっきとした生きた人間であることをジナイーダに証明していた。


「今何時?」

「午前5時15分です」

「だいたい予想通りか。……昼まで本でも読んでちゃ駄目ですか? 私ら書類仕事もないですし」

「シミュレーター訓練の予定が入っています。私にスケジュールを調整する権限はありません」

「けーち」


 ターニャのロボットのような無機質な応対に対して、ジナイーダはわざとらしく唇を尖らせると、壁のスイッチを押して照明をつけた。

 静かだった部屋の中をLEDライトから吐き出された可視光が跳ねまわり、ジナイーダが閉じられた瞼の上から眩しげに指を当てる。


「どうせ状況に進展はないでしょう。またいつも通りPRTOの三つ目が暴れまわって、パシュトゥーニスタンは生かさず殺さず。ロシアも重い腰をようやく上げたばかりですし」

「――規格外機の運用の準備が整ったそうです。……4機とも」


 ジナイーダがぴたりと動きを止めて目を見開いた。


 露わになった眼球は全身から抜け落ちた色素をその一点に集めたかのごとき黒で、その中にガーネットから削りだしたような紅い瞳孔が浮かんでいる。神秘的な容姿と禍々しい双眼の対比は、あたかも愛らしく泳ぐ流氷の天使クリオネが捕食のための触手バッカルコーンを剥き出しにした時のようなグロテスクさを放っていた。


「……とうとう、私の〈シャングリラ〉が使えるようになったと?」

「はい。我が〈ティル・ナ・ノーグ〉のサブスラストシステムと同時に『例の兵装』も搬入されたとのことです。御役目が近いことを嬉しく思います」


 それを聞いたジナイーダが肩を竦めた。


「嬉しく思う? あなたが? 本当に?」

「解りませんが、普通は嬉しがるものだと言われましたので」

「それは嬉しいって言いませんよ」


 無表情のままでそう告げるターニャの肩に手を置き、ジナイーダが少し顔を寄せた。


「その理屈でいけば――私はその気になれば今すぐあなたを感電死させられる・・・・・・・・けど、怖くないんですか? 他の皆さんに同じことをすれば心臓止まりそうな顔で震え上がりますよ」

 

 ジナイーダが意地悪な誘導尋問を仕掛ける教師めいた調子で言った。その赤と黒で構成された異形の瞳が至近距離からターニャを覗き込んだが、彼女は顔色一つ変えないまま、さも行動の意図が解らないとばかりにジナイーダに視線を返した。


「よく解りません。元より私に感情の起伏は存在しません。……お姉様は私がNOと答えるのを望まれているのですか?」

「ふふん、その通りです。あなたも察するのが上手になったわね――薬物投与で感情の発達を抑えたとはいっても、完全にゼロにはならないものです。自分からロボットのように振る舞うのはおめなさいな」

「そういうものですか」


 ジナイーダが小さく息をつき、顔を話して柔らかな手つきで目の前の少女の黒髪を撫でた。ターニャが特に嫌がるでも喜ぶでもなく、されるがままにジナイーダの手を受け入れる。

 本人の言葉に違わず、ターニャはいつもこの調子だった。周囲の人間は大抵、彼女の目を見れば恐怖や嫌悪の感情を――体温の変化やその形のパターンとして――発するが、彼女は平坦そのもの、淀みのない油膜のごとく静かに揺れるだけだ。

 からかっても悪戯を仕掛けても笑いも驚きもしないので少しばかり退屈――ではあるが、平坦というのは負の方向にも振れないということでもある。少なくともジナイーダにとっては、この小柄な少女の存在は大きな支えだった。


「そうです。ええ、そうですとも。……機体が揃ったということは、我々もこの急ごしらえの要塞を出て、本格的にここに介入すると。そういうわけですね」

「はい。……民族独立、弾圧の打倒」

「同胞の名誉と尊厳のために、か」


 ジナイーダが何気ない様子で両手を合わせ、それからゆっくりと開いていく。

 ――バチ、と手の中で光と音が弾けた。


「……その同胞とやらに、私は入るのかしら」


 指先と指先が離れようとしたその瞬間――バチバチという激しい放電音を伴って指の間に電弧アークが生まれ、放電の光がジナイーダの顔を照らす。手の中で弾ける稲妻とは裏腹に、物憂げな表情を浮かべる彼女の眼の奥にはくらい何かが渦巻いていた。

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